「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

ベルファストのお祭り騒ぎ - Culture Night 2019 -

2019-09-20 | 2019年イベント
お久しぶりのブログ記事投稿になってしまいました。
前月末に博士論文を提出してから、色々なことがありました。アイルランド共和国や英国北アイルランドを含めてアイルランド島全体にあちこちレンタカーで出掛けましたし、ベルファストの住居を引き払って、日本に帰国するための準備にも追われていました。もちろん、研究費助成の申請準備や、論文投稿準備などもありました。

今日20日は、2年ぶりにベルファスト最大のお祭りである「カルチャーナイト Culture Night」に足を運びました。初めて参加した3年前から今回で4回目になりますね。昨年は日本に帰国中だったので、私が直接参加するのは3回目になります。
街中が楽しい音楽や装飾に彩られて、老若男女が騒ぐ、このお祭りが大好きです。
Culture Nightの由来はイマイチよく判っていませんが、聖アン大聖堂St Ann's Cathedralから市庁舎City Hallまで、様々なイベントがあちこちで開催されます。東京のど真ん中と比べると人は少ないのですが、観光客も多いのでいつもよりだいぶ人が多く感じました。



レンタカーでの旅行は、モハーの断崖、タラの丘、グレンベアー国立公園というアイルランド共和国屈指の観光地を回りました。いずれも素晴らしい景観の場所です。アイルランド共和国を旅行する方々が訪れるべき場所であるような気もしますが、ダブリンから遠いためもあるのか、いずれもあまり日本人観光客は見かけませんでした。





個人的には、グレンベアー国立公園の風光明媚な景色が気に入りました。ドネゴール地方はアイルランド島北西部であり、まさに欧州の外れにあるというか、地の果てなのです。剥き出しの岩が並ぶ大地に白い羊たちが群れる景色は、どこか懐かしく、面白く感じられたのでした。

私の英国北アイルランドでの生活も終わりが近いです。

博士論文の提出とサーカスの観劇

2019-08-31 | 2019年イベント
8月末に博士論文を大学Exams Officeへ提出しました。今後、外部の評価員を交えた学位審査会(Viva)が開かれ、その後に博士論文の修正版を提出し、(希望者のみですが)学位授与式・卒業式に出席という流れになります。まだまだ気は抜けませんが、博士論文の提出をもって大学院博士課程の修了となりますので、一応、ここで一つの区切りがつきました。
2016年9月から英国Queen's Universityの大学院医学博士課程に入学し、実験、研究を進めて、博士論文をまとめるのに3年が経ちました。とくに博士論文については、マンチェスターでの学会中も、指導教官と何度もやりとりして、最終的な修正を行いました。博士課程中にあった良いことも悪いことも、色々なことが思い起こされて、Officeで担当者に刷り上がったばかりの論文を提出する時にすこし手が震えました。

まあ、何はともあれ、ここで気分転換を兼ねて休憩することにしました。サーカスです。
3年間一度もサーカスなんて観に行ったことはありませんでしたが、今ちょうどCircus Extremeというサーカスが大学の横の植物園で開催されており、せっかくなので観に行くことにしました。英国は近代サーカス発祥の国と伺っていました。
子供の時にたしかキグレサーカスを観たことがありましたが、それ以来のサーカス観劇でした。



Belfastは、あまり人口が多くはありませんので、サーカスのテント会場もそれほど観客は多くはありませんでした。しかし、演出は圧巻でした。出演者との距離も、とても近くに感じました。



空中ブランコなどの定番の演技はありませんでしたが、綱渡り、ジャグリング、バイクなどの迫真のの演技や、陽気な道化によるコントも楽しむことができました。面白かったです。
子供心にすこし戻ることができました。



