「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

公募戦士の忘備録 ~自身のラボを立ち上げるまで

2022-03-12 | 学術全般に関して
「公募戦士」という俗語があります。
大学などのアカデミアのポスト、例えば教授や准教授の場合、公募で集まった国内外の候補者の中から業績や適性などを鑑みて、採用者が決定されます。近年、国内のポストを巡る競争は厳しくなっており、博士号をもつ研究者であっても希望するポジションを得ることは難しくなっています。1件の公募に対して10や20を超えるような応募者が殺到することも珍しくないと聞きます。このような公募戦線であがいている研究者のことを俗に公募戦士と呼ぶことがあります。

公募に応募するのは、正直、しんどいです。
実際、機関ごとに異なる書式の提出書類を準備しなければなりませんし、ときには上司やメンターからの推薦書も集める必要があります。そうして入念に準備をして応募しても、なかなか書類選考を突破できませんし、面接で落とされることもあります。しかし、国立大学などで自身のラボを立ち上げて、やりたい研究を進めていこうと思えば、やはりこの公募という戦場を避けて通ることはできません。

私もまた、ここ数年、公募戦士として戦線に参加していました。
英国大学院で学位取得の目途が立ってから帰国して、民間病院を経て、医局に戻り、助教をしながら臨床、研究、教育に従事していましたが、「自分のやりたい放射線研究をしたい」と思い、学内外の公募、すなわち旧帝国大学や地方国立大学の教授や准教授の公募に応募していました(私の所属医局にはとても理解のある教授がいたのでたいへん助かりましたが、医局によってはなかなか許してもらえないかもしれません)。
例えば、2019年度に某地方国立大学の教授選に応募したところ、面接を経て、最終候補の一人になりましたが、結局、敗北しました。その時に採用された方は、私よりも10歳以上も年長者でしたが、客観的に見て私よりも研究業績が乏しく、10年、20年後の教室の成長や将来性については火を見るより明らかでした。しかし、それでも負けることもあるのです。研究業績だけが評価軸ではなく、人格、教育実績、そしてコネなどの様々な要素が考慮されます。
2020年度に某旧帝国大学の特任准教授ポストの公募に勝つことができ、2021年1月から着任しました。しかし、そのポストは自身のラボを立ち上げて、好きな研究ができるというポストではなかったし、その他にも色々な問題があったので、引き続き、公募戦線に留まることにしました。そして、2021年度の北海道大学の准教授ポストの公募に挑み、なんとか採用されたのでした。
こうして、なんとか自身のラボを立ち上げることができることになりました。

ラボの運営は、新規性のある成果を出して論文として発表したり、特許を取得しながら、一方で学生や若手研究者を指導して、後進を育成することもしなければなりません。研究と教育を高水準で達成する必要があります。
ラボ設立に向けて期待と不安が胸がいっぱいです。

ベルファストの夏をenjoy

2019-08-12 | 学術全般に関して
家族が日本から来て、この土日は久しぶりにのんびりしました。友人の家でのBBQパーティーにも参加させてもらったり、マーケットをゆっくり見て回ったりと、色々と北アイルランド最後(予定)の夏を楽しむことができました。
友人と「おい、博士論文はどんな感じ?」「今日はそのことを忘れよう」という微笑ましい会話もありましたね。

7月に滞在していた日本の関東は蒸し暑く、非常に身体に負担が大きかったのですが、こちらは比較的涼しく、湿度も低いため、はっきり言って快適です。もう日本に帰りたくなくなる程度には、過ごしやすいです。今はベルファストも晴天が多く、街の緑も色が濃い時期で、景色も美しいのです。
家の近くの公園にはリスもいました。

問題は、やはり博士論文です。
4章まではなんとか終わって180頁くらいは書きましたが、あと予定では2章分あります。
8月末までには書き終わりたいのですが。はてさて、どうなることやら。

ようやく論文がアクセプトされた

2019-08-05 | 学術全般に関して
本日、1年以上かかった自分の論文がようやく採択されました。近日中にオンライン掲載される予定ですが、それに合わせて日本の共著者の先生方のプレスリリースがあるかもしれません。
放射線生物学の分野ではブレイクスルーといえる内容を含んでいるので、ScienceやNatureとは言わなくても、それなりにハイインパクトな学術誌に採択してもらいたいと思ってずっと足掻いていた訳ですが、残念ながら思う通りにはなかなか運びませんでしたね。個人的に、色々と勉強になった論文でした。
とはいえ、一つ一つの論文はそれぞれ大切なわが子のような存在です。ようやく形になって外に出ていく機会を得たのですから、世界中の研究者に読んでもらえるといいなと思います。

