「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

"医"の中の蛙

2017-05-23 | 学術全般に関して
普段から私は、一応、目上の方には出来るだけ丁寧な敬称を用いるようにはしています。例えば、ここ英国でも指導教官には常にProfessorを付けてメールしたりしていますし(professorshipはとても重要な意味を持ちますので)、医師免許や博士号を持つ方には基本的にはDrを付けています。
また、これまでに母国でお世話になった医師の方々や指導を仰いだ先生方、あまり親しくない方々に対しては、「~先生」あるいはちょっと他人行儀に「~先生御侍史」「~先生御机下」などを用います。とくに患者さんを紹介する紹介状の宛名は、やはり自分が携わった患者さんを委ねる形になりますから、「~先生御机下」から始まる丁寧な文面を必要とすることもあります。
しかし、後輩や同期などを相手にする際には、紹介状などでない限りは、医師免許や博士号を持っていても「~君」や「~さん」をメールで用いることが多いです。これは別に私に限ったことではありません。

私は、さすがに自分が診た患者さんや、教育的指導に携わった方々、あるいは病院のスタッフたちからは「~先生」と呼ばれるがままにしていますが(病院のスタッフたちは、医師に対して先生と呼ぶことで、誰が医師なのかを患者さんやご家族に対して判りやすく明らかにする必要があることから)、それ以外は基本的に「~さん」と呼んでもらうようにしています。
したがって、最近はもっぱら「~さん」と呼ばれていますし、それが普通だろうと思っています。
これは、私の尊敬する先生(もう亡くなられてしまいました)が、「医師同士で~先生と呼び合うのはちょっとおかしいし、そういう形式的なことに拘るよりも、もっと人間関係の本質をみなさい」と仰っていたのに倣っているからであり、実際、私も同感です。「~先生」と小馬鹿にしながら呼びかけるよりも、「~さん」と丁寧に呼びかける方が、よほど敬意が込められているものです。敬称なんて些事に過ぎませんし、敬意は自然と向けられるべき対象に向けられるものです。「敬意を示せ」と他者に要求するアホは、その前に鏡をよくご覧になって、どうして自分に敬意が向けられないのか、そもそも自分が他者からの敬意に値するのかをよく考えるべきでしょう。例えば、ノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥教授が「私に敬意を示しなさい」などと仰ることがあるでしょうか、私はそんなことは絶対にないだろうと思うし、そんなことを仰らなくても自然と彼には敬意が集まるでしょう。

しかし、日本では形式的なことに拘る方々が実に多いものです。とくに医療界では、意外と権威主義者が多くて、形式的なものに拘り勝ちです。
大した医師(あるいは薬剤師)でもないくせに「~先生」と呼ばれないと怒る方々は少なくないですし、時々、研修医の分際にもかかわらず「~先生」と呼ばれないと不機嫌になる奴までいます。中には、一人称が「~先生」(自分のことを先生と呼んでいる状態)になっている人までいました(さすがに冗談だと信じたいですが)。馬鹿な奴ほど「形式的なことに拘っている」という印象があって、その様子はまるでちっぽけなプライドを必死に握りしめているかのようです。

海外でも、もちろん、フォーマルな場所では敬称などの形式的なことが大事ですが、基本的にはすこしでも親しければファーストネームやニックネームで呼び合うのが普通です。お堅いイメージの英国も、もちろん日本に比べれば、その点ではるかにおおらかです。
日本の慣習としての過剰な権威主義や形式主義、とくに「面子を大事にする」姿勢にはもともとすこし辟易していましたし、中でも医学部や医療界でのそれにはいつも違和感を覚えていましたが、最近、海外の方々と接する中で改めて感じるのは私たちは「もっと本質的なことを大事にしていくべきだ」ということです。
もちろん、医師の資格や博士の学位は、それを授与されている人物の高度な専門的知識や技能を証明するものですから、ある程度の敬意が自然と集まりやすいのだろうとは思いますが、それは決して他人に強要するものではないのです。例えば、患者さんが普段からお世話になっている医師に対して「~先生」と自然に呼ぶのはいいでしょう。しかし、もし仮に医師の方から患者さんに「~先生と呼びなさい」などと強要することがあったとしたら、私としてはとても遺憾に思います。

"井"の中というか、"医"の中の蛙にはなりたくないものです。