しがらみなく過ごした少年時代の
絶え間なく響く笑い声も 無責任に描いた夢も
過去の話 今はもう

ICRR 2019 in Manchesterの思い出

2019-08-29 | 2019年イベント
8月25日から29日にかけて、4年に一度の国際学会であるInternational Congress of Radiation Research (ICRR)が英国マンチェスターで開催されたので、私も参加しました。前回のICRR 2015は京都で開催されて、私も参加した記憶がありますが、あれから振り返れば本当にあっという間の4年間だった気がします。
学会中は色々な方々とお会いしましたが、個人的に大学院への博士論文投稿を間近に控えていたため自分の気持ちが落ち着いていなかったこともあり、何を話したかはあまり覚えていません。しかし、私の発表ポスターへの質問を幾つか頂き、それなりに自身の研究へのフィードバックを得ることができたのは良かったように思います。





マンチェスターを訪ねるのは、実は今回が初めてでした。
古さと新しさが混在しているような街並みは興味深いものがありました。
学会中に会場を抜け出して、マンチェスター大学のキャンパスに行きました。マンチェスター大学物理学部は「現代物理学の父」であるアーネスト・ラザフォード博士が世界で初めて原子核の存在を実験的に証明した場所であり、放射線・原子力研究の歴史上、重要な研究拠点となりました。ラザフォード博士はノーベル賞こそ1回しか受賞しませんでしたが、キュリー夫人以上に世界の原子物理学に影響を与えた人物であり、その門下生からは20人くらいノーベル賞受賞者が輩出されています。
ラザフォード博士は、実験物理学者としても、理論物理学者としても超一流であっただけでなく、教育者としても一流だったのでした。




また、マンチェスターから電車で30分ほどの距離にあるリバプールも訪ねました。
言わずと知れた英国屈指の港町であり、ここから「ビートルズ」の4人が世界に羽ばたきました。
私は熱狂的なビートルズファンではありませんが、ビートルズの博物館にも足を運んでみたのでした。街を見下ろす全英一大きい大聖堂も素晴らしかったですし、なかなか素敵な街でした。

またいつか、マンチェスターとリバプールに行きたいですね。



Belfastに辿り着けば、そこは終わりの始まり

2019-08-04 | 2019年イベント
日本での滞在を終えて、8月の始めに英国北アイルランド首都のBelfastに戻りました。久しぶりのBelfastで見上げた空は青く、日本に比べるとカラッとした穏やかな夏の日を感じさせられました。
私事ではありますが、日本では家族が増えたり、相馬野馬追を観たり、南三陸病院まで足を伸ばすなど、色々と楽しい時間を過ごすことができました。
しかし、今秋の大学院修了に向けて、為すべきことを為さなければなりません。そのために私は北アイルランドへと戻ってきたのです。

さっそく、気合を入れるために、ギネスを一杯飲みました。




さて、帰ってきたら、博士論文 Thesisを書かなければなりません。
まだ第3章の途中まで、大体120頁くらいしか書いていませんが、これを200頁以上の完結した論文に仕上げる必要があります。論文だけでなく、8月には「ICRR 2019」という英国イングランドのManchesterで開催される国際学会もあり、忙しくなりそうです。
はてさて、どうなることやらと、ふとした瞬間に不安に思うこともあります。
私に、本当に博士論文なんて書けるのかと。

飛行機の中で、久しぶりに『Darkest Hour』という映画を観ました。
本作はヒトラー率いるナチスドイツと対峙した大英帝国首相チャーチルの孤軍奮闘を描いた物語ですが、特殊メイクを担当したKazuhiro Tsuji(辻一弘)という日本生まれのアーティストの方がアカデミー賞を受賞したことでも知られていますね。

チャーチルの言葉はすこし私を励ましてくれました。

Success is not final, failure is not fatal.
It is the courage to continue that counts.
成功は決定的ではなく、失敗は致命的ではない。
大切なのは続ける勇気だ。

先端技術大賞を受賞しました

2019-06-11 | 2019年イベント
11日付の産経新聞などに掲載されるまでお伝えすることができませんでしたが、今回、「独創性を拓く先端技術大賞・フジテレビジョン賞」という日本の学術賞を受賞しました。