今日も今日とて博士論文を書いています。
現在、130頁過ぎまで来ました。今週中に3章と4章を書き上げて、指導教官に目を通して頂く予定です。
正直、かなりのプレッシャーですねorz

天野之弥氏の御逝去

2019-07-23 | 学術全般に関して
日本に一時帰国中です。公私にわたって色々な事がありましたので、ブログ記事を更新しようと思う機会はありましたが、蒸し暑さと忙しさでとてもバテていました。7月中旬に高円宮妃久子殿下に拝謁して、私の研究内容をご説明申し上げた日は、さすがに興奮したので、このブログ記事を書こうかとも思いましたが、いかんせん時間がとれませんでした。

しかし、そんなに多忙な日本滞在中にブログ記事を更新したのはなぜか。それは先日、IAEA事務局長だった天野之弥氏が在任中に御逝去されたからです。私にとって非常に衝撃的なことでした。

天野さんは私の中学校・高校の先輩でした。私の母校からはなぜか東大法学部を経て外務省に入省される方が多いのですが、天野さんもそのお1人でした。
最後にお目にかかったのは2017年10月にパシフィコ横浜(神奈川県横浜市)で開催された第12回アジア・オセアニア核医学会学術会議(第37回日本核医学技術学会総会学術大会、第7回アジア核医学技術学会国際会議との共同開催)の時でした。したがって、今から2年ほど前になります。
あの時、私は大会長の井上先生に声を掛けて頂き、第12回アジア・オセアニア核医学会学術会議で招待講演をするために英国から一時帰国しておりました(私にとって初めての国際学会の招待講演でした)。その後すぐにメキシコで開催された北米放射線影響学会に参加したため、私は横浜では非常に慌ただしくしていた記憶がありますが、天野さんの特別招待講演時で質疑応答までさせて頂いたのは今でも覚えています。その後、会場でお見かけした際に、すこしご挨拶させて頂きました。

日本の放射線・原子力関係の学術分野、行政分野にいる方々にとって、アジアから初めてのIAEA事務局長になられた天野さんは率直に誇らしかったですし、はっきり言って雲の上の存在でもありました。IAEA事務局長の在任中の2011年東日本大震災・福島第一原子力発電所事故が発生し、おそらく苦しい立場に陥ったこともあったのではないかと思いますが、10年近く世界の原子力行政・核政策をリードされたのは素晴らしい仕事だったと思います。
最近のお姿を映像では拝見した際に、昔に比べてだいぶ痩せてしまっていて、ご病気の可能性を心配していたところだったのですが…

御冥福をお祈り申し上げます。

天才vs凡人

2019-01-23 | 学術全般に関して
久しぶりに嫉妬心を覚える出来事がありました。
知人がある学術賞を受賞されたことを知りました。おそらくは史上最年少でしょう。彼のことは学生時代から存じ上げていて、若くしてすでに教授になられたのもよく知ってはいますが、学術的には正直「そんな大したことはしてないだろう」と思っていたのでした。しかし、今回受賞された賞は、一応、我が国で最も権威ある機関が認定しているものですから。実際には、その領域では大した業績なのかもしれません。経歴や受賞歴を客観的に見ると、日本の若きホープというか、将来のノーベル賞候補と言っても良いのかもしれませんね。

「だいぶ差をつけられてしまったのかな」というのが最初の印象でした。
私と彼はかつて学生時代にある賞を同時受賞したのですが、その時からまだあまり時間は経っていないような気がしていたものの、実際には、もはや遠い昔になったのかもしれません。それから、彼はあの英国科学誌『Nature』に論文を掲載させて世界的に華々しく活躍していて、一方、私は福島で被災地医療に従事して今は英国の片隅でうずくまっているのですから。かつて同じ場所に立っていたはずなのに、今となっては随分と遠くに来ちまったもんです。たぶん彼は天才なんでしょうけれども、全然違う分野でもあるので、普段はあまり意識してはいませんでした。つまり、もともと競争相手ではありませんから。
しかし、実は、私と同じ分野にもう1人別の若き天才がいるのを、最近、知りました。米国科学誌『Cell』(かつて山中伸弥先生がiPS細胞樹立論文を初めて報告した生物学系の世界トップジャーナル)をパラパラめくっていて、驚愕しました。まさか放射線生物学分野(厳密にはちょっと違うが)からCellに論文を出すとはね…。彼が東大の秘蔵っ子というのは知っていましたが、素晴らしい業績です。こうして、否が応でも意識させられるような天才も出てきました。
いやあ、なんだかんだ言って、日本は安泰なのかもしれませんねえ。これだけ日本の学術・教育振興に対する予算が相対的に削られて、我が国の大学や研究所が退廃的な環境であっても、若き天才たちの芽は出てくるのですから。

