「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

天野之弥氏の御逝去

2019-07-23 | 学術全般に関して
日本に一時帰国中です。公私にわたって色々な事がありましたので、ブログ記事を更新しようと思う機会はありましたが、蒸し暑さと忙しさでとてもバテていました。7月中旬に高円宮妃久子殿下に拝謁して、私の研究内容をご説明申し上げた日は、さすがに興奮したので、このブログ記事を書こうかとも思いましたが、いかんせん時間がとれませんでした。

しかし、そんなに多忙な日本滞在中にブログ記事を更新したのはなぜか。それは先日、IAEA事務局長だった天野之弥氏が在任中に御逝去されたからです。私にとって非常に衝撃的なことでした。

天野さんは私の中学校・高校の先輩でした。私の母校からはなぜか東大法学部を経て外務省に入省される方が多いのですが、天野さんもそのお1人でした。
最後にお目にかかったのは2017年10月にパシフィコ横浜(神奈川県横浜市)で開催された第12回アジア・オセアニア核医学会学術会議(第37回日本核医学技術学会総会学術大会、第7回アジア核医学技術学会国際会議との共同開催)の時でした。したがって、今から2年ほど前になります。
あの時、私は大会長の井上先生に声を掛けて頂き、第12回アジア・オセアニア核医学会学術会議で招待講演をするために英国から一時帰国しておりました(私にとって初めての国際学会の招待講演でした)。その後すぐにメキシコで開催された北米放射線影響学会に参加したため、私は横浜では非常に慌ただしくしていた記憶がありますが、天野さんの特別招待講演時で質疑応答までさせて頂いたのは今でも覚えています。その後、会場でお見かけした際に、すこしご挨拶させて頂きました。

日本の放射線・原子力関係の学術分野、行政分野にいる方々にとって、アジアから初めてのIAEA事務局長になられた天野さんは率直に誇らしかったですし、はっきり言って雲の上の存在でもありました。IAEA事務局長の在任中の2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所事故が発生し、おそらく苦しい立場に陥ったこともあったのではないかと思いますが、10年近く世界の原子力行政・核政策をリードされたのは素晴らしい仕事だったと思います。
最近のお姿を映像では拝見した際に、昔に比べてだいぶ痩せてしまっていて、ご病気の可能性を心配していたところだったのですが…

御冥福をお祈り申し上げます。


1 コメント

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Unknown (ninkatsu80)
2019-07-24 18:33:48
はじめまして。
天野之弥さんは日本人として尊敬する方でした。逝去されたことをニュースで拝見しとても残念な気持ちです。
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