「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

不可視の両刃「放射線」について

2016-03-29 | はじめに
放射線は、人間の目には見えませんが、1895年にヴィルヘルム・レントゲン博士がX線を発見して以来、数多の科学者によって研究されてきました。
放射線研究黎明期には、アンリ・ベクレル、キュリー夫妻、アーネスト・ラザフォードなど科学史に燦然と輝く偉人たちが、放射線、原子核の研究を強力に推し進めました。その後もマックス・フォン・ラウエによって放射線の波動性が明らかになり、アーサー・コンプトンが「コンプトン効果」を発見し、ハーマン・J・マラーがX線照射による突然変異体の発生を見出しました。とくにハーマン・J・マラーの功績は、放射線生物学、遺伝学はもちろん、様々な領域に多大な影響を与えました。つまり、神秘のベールに包まれていた生命の営みがあくまで物理化学反応の集合に帰結するのではないかと示唆されるきっかけを人類にもたらしました。
この発見は、後のジェームズ・D・ワトソンとフランシス・クリックによるDNA二重らせん構造の提唱へとつながり、分子生物学という一つの大きな学問分野の勃興に至り、「生命の根源的な営みを神の見えざる手が操作する」という神秘的かつ古典的な宗教観を自然科学コミュニティからほぼ完全に排除する結果を導きました。今日、「生命現象は分子レベルでの物理化学反応の集合である」ということを疑う科学者はおそらくいないでしょう。

このように19世紀末から科学の進歩に計り知れない影響を与えてきた放射線ですが、その性質は人類にとってまさに「両刃」です。
医療の現場で診断や治療に使われるばかりではなく、非破壊的検査や、消毒・殺菌など我々の生活を豊かなものにしている一方で、広島、長崎の原子力爆弾投下に代表されるように、過剰な被ばくは生命の営みに深刻な傷害を与える可能性があります。放射線はとても有益ではあるものの、同時に危険も秘めているのです。2011年の福島第一原子力発電所事故は、我々に改めて、放射線が有するこのような二面性を突きつけました。

当ブログのタイトルは、そのような放射線の性質を端的にとらえて、今後、放射線被ばく研究に挑戦していきたいという願いを込めて、決めたものです。

はじめに ~いつか為すべきことを~