やはり、天才には勝てないのでしょうか。
私は凡人です。残念ながら、研究に才能があると思えたことは一度もありません。上記のような天才達に、才能という点では敵わないかもしれません。世界的に注目されるジャーナルに掲載されるような華々しい論文を書くのは今の私にはまだ無理です。凡人だもの。
それならば、私の負けなのか。いや、そうではありません。
たとえば、あと100年後、500年後に学術的に真に価値のある「何か」を遺せるのは誰なのか。それはまだ判りませんから。

私はただ、私が為すべきと信じることを、私の生涯を賭して為すことにしましょう。

研究業績の管理とプロフィールサービス

2018-12-04 | 学術全般に関して
いきなりですが、私はSNSの類が嫌いです。FacebookやLINEはしぶしぶ自分のアカウントを作りましたけど、かつてミクシィからはひたすら距離を置いていたし、Twitterを呟いたりもしていません。インスタって何ですか? カップラーメンの一種ですか?
それでよく現代人やっていけるなと思われるかもしれませんが、まあ、こういう変わり者もいるのです。したがって、医師、研究者になってからも個人情報をアップロードしなくてはいけないプロフィールサービスが私はちょっと苦手でした。

しかし、業績(書籍、論文、学会発表、研究費獲得状況、社会貢献など)が増えていくにつれて、私の小さな脳みそではそれらを管理するのがさすがに難しくなってきました。研究者が研究ポジションを求めて履歴書を出す時や研究費を申請する時などには必ず業績一覧を求められるのですが、最近、その申請内容にすこしミスがあったことに気付きました。慌てて修正したものの、もはや人力の限界を感じさせられたのでした。それに、いちいち申請のたびに業績一覧をまとめていたらキリがありません。時間の無駄です。

ということで、最近、お上(政府)の要請もありますので、researchmap、ORCID、ResearcherIDなどのプロフィールサービスを整備して、自分のプロフィールや研究業績をクラウド化してまとめておくことにしました。しかし、その入力も幾つかの項目にはインポートサービスがあるものの、もちろん自分の手で入力しなければならない項目も多く、なかなか作業が大変でした。自分の場合、日本語と英語の両方で整備しなければならないので、すこし苦労させられたのでした。
ここで、「researchmap、ORCID、ResearcherIDって何ですか?」と疑問を覚えた方々もいらっしゃるかと思います。現在、日本で研究している人、あるいは日本人だけど海外で研究している人は、まともに研究するためには、おそらく最低でもこの3つのプロフィールサービスを使う必要があると思われます。

researchmap
日本語ベースの研究者総覧サービスです。基本的には日本人の日本人による日本人のためだけのプロフィールサービスと思われます(もちろん日本に居る外国人研究者も使っていますが)。文部科学省の研究費などを申請するのに利用されたりするので(つまり日本人研究者はこれを使わざるを得ないように仕組まれているわけで)、大学などの学術機関をベースに研究する人にとっては一番大事なプロフィールサービスとなっています。

ORCID
もともと同姓同名の研究者たちをそれぞれ区別して認識するためのIDを割り振っている国際的かつ公的なサービスだったみたいです。しかし、現在では機能が拡張され、自分の研究業績(とくに論文業績)を一元的に管理するのに使われています。さらに、論文を投稿する際にも、ORCIDと紐付けされて著者情報が入力されるため、かなり便利です。

ResearcherID
おそらく世界で最も利用されている研究者プロフィールサービスでしょう。あのクラリベイト・アナリティクス社が運営しているサービスで、私の周囲でも、皆さん、使っていらっしゃるようです。論文はもちろん、様々な情報を管理できます。

私の場合、さらに自分の査読歴の管理と保証のためにPublonsという査読者プロフィールサービスも利用しています。

この情報氾濫社会において「自分に関する情報をどうやって管理するか」というのはなかなか大変な問題です。研究者として従事する以上は仕方ないのかもしれませんが、その作業は辛いです。
ホント、面倒くさい…orz

かつてアインシュタインは自宅の電話番号を覚えなかったそうです。あの天才が覚えられなかったはずはありませんが、彼はそういう雑事に関心を持てなかったのでしょう。つまり、真に研究に集中したい人たちにとって、そういう下らない情報に気を遣うのはアホくさいわけですね。
もし彼が現代のresearchmapやORCIDやResearcherIDを見たら、一体、何と言ったでしょうか?