フジサンケイビジネスアイ(旧・日本工業新聞)が、ノーベル化学賞受賞者の福井謙一博士らの協力のもと1987年に創設したもので、毎年授賞を重ねて今年で第33回を数えます。もともとは「独創性を拓く先端技術学生論文」という名称でしたが、第16回・2002年から企業の若手研究者も表彰対象に加えられて、現在の名称になったそうです。
海外からも応募できると伺ったので実際に英国から今年申請してみたところ、学生部門の優秀賞にあたる「フジテレビジョン賞」を受賞することが出来たのでした。授賞式は7月に東京で行われ、高円宮妃殿下のご臨席もあるとのことです。幸いなことに私はこれまでにも幾つかの受賞や表彰の経験がありますが、皇族の方がお成りになる授賞式は初めてです。

今回の受賞対象となった研究は、もちろん、放射線被ばくによる健康影響についてです。

2011年東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故後、福島県相馬市にある公立相馬総合病院で被災地医療に従事したことがきっかけとなり、放射線健康影響に関する研究を志しました。本研究に取り組む上で、福島原子力災害の被災地でお世話になった方々にいつか成果を還元したいという思いは、私にとって欠かすことのできない心の支えでした。被災地で出会った全ての患者さん、病院スタッフの皆さん、格別の御指導を賜った先生方に対して衷心より感謝申し上げます。

母と妹が来た

2019-06-07 | 2019年イベント
実は今週は私の母と妹がベルファストの私のもとを訪ねてきてくれました。
遠く日本から飛行機で15時間くらいはかかるでしょうか、かなりの長旅ではありますが、大学院留学も最終年を迎えた今になって初めて訪ねてくれたのでした。6月2日(日)から6日(木)までという短い期間ではありましたが、一緒に過ごすことが出来ました。

しかし、滞在中は残念ながら天候が悪く、雨が多かったです。今は、夏を迎えて、ベルファストでも好天が多い時期なのですが、運が悪かったようでした。それでも、世界遺産ジャイアンツ・コーズウェイをはじめ、英国北アイルランドの観光地をまわることが出来たのは良かったと思います。
私にとっても海外留学中に家族を迎えるのは初めての体験で、戸惑いも多くありました。
しかも休暇中ではありませんから。いかんせん、私自身も研究や論文執筆などに多忙な時期だったので、あまりお構いすることが出来なかったのです。そこをなんとか、同居人の獅子奮迅の活躍があって、もてなすことが出来たのでした。

次はもうすこし上手く迎えたいものですが、おそらく今回が最初で最後の体験でしょうかね。

あれから3000日

2019-05-28 | 2019年イベント
3.11から3000日が経ったと伺いました。
まだ3000日というべきか、もう3000日というべきか…。

言うまでもなく、東日本大震災と福島第一原子力発電所事故は、私のキャリアに大きな影響を与えた出来事でした。あの日見た光景がきっかけとなり、今、私は英国の片隅で放射線研究に取り組んでいるのですから。

「なあ、先生、家に帰りたかったなあ」と言って、亡くなられた方がいました。
私は医師としてその患者さんをお看取りしましたが、その時の体験が研究に取り組む原動力でした。家に帰してあげたかったなあ、本当に。
私が放射線研究に取り組んだと聞いたならば、きっとあの方は「先生がそんなことをしなくてもいいんだよ」と仰るのではないだろうかと。ふとそんなことを思うこともあります。

流れた月日を感じさせられました。

アイルランドの空の下で ~ドネゴール、スライゴー、ゴールウェイでドライブを

2019-05-28 | 2019年イベント
昨日5月7日月曜日は「スプリング・バンク・ホリデー」という英国の祝日でした。つまり、英国では3連休となったわけで、英国の方々にとっては選挙がありましたが、我々留学生は基本的に暇でした。

ということで、同居人が借りてくれたレンタカーに乗って(私は基本的に助手席で喚いているだけの迷惑な係)、アイルランド北西部のドネゴール、スライゴー、ゴールウェイの方を旅しました。アイルランド島はグレートブリテン島よりも小さいとはいえ、それなりに広大であり、どこまでも続くアイルランドの空の下を私たちは走ってきたのでした。


