「あなた、犬、飼ってる?」
「いや、飼ってないけど」
「飼いなさいな。犬は人間の最良の友よ。
なまじの人間より、よほど分別があるわよ」
カナダの作家 アリステア・マクラウドの長編小説、
『彼方なる歌に耳を澄ませよ』の最終章の一節である。
そうだな、としみじみ思う。
飼っている人間が分別がない場合にだって、
犬は犬の本分を失ったりしない。
同じ作者の『冬の犬』は、読んでずいぶん経っているけれど
ときおりシーンが思い浮かぶ。
氷に阻まれた少年と犬の姿‥‥、島の高い丘に現れる犬の影。
これらの小説に登場する犬たちは、どれも寡黙だ。
いや犬だから吠えるけれど、イメージとして『高倉健」的なのだ。
孤高の人と、犬と、人があらがうことのできない自然と、
三つ揃えば、まそういうことなんだな。
ハイランダー(スコットランド高地人)を先祖にもつ一家族の物語。
このごろの毎日流れるテレビニュースにうんざりして空しくなったら、
現実から遠くへだたった場所へ、
すくなくともここよりまだ「よりよい人間」のいる物語の中へ。
読み終わって、なんかすこし、こころがしゃんとなる感じが
するかもしれません。
新潮クレストブックスの中でも、アリステア・マクラウドは
ピカ一! 都会のど真ん中で生きづらいと思う時、手にとる一冊、
森の中でひとり、どうしてここにいるんだろうと思う時の一冊
でもあります。
追記:
犬は、分別があって、矛盾がなくて、筋ってもんが命ですぜ
姐さん(とは言わないが)そういう感じである。
もし問題があるとすれば、人間の都合が原因である。
犬の訓練士は犬より飼い主に、コマンドの一貫性を求める。
それが犬本来の性質に合わせた訓練法だからだ。
うちのベイビーは生後五ヶ月の時、ある訓練士に預けた。
二ヶ月の予定だったが、あまりの厳しさにめげてしまって
(犬ではなくわたしが)、そんなふうに扱わないで!と
見ていられなくなって、残り二週を待たずに連れ戻した。
後悔しますよ、困ったらまたどうぞと、訓練士はわたしに言った。
もちろん家に戻ると吠えまくる、走り回る、大騒ぎの毎日。
ベイビーの目と鼻先とじっくりと向きあって、
思い知った事は、ただ単に人である自分の勝手な都合を
彼に押し付けているのだということだった。
それがわかってからというものの、即日、ベイビーはつきあいのいい
優等生、ママ思いの子になった。それから今日までずーっとそうだ。
つまり、わたしが調教、訓練してもらったわけである。
コマンド(命令)なんていうより、「話せばわかる」だった。
人はゴーマン、犬も猫もそのことをよく知っている。
見張り番である。