ジェームズ・シンプソンを知っていますか? ~麻酔をめぐる小咄

2018-11-12 | 学術全般に関して
今日は大英帝国ヴィクトリア女王の侍医だった英国人医師ジェームズ・シンプソン卿 Sir James Young Simpsonが、1847年にクロロホルムを麻薬として初めて手術に用いた日です。

我が国では医聖と呼ばれた華岡青洲が1804年に通仙散による全身麻酔下で乳癌の摘出手術に成功していますが、欧米では1842年に米国でクローフォード・ロング医師 Dr. Crawford Longがエーテルを麻酔として初めて用いて手術し、1846年10月16日にマサチューセッツ総合病院でウィリアム・モートン歯科医師 Dr. William T. G. Mortonがエーテル麻酔を用いた公開手術を行ったことで知られています。とくに1846年公開実験後のロングとモートンの諍いは有名ですね。

シンプソンは、麻酔効果が当時不安定とされていたエーテルではなく、クロロホルムを新しい麻酔薬として考案しました。実際に、ヴィクトリア女王の分娩時にも使用したと言われています(現在で言う無痛分娩みたいなものでしょうかね)。
しかし、よく推理小説などでも使われているように、クロロホルムは患者の意識を低下させるだけでなく、ときに心停止にまで至らしめることもありました。極めて危険な薬であり、現在では麻酔として使われることはありません。実際、クロロホルムを麻酔として用いたことで欧米では死亡事故が多発し、少なくとも数万人の方々が当時亡くなったと言われています。

医学上、全身麻酔は確かに有益であり、侵襲性の高い手技の安全性を飛躍的に高めたと言えます。しかし、人体実験と言ったら怒られるかもしれませんが、麻酔学黎明期には色々な悲劇的な出来事がありました。医療をめぐる人間ドラマとしてはなかなか興味深いテーマでもあり、日本でも『華岡青洲の妻』などは有名です。

余談ですが、全身麻酔が出現した後も長きにわたって、麻酔学は外科学のあくまで一分野にすぎず、独立した診療科領域としては認められませんでした。残念ながら、今でも麻酔科医を格下にみるバカな外科医は日本の田舎に多いです。しかし、現在医学においては、麻酔科学領域はもはや匠の業といいますか、たいへん高度な学術的、技術的な素養が求められる分野として確立されています。つまり、プロフェッショナルであります。私自身は全身麻酔を今までに体験したことはありませんが、全身管理のプロである麻酔科の先生方を侮ることなんて、そんな恐ろしい真似はとても出来ませんね。

Brexitに対する英国科学界の懸念

2018-10-25 | 学術全般に関して
よく知られている通り、Brexit(英国による欧州連合離脱)は2019年3月29日午後11時(英国時間)に予定されており、英国がEUに留まる残り時間はもう半年もない状況です。

このBrexitを目前に控えて、ノーベル賞受賞者ら英国科学界の大御所達が英国政府に「英国と欧州の科学へのダメージを避け、国境を越えた人材とアイデアの交流を保ってほしい」と要望したことが今週BBCによって報道されたばかりですが、さらに、10月25日の英国発の国際科学誌『ネイチャー Nature』でも「英国の大学がEU離脱を目前に研究資金確保のためEU加盟国の機関との連携を求める」という記事を掲載しました(上写真)。これらの動きからは英国科学界の深刻な焦りを感じられます。

英国の科学界は世界で1、2を争いながら、つまり米国と熾烈な競争を繰り広げながら、その指導的な地位を長年にわたって守ってきました。
その背景には、英語圏であるアドバンテージを最大限に活かして、EU諸国から優秀な人材を吸い上げるという構造がありました。実際、オックスフォード大学やケンブリッジ大学を含む英国の研究型公立大学連合『ラッセルグループ Russell Group』においては、その研究推進力をEU諸外国から来た研究者達と研究資金が担ってきた面がありました。しかし、もし英国がBrexitを強行したせいで、EU資本(人材と資金)が英国に流入しなくなってしまったら、英国の地位を守り続けることが困難であるのは自明です。
したがって、移民の受け入れを拒否できて無邪気に喜ぶ方々を横目で見ながら、科学界では真剣にその損酷な影響が懸念されてきたのでした。本学でもBrexitによる懸念は強く、とくにEUから研究助成を受けることが出来なくなるのを防ぐために、積極的にEU諸国との連携を深めているようです。

さて、一体、どうなることやら…

すこし穿った見方をすると、英国の窮地は、日本の好機でもあります。
つまり、英国から流出するとみられる優秀な人材を出来るだけ多く引き込むなど、日本の科学的地位を底上げする好機でもあるのです。実際、シンガポールやオーストラリアなどから研究者に対する求人が現在英国に集中しています。例えば、私の所属する研究センターでもBrexitを前にして、がん研究の優秀な研究者達がオーストラリアの学術機関にかなり引き抜かれてしまいました。
しかし、残念ながら、今の日本には今回のBrexitに便乗して英国から優秀な人材を大量に確保しようという野心的な動きはなさそうに見えます。英国の研究競争力が低下すれば、その分相対的に日本の競争力が向上して、差を詰めるチャンスなのですが。まあ、「科学技術立国」等の美辞麗句は大好きなくせに、科学振興策の中身が伴わないのは今に始まったことではありませんが…