まずは3年連続で観に行くことになった英国北アイルランド第2の都市デリー/ロンドンデリー Derry/London Derryで5月25日土曜日に開催された「お盆祭り O-bon Festival」を訪ねました。今年もテロと思われる事件などが発生しており、社会情勢がすこし不安定な街ではありますが、欧州でも珍しく街を囲む城壁がほぼ完全な形で残っている観光都市でもあります。毎年どんどん規模が拡大しているような気もしますが、今年も多くの参加者で賑わっていました。写真は、メイン会場でダンサーたちがパフォーマンスしているところです。
日本文化を英国北アイルランドに伝えるという意味で、とても貴重な機会だと思います。今後もどうか永く続いて欲しいと願っております。


その後、25日の夜は国境を越えてアイルランドへ行き(本当に国境は完全に解放されているので道の途中でパスポート提示などもありません)、ドネゴール Donegalの郊外のホテルで宿泊しました。写真は、そのホテルのそばから見た大西洋です。
基本的に今の時期はあまり天気が良くないこともあり、私たちも晴天でドネゴールの綺麗な海を見ることはできませんでした。その昔、多くのアイルランド移民があの海を超えて米国へ渡ったのだと思うと、すこし感慨深いものがありました。


ドネゴールから海岸沿いの国道を南下してスライゴー Sligoの街へ行く途中に見えたのが、有名な「ベンバルベン Ben bulbin」の山でした。スライゴーの町の北側に位置し、独特の形がとても印象的です。ベンバルベンは、アイルランドで始めてノーベル文学賞を受賞した詩人ウィリアム・イェイツ William B. Yeatsの精神的故郷であり、ベンバルベンが見える古ぼけた小さな協会の片隅に彼は今も眠っています。


辿り着いたスライゴーの街中を小川が流れていました。幸運にもここで晴天となり、綺麗な街並を散歩することが出来ました。川には可愛らしい橋が架かり、犬の散歩をする人がのんびり歩いていました。街の中のパブで食べた濃厚なクラムチャウダーはとても美味しかったです。


スライゴーからさらに南下してゴールウェイ Galwayへ向かう途中、アッシュフォード城 Ashford Castleを訪ねました。アイルランド随一のホテルとして名高いこの城は、実に広大であり、綺麗に整備されたゴルフコースや庭園は一見の価値があります。城内には入りませんでしたが、カフェでお茶を飲んでから、城の周りをゆっくりと散歩することが出来ました。
素晴らしい体験でした。


そして、26日日曜日はゴールウェイで宿泊しました。写真はメインストリートの一つであるキーストリート Quay Streetの夕方のものですが、多くの人々でごった返していました。メインストリートはあまり広くありませんが、旧市街の一角として、数百年の歴史を有する店が建ち並んでいます。ゴールウェイを代表する指輪であるクラダリング Claddagh Ringもこの通りで多く売られています。とくに1750年発祥のディロン Thomas Dillon’s Claddagh Goldでは、店内にアイルランドで一番小さい博物館があります。
クラダリングは付けている向きによって色々な意味を持つ指輪で、アイルランドは多くの方々がこの指輪を付けていますね。



27日月曜日はアイルランド国立大学ゴールウェイ校 National University of Ireland Galwayを訪ねてきました。1845年に開学したこの学術機関は、もともとは私が現在所属しているクイーンズ大学ベルファスト Queen's University Belfastの分校でした。しかし、アイルランドの独立を機に、アイルランド国立大学の一角となり、現在に至ります。
写真は、キャンパス内にある動物学・海洋生物学博物館のものです。欧米の大学の多くは、このように貴重な大学所蔵品を一般公開しており、大学附属博物館を運営します。旧帝国大学など日本の国立大学でも同様の試みはされていますが、やはりコレクションの数が違うような気がしていますね。

英国メイ首相ついに退陣へ ~Brexitはどうなるのか?