日本は、たぶん、すこしのんびりしすぎです。

Flash Radiotherapyというパワーワード

2018-10-25 | 学術全般に関して
今日は私が所属する研究センターで「Flash Radiotherapy」と題したセミナーが開催されました。

放射線科医の端くれではあるものの、恥ずかしながら私自身はFlash Radiotherapyという用語を聞いたことがなかったので、事前にGoogle大先生に伺ったところ、「それは超高線量率放射線治療 Radiotherapy at ultra-high dose rateのことじゃよ、ほっほっほ」とのことでした(さすがGoogle大先生は何でも御存知だな)。

いきなり高線量の放射線をまるで「フラッシュ Flash」のように照射すると、正常組織への有害事象や副作用を減らせて、かつ腫瘍組織への効果もちゃんと得られるということで、その分子メカニズムは不明であるものの、動物実験レベルではかなり期待できる結果が出ていました。また、発表者の先生は触れていませんでしたが、肺のように動いてしまう組織ではターゲットがあまり動かないで済むのでFlash Radiotherapyのように極めて短い時間で放射線を照射した方が成績は良好であると考えられます。

特別な放射線照射装置は必要ですが、基本的にはLINAC治療の応用にとどまるレベルなので、放射線治療施設がある病院ならば、近い将来に応用できそうな印象を受けました。講師の先生は北欧屈指の研究大学であるスウェーデンのルンド大学 Lund Universsityの医学物理士の方でしたが、スウェーデンでは近くヒトを対象とした治験、臨床応用へ向けて動いているとのことでした。

いや~、凄いですね、Flash Radiotherapyは。常識的に考えると、あまり高線量率の放射線を照射すると生物学的効果が低下しそうな気がするのですが、たしかに正常組織への侵襲は抑えられそうです。なかなか印象的なセミナーとなりました。

日本では、欧米と比較して、放射線治療はあまり普及していません。これは日本のお国柄といいますか、広島、長崎の原爆被ばく国としては当たり前なのかもしれませんが、「放射線」というものに対して患者さん側の忌避感があるからではないかという話もあります。しかし、たしかに放射線は両刃の刃ではありますが、上手に利用してさえすれば、とても効果的な治療法にもなりえます。

現在、放射線治療の分野は、重粒子線治療なども含めると、まだまだ発展途上の領域ではありますが、外科手術に比べると患者さんにとって負担が大きくなく、腫瘍の局所制御に優れています。また、現在話題の免疫チェックポイント阻害剤と組み合わせることで、想定外の良好な治療成績が出せることが徐々に判ってきています。

私自身は放射線治療医ではありませんが(将来的にはもしかしたら放射線治療を行う側になるかもしれませんが)、日本でももうすこし放射線治療が普及してもいいのではないかと思います。

徳州会でカルチャーショック

2018-07-17 | 学術全般に関して
日本に帰ってきて連日異様な暑さを感じています。身体がすっかり英国北アイルランドに慣れていたこともあって、はっきり言って、バテています。辛いです。しかし、日本でも止まることは許されていません。

今日は、徳州会の総本山とも言うべき、湘南鎌倉総合病院(いわゆる湘鎌)を訪ねました。上の写真は病院を一望する場所からのものです。私の記憶にある限り、湘鎌にはたぶん初めての訪問だったと思われます。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、現在、湘鎌は「新医療センター建設」と「新医療大学創立」の事業を抱えており、まさに変革の時を迎えています。とくに後者は、鎌倉の地に新しい4年制の医療系大学を作るという壮大なもので、地元の医療福祉への影響力は大きいでしょう。徳田ファミリーに関する報道の件もあって、徳州会はあまり良いイメージが持たれていないこともありますが、今回の訪問ではそのような古い印象を一新するかのような「カルチャーショック」を受けました。

来年以降、日本に帰国してから、徳州会に就職することもあるかもしれません。別に徳州会に限らず、自分を必要としてくれる場所、自分の力が発揮できる場所、自分が成長できる場所から選ぶつもりですが。候補は多い方が良いですから。

衛生学の巨人 James Lind

2018-07-13 | 学術全般に関して
日本では酷暑が続き、西日本集中豪雨の被害もより深刻になってきていますが、皆様も暑さに負けずに体調管理には十分に留意して下さい。日本で臨床をしていた頃、このくらいの時期から熱中症によって救急車で病院に搬送されるような患者さんも多く診ていたような記憶があります。

さて、本日7月13日は、上の肖像画の英国医師・衛生学者ジェームズ・リンド博士 Dr James Lind が1794年に亡くなった日です。
彼は海軍において、世界で初めて疫学的手法を用いて壊血病と新鮮な野菜や果物の不足の因果関係を示した人物と言われています。彼の偉大な功績によって、大英帝国が誇る世界最強の海軍はついに壊血病を克服したのでした。英国人のことを「ライム野郎 limey」と呼ぶスラングは、リンドによって英国海軍が壊血病予防としてライム果汁を導入したことに由来すると言われています。

日本でよく知られているように、東京慈恵会医科大学創設者の高木兼広医師は、明治17年(1884年)に軍艦「筑波」による航海実験を行って、兵食改革(洋食+麦飯)によって脚気の発生率と死亡数が激減することを疫学的に示しました。これは日本疫学研究の黎明期の偉業と言えますが、リンドに遅れること約100年でした。後にビタミンB1不足が脚気の原因であることが分かり、日本の「国民病」とも言われた脚気はようやく予防、治療できるようになりました。

リンドや高木の功績にみられる学術分野を「衛生学 hygiene」と呼びます。
現在では衛生学の対象は多岐にわたり、学問分野としてはきわめて広大なものになっていますが、基本的には「健康に影響を及ぼす様々なリスクを推定して、その予防活動に結びつける学問」です。一昔前に国内の医学部では衛生学の講座を廃するところが増えて、現在ではあまり衛生学の研究を行うグループは多くありません。しかし、予防医学の重要性が年々増してきて、今は医学においてとても重要な学問分野であると私は思います。原因はともかくとして、リンドや高木の成果のように、「病気と原因の因果関係とリスクを明らかにする」ことで多くの患者さんが救われることから、実学という意味においてもきわめて有用です。

私はたまたまリンド博士が亡くなられた日が今日であることを知りましたが、「衛生学」のこれまでの歴史と現代医学における貢献の大きさを振り返り、改めて衛生学の重要性をつくづく感じさせられたのでした。

日本免疫学の巨人・石坂公成先生の御逝去

2018-07-10 | 学術全般に関して
アレルギー反応に関与する免疫グロブリンIgEを発見したことで名高い石坂公成先生が先週亡くなられていたことを知りました。晩年は奥様の看病もあって、ずっと山形で過ごしていらっしゃるのは存じ上げておりました。

残念ながら、私は直接の面識はありませんが、石坂先生の弟子に当たる先生方のうち幾人かにはとてもお世話になりましたし、石坂先生のご業績については昔から存じ上げておりました。石坂先生と言えば、奥様の照子先生と一緒に、免疫学分野で世界的に活躍した初めての日本人免疫学者です。さらに、多田富雄先生(東京大学名誉教授)、岸本忠三先生(大阪大学名誉教授、元総長)などの日本を代表する免疫学者を指導したことでも知られます。
IgE発見とアレルギー反応に関する研究業績は世界をリードし、ノーベル賞候補にも挙げられ、ガードナー国際賞など世界的に著名な医学賞を受賞されました。教育者としても、かの米国ジョンス・ホプキンス大学医学部教授・医学部長になり、日本人として初めて米国免疫学会会長などを歴任されています。
つまり、一言で言うと「日本の至宝」といっても過言ではない医学者でした。

現在、日本のお家芸と言われるほど、免疫学分野では世界をリードしています。
存命の研究者だけでも、抗体生成の遺伝的原理の解明によってノーベル賞を受賞した利根川進博士、IL6を発見し、その抗体薬を開発して、自己免疫疾患治療にまさに革命をおこした岸本忠三博士などをはじめ、本庶佑博士、谷口維紹博士、長田重一博士、平野俊夫博士、坂口志文博士、審良静男博士など、世界の超一流と目される免疫学者は枚挙に暇がありません。
前述の通り、石坂先生は岸本先生などの多くの日本人免疫学者の師匠筋に当たりますので、つまり、日本の免疫学の父と言ってもいい方だろうと思われます。大きな影響、それもとても良い影響を日本の免疫学界に与えた恩人でした。

現在、IgEを知らない医者はいません(いたらモグリです)、なぜならば、医学部の免疫学の教科書において免疫グロブリンIgEの記載がないものは存在しないからです。IgEが関与するアレルギーの発症機序を明らかにした功績は人類全体にとってとても大きいものでした。アレルギーで苦しむ多くの人達を救う偉大な成果といえるでしょう。

日本からまたひとり、偉大な医学者が去ってしまいました…
ご冥福をお祈り申し上げます。

新しい免疫療法が乳がん患者の命を救う

2018-06-04 | 学術全般に関して
国際医学誌 Nature Medicine上で本日公開された論文「体細胞変異の免疫認識が転移性乳がんの完全かつ永続的な消滅を導く(私の適当な日本語訳)」があちこちで話題になっていますね。米国NIHの研究グループが発表したこの成果は、「末期乳がん患者にも希望を与える」として英国BBCでも採り上げられ、うちの研究センターでも乳がん研究ラボの方々が驚いていました。