2019-05-23 | 2019年イベント
英国テリーザ・メイTheresa May首相が5月24日金曜日についに辞任を表明するとあちこちで報道されています。
フォークランド紛争を戦ったマーガレット・サッチャー Margaret Thatcher元首相のように女性首相はいつも英国が厳しい局面を迎えるときに登極するものですが、メイ首相もまた英国の2人目の女性首相として厳しい情勢がずっと続いていました。欧州連合(EU)からの離脱をついに実現できまま、離脱の是非について民意を問う2度目の国民投票の可能性を述べたのは記憶に新しいところです。第2次メイ内閣で庶民院院内総務だったアンドレア・レッドサム Andrea Leadsom女史からの最後通牒もあって、どうやら辞任を決断したようです。

次の与党・保守党党首も、誰になるのか判りませんが、状況はとても厳しいでしょう。党首選では、すでに出馬の意向を示している離脱強硬派が優勢を占めるとの見通しもあるようです。後任の首相は、さらに強引にBrexit(英国EU離脱)をすすめ、合意の有無を問わずEUから離脱しようとするのかもしれません。しかし、保守党の中にさえもEU残留派がおり、最大野党の労働党もEUへの残留を主張している現状を鑑みると、離脱を強行することは実際には容易ではないでしょうね。

今後の保守党の党首選と、新首相の動向に、これからの英国の命運がかかっています。

さよなら平成、そして令和へ

2019-04-30 | 2019年イベント
2019年中に年号が代わることになるのは、もちろん知ってはいましたが、いざ実際にその時を迎えると感慨深いものがあります。
大正の頃に「降る雪や明治は遠くなりにけり」という句が詠まれましたが、私もいつか改めて平成という時代を静かに省みる日が来るのでしょうか。私自身は昭和生まれですが、ものごころがついた頃は、すでに平成の世になっていました。したがって、私の青春は平成とともにあった訳です。だから、ある種の名残惜しさを抱きながら、「平成よ、さよなら」と言いたいような気持ちもあるのですね。

「年号」というシステムは、現在、日本くらいでしか運用されていません。もちろん、英国にもありません。ただ、例えば英国においても、大英帝国をヴィクトリア女王が統治していた時代を「ヴィクトリア朝 Victorian era」などと呼ぶことはあります。しかし、当然ですが、「ヴィクトリア朝24年2月に◯◯がロンドンで発生した」「ヴィクトリア朝7年の秋にアイルランドが××を起こした」という言い方をすることはなく、西暦以外のはっきりとした年号を用いている日本とは異なります。
西暦との併用を含めて年号制定をめぐっては様々な意見があるのは承知していますが、私自身は(ほぼ)日本独自の制度となった、このユニークな年号というものをもっと大事にしてもいいのではないかと思っています。

私事ではありますが、今年は英国での大学院卒業だけでなく、新しい病院への就職、北欧出張や、プライベートでも結婚など様々なイベントを控えており、私にとって非常に多忙な年になります。時代が令和に代わるとともに、私自身も一つの区切りを迎えることになります。
令和元年、心機一転、頑張ります。

イースター休暇 in マラガ & ミハス ~スペイン・アンダルシア地方

2019-04-28 | 2019年イベント
こんにちは。週1回くらいは本ブログを更新したいと思いつつも、最近、なかなか時間がとれずにいました。以前のようにほぼ毎日は更新できないですが、それでも週1、2回は更新していきたいと考えています。
さて、今月19日の聖金曜日から復活祭(イースター)が始まり、一般に、その後1週間くらいは(学校にも依りますが)休暇が続きます。私の所属する研究センターも、もちろん実験中の方々の都合もあるので完全に閉まることはありませんが、基本的には休日に準じた体制でした。つまり、休みみたいなものです。そこで、私も英国に来て初めて本格的なイースター休暇を取得しました。

行き先はスペイン・アンダルシア地方のマラガ Malagaとミハス Mijas!
いわゆる太陽の海岸(コスタ・デル・ソル)であります。


マラガという街は、「巨匠」パブロ・ピカソ(Pablo Picasso)の故郷であり、地中海に面した風光明媚な場所にあります。紀元前700年代にフェニキア人によって建設されたという世界有数の歴史を持つ都市であり、コスタ・デル・ソルの中心地として世界中から観光客が集まります。
私もこの陽気で美しい街に2日ほど滞在して、あちこちを観光しました。そして、北アイルランドではなかなか見られない太陽の恵みと、パエリアなどの美味しい料理をエンジョイしました!