Zacharakis et al. Immune recognition of somatic mutations leading to complete durable regression in metastatic breast cancer. Nature Medicine (2018). doi:10.1038/s41591-018-0040-8

要旨をざっくり言うと、患者の乳がん細胞における4つの体細胞変異(生殖細胞変異ではない)を特異的に認識する腫瘍浸潤リンパ球を、IL2と免疫チェックポイント阻害剤と共に患者に投与したら、これまで22ヶ月以上にわたってがん細胞の完全な消滅が認められているということですね。
転移乳がんを完全かつ永続的に消滅させているということで治療効果ははっきり劇的ですし、新しい免疫療法の可能性を示すという意味においても、たしかに重要な論文だろうと思われます。これまでのがん免疫療法の研究の流れに詳しいわけではないので、正直言って、この論文にどのくらいインパクトがあるのかは判りませんが、専門外の私が読んでも「まあ、そういうこともあるだろうな」と納得できるような気がしました。従来の予想を裏切っているわけではないので画期的とまでは言えないかもしれませんが、患者さんに試してみて実際に劇的な治療効果が認められたというのはやはり臨床的にはとても意義深く、医療従事者にとっても患者さんにとってもご家族にとっても励まされる内容でしょう。

それにしても近年のがん免疫療法の研究の発展は凄まじいものがあります。
私が医学生だった頃、がんプロフェッショナルプランの策定とともに全国の各医学部にすこしずつ腫瘍内科講座が整備されはじめていたものの、がん免疫療法の講義なんてありませんでした。今はまるでがん免疫療法の大家のような顔をしていらっしゃる日本の先生も、当時、「がん治療において有望」だなんて言っていた方はいらっしゃらなかったように思います。いわゆる民間療法では存在していたのかもしれませんが、それらは科学的な裏付けがほとんどないデタラメな治療だったはずです。
がん免疫療法は、感覚的には、ここ5年くらいの間に一気にがん治療の中心に躍り出たような気がします。免疫チェックポイント阻害剤はすでにメジャーな存在となっていますが、これから腫瘍特異的な変異を免疫認識させる治療法がどんどん出てくると、一昔前に比べてがん治療の現場はきっと一変することでしょう。2000年代に外来化学療法が普及したことでがん治療の現場は大きく変わったのですが、2010年代は「がん免疫療法の登場」が一つのエポックメイキングとして記憶されることになるでしょう。

私がかつてお世話になったある看護師さんは残念ながら乳がんで亡くなられたのですが、彼女が生きている時にこういう治療法が出ていればと。この論文を読みながら、ふとそんなことを思いました。

ジェイムス・フランクとフランクレポート

2018-05-20 | 学術全般に関して
5月21日はジェイムス・フランク James Franckが亡くなった日です。おそらく多くの方々はノーベル賞を受賞したこの物理学者の名を知らないと思いますが、彼の名を冠した「フランクレポート Franck Report」は原子力・放射線学界では知られています。

1945年6月に米国大統領諮問委員会に提出されたこのレポートは、核兵器の製造に関わった科学者を中心に、第二次世界大戦末期における日本への原爆の無勧告使用の見直しと、戦後の核兵器管理体制の構築の必要性を訴えたものです。結局、フランクレポートは日本への原爆投下と戦後の核兵器開発競争を防ぐことは出来ませんでしたが、その後、世界平和を希求する科学者たちが核兵器について警鐘を鳴らす(核戦争を防ぐ)活動に取り組む契機となりました。湯川秀樹が参加した「ラッセル=アインシュタイン宣言」もその影響を受けていると思われます。

ジェイムス・フランクは1925年にノーベル賞を受賞したドイツを代表する物理学者でしたが、ユダヤ系ドイツ人であったためナチスから逃れてアメリカへ渡りました。当時、核兵器の開発に着手していたナチスと対抗するため、連合国側は「マンハッタン計画」と呼ばれる核兵器の製造に取り組みましたが、彼は亡命物理学者の立場でその計画に協力したのです。