この写真は、マラガの中心に立つ大聖堂です。上の写真は大聖堂の内部ですが、500年以上の歴史を誇る大聖堂は壮麗であり、現実とは隔絶した「聖域」とでも言うべき厳かな空間でした。フランコ政権下においても保護の対象だったこの大聖堂は、その長い歴史の中で蓄積された教会美術品や記録を現代に伝える「語り部」でもあります。


この写真の「ピカソの生まれた家」は現存しており、今はピカソ財団によって管理されています。内部では、ピカソの幼少時代を知ることができる展示があります。他にも、ピカソ美術館(生前にピカソが故郷に設立を希望し、ピカソの絵画、彫刻、映像作品が展示されている)があり、マラガにおいてピカソの足跡は今も大切に保管されていました。


旧市街地の郊外には、街を一望できる小高い丘があり、城跡があります。たしかにこの遺跡から見る風景は素晴らしく、一見の価値があると思いました。幼き日のピカソも街を見下ろす光景を見ていたのでしょうか。
地中海と、マラガの街を見ていると、色々とつまらないことで悩んでいた自分がとてもちっぽけに感じられました。


上の写真は、マラガから電車とバスで1時間20分くらい離れた、ミハスの街です。白で統一された美しい街並で知られており、多くの観光客で賑わっていました。

まあ、素晴らしい光景と美味しい料理を含めて色々と楽しんできたわけですが、一番痛感させられたのは「欧州諸国はお互いが近くて往来が楽だ」ということです。北アイルランドのベルファスト Belfastからマラガへは飛行機の直行便でわずか3時間です。まだ肌寒い北アイルランドから、暖かくて陽光に満ちたスペインにすぐに遊びに来ることができるのですね。
日本からだとマラガやミハスのあるスペイン・アンダルシア地方に来るのは大変なのに、欧州にさえ、居ればあちこちの有名な観光地に行くのがとても楽です。ベルファストという英国の片隅からでもスペイン旅行は簡単です。
ホント、便利なものですねえ。

Good Fridayと卵 ~復活祭のBelfast

2019-04-20 | 2019年イベント
昨日19日は復活祭(イースター)の聖金曜日Good Fridayでした。21年前のGood Fridayに英国とアイルランドの間で合意が結ばれ、北アイルランド紛争に一つの区切りがつきました(従って、この合意のことはGood Friday Agreementと呼ばれることがあります)。それから長い時間が経ち、Brexit(英国EU離脱)をめぐって、英国とアイルランドの間に再びある種の緊張が高まっている状況で、アイルランドと国境を接している英国北アイルランドの首都Belfastで今年のGood Fridayを迎えました。
とはいえ、街の中の雰囲気は楽しげであり、パレードなどのイベントもありました。

Good Fridayは基本的に大学が休みで時間があるので、街の中をゆっくり散歩してみました。
上の写真は、Belfastの街中にあった卵のオブジェです。
キリスト教の慣習にあまり詳しくない方は「なぜ卵が?」と思われるかもしれません。卵は、処刑されたイエス・キリストの「復活する命」の象徴です。私自身は、キリスト教系の中高一貫校を卒業しており、イースターのことは昔から知っていました。
日本ではあまりメジャーではないかもしれませんが、こちらでは「復活する命」の象徴である卵として、鶏卵はもちろん、チョコレートでできた卵などまであちこちで沢山売られています。とにかく、街のどこにでも卵があるのですね。

晴天にも恵まれて、大勢の方々が日光浴を楽しんでいました。
こちらの桜はまだ花が散ってはおらず、綺麗に咲いていましたね。



Brexit(英国EU離脱)再延期について

2019-04-13 | 2019年イベント
皆さんも御存知の通り、再びBrexit(英国EU離脱)が延期されることになりました。期限は最長で10月までであり、一部ではまるでゾンビのようなメイ政権とかけて「ハロウィーンBrexit」とも呼ばれているようです。

Brexitが起きると英国北アイルランドは、EU加盟国であるアイルランドと国境を接しているだけに、かなり混乱が生じると思われます。しかし、Belfastの街と、Queen'sの学内にとくに慌てた雰囲気はなく、淡々とした日常を送っていました。たしかに大学からは先月に「Brexitによる混乱を最小限にする」という旨のメールが届いたりもしましたが、しかし具体的に何か大規模な変化が身の回りで起きている印象はありません。
ちょっぴり拍子抜けしている部分もありますが…

新しい出発と新しい年号

2019-04-02 | 2019年イベント
4月1日に英国北アイルランドに再び戻ってきたので本ブログを再開します。
英国に戻る頃には「Brexit(EU離脱)の後だな、どうなっているのかな」と思ったものですが、合意なき離脱を避けるための交渉が続けられており、今のところ英国はEUに留まっています。ヒースロー空港でもボーダー(入国審査)で「UKとEU」と「Non-EU(EU圏外)」に相変わらず分けられており、「全然変わってないな」と安堵しました。
2ヶ月も何をしていたのかを説明するのは一言で難しいですが、あえて言うならば「変化」というところでしょうか。実際、私をとりまく色々なことが変わりました。とはいえ、留学当初の目標は変わりません。大学院留学は今年で終わる予定です。頑張ります。

新元号「令和 Reiwa」が発表されている時は機上にいました。
ヒースロー空港に着いた時に新元号を知りましたが、意外な言葉で驚きました。令という字は「令嬢の令」だなという印象があり、尊いというか、敬われるという意味があることは知っていましたから、令和というのは「和を以て尊しとなす」という聖徳太子の言葉をなんとなく想起させられました。元号としては、悪くはないのではないでしょうか。

ところで上の写真はBBCのものですが、元号をimperial eraと訳す向きが英国にはあります。
imperial eraというのは直訳すると「帝国の時代」になります。たしかに現在の元号法では「元号は皇位の継承があった時に改める」とされていて、元号は皇位の継承と今は無関係ではありませんが、imperialという表現はちょっといかがなものかと思いました。明治以前の改元では皇位の継承とは無関係であり、ただの紀年法の一つでしかありませんでした。そのような成り立ちを知る私としては、なんとなく違和感を覚える訳し方ではありました。

なんとなくではありますが、元号が変わると、リセットされたような気になります。
平成は過ぎてゆくのだなということが身にしみて判るというか、一つの時代が終わるという寂寥感を覚えますが、一方で新しい時代が始まるというワクワク感もあるのです。私も新しく頑張っていきたい。新たな出発としたいと思いました。

しばしのお別れ ~一時帰国へ

2019-01-25 | 2019年イベント
今夜は花言葉のお勉強。まずシクラメン、花言葉は『疑惑』。ソメイヨシノ、花言葉は『美しい人』。シダレグワ、花言葉は『智恵』。そしてミヤコワスレ。花言葉は『しばしの別れ』。古畑任三郎でした。

という印象的なイントロダクションから始まる古畑任三郎のTVドラマが私は好きでした。
古畑任三郎、踊る大捜査線など、90年代後半から00年代前半くらいにかけてのTVドラマはやはり面白かったように思います。北海道では『水曜どうでしょう』などもこの時期に好評を博していましたね。もう近頃はTVを観るという習慣が私はなくなってしまいましたが(アホな番組ばかりになってしまった気がします)、今でも時々、懐かしく思い出すことがあります。

最近、日本から新しい留学生の方がお見えになって、すこし嬉しかったというか、どうやら楽しくなりそうな気がしていたのでした。しかし、残念ながら、私はこのタイミングで日本へ一時帰国致します。しばしのお別れ、というやつです。ミヤコワスレ。日本に帰ったら、やることは沢山ありますが、東北大でしばらく仕事をやらせて頂くことになるでしょう。もしかしたら、これが東北での最後のおつとめになるかもしれません。一所懸命頑張りたいと思います。
それでは