アインシュタインが当時の米国大統領ルーズベルトに「ドイツよりも先に核兵器を作らなければならない」という旨の手紙を書くほど、当時、アメリカの科学者たちはナチス・ドイツによる核兵器の開発と使用を恐れていました。結局、ナチスは核兵器を使用することなく1945年春に降伏し、核戦争の恐怖は遠のいたかに見えました。
しかし、米国政府はせっかく製造の目処が立った原爆を日本本土に使用することにしました。
とくに人口が多い都市部に落として、その生物学影響(どれくらい死ぬか)だけでなく、社会的、政治的な影響を確認しようとしたのです。日本が誇る古都・京都がそれまで爆撃されなかったのは、単にその候補地だった為でしょう(「ウォーナーリスト」のおかげではないと私は思います)。
総力戦だから仕方ないということを仰る人もいますが、当時の米国政府が、ナチスに代わって、「世界で最初にして唯一、核兵器を使用した」ことの歴史的意義は非常に複雑であり、容易に解釈できません。実際、広島と長崎では、多くの非戦闘員が無くなりました。原爆の日本本土での使用は「戦場で軍人(戦闘員)を倒す(殺す)のとは明らかに異なる思惑があった」ということに私たちは留意しておくべきだろうと思います。

ジェイムス・フランクらは広島に原爆が投下される前、核兵器という前代未聞の破壊兵器が生み出す社会的影響を検討し、その慎重な使用と管理をフランクレポートにまとめたのでした。フランクが本当のところ何を考えながらそのレポートを提出したのか、現在の私たちにはその正確な思惑までは判りませんが、少なくともレポートを作成した科学者たちが非常に大きな懸念を抱いていたことは伝わります。
私が広島平和記念資料館を初めて訪れたのは高校生の頃でしたが、『はだしのゲン』という漫画や『黒い雨』などの小説を通じて、小学生の頃から原爆などの核兵器については色々と考えさせられてきました。そして、「そんなモノを作った奴らは一体どんな気持ちで作ったのか」と思ったものです。とはいえ、後年になってから、当時の連合国側の研究者たちの葛藤や、苦悩、懸念についても、すこしは察することができるようになりました。

科学の発展は、多くの人達を助けることにも、そして多くの人達を殺すことにもつながります。科学者の端くれとしては、ジェイムス・フランクやフランクレポートについては、今でも、色々と考えさせられるのです。

英国-アイルランド共和国合同イベントとしての学会

2018-05-14 | 学術全般に関して
英国北アイルランドは、文字通りアイルランド島の北にあり、南のアイルランド共和国と非常に密接な関わりを持つ地域です。したがって、北アイルランド首都ベルファスト Belfastにある本学も、英国とアイルランド共和国の両研究コミュニティの橋渡しというか、どちらにも影響を与え、どちらからも影響を受けるという宿命のもとにあります。

さて、そんな本学で、来月、英国放射線学会とアイルランド共和国放射線学会の合同年会が開催されます。上記の通り、おそらく本学だからこそ出来ることです。
大会長は私が普段からお世話になっているKarl氏です。今回北アイルランド出身の彼が大会長なのは、英国とアイルランド共和国の橋渡し役として納得と言えば納得なのですが、アラフォーの研究者が学会開催のまとめ役を務めるというのは、めちゃめちゃ若くて、日本ではありえんレベルですね。日本だと臨床でも基礎でも学会の重鎮と云われるような大学教授たちが持ち回りで大会長を務めるというイメージがあります。しかも、今回は英国とアイルランド共和国の合同開催ということで、一応、国際学会に当たります。「(国際学会の大会長という)大任を、その若さで、よくやるよなぁ」というのが率直な感想です。
ということで、私も同じ部門のよしみで演題を提出しています。まあ、国際学会での発表の経験は自分にとっても糧になりますので。

しかし、この学会準備がちっとも進んでいるように見えないのが、最近、すこし気になっていました。

イベント会場ではなく本学で開催するからには、大会長のKarlはさぞかし大変であろうと思って、今日すこし会った時に聞いてみたら、「大丈夫、大丈夫」と余裕そうな表情でした。その割には、1ヶ月前なのに私の演題の採否の連絡も無いし、プログラムの準備もあまり進んでいません。「どうしてそんなに楽観的なんだよ、おいおい」と思いましたが、良くも悪くも、このようにのほほ~んとしているのが北アイルランドクオリティーだったりします。

それにしても、acccomodation(宿泊施設)の斡旋先がElms villageなのですが…
本学に留学されたことがある学生さんならば判ってもらえると思うのですが、英国とアイルランド共和国の各地から集まる研究者たちに勧められている宿泊施設が、あのElmsです。正直、ビビっています。このElms villageとは学生寮のある場所なのですが、留学生はもちろん学部生の多くが住んでおり、非常にカオスな空間となっています。たしかに、学生の宿舎というだけでなく、(空き室があれば)旅行者も利用できるホテルのような機能もあるのですが、質はお世辞にも高いとは言えません。ぶっちゃけ、嫌な予感しかしませんね。
来月の学会という重大イベントを控えて、不安ばかりが募ります。

最近、なんだか気忙しい感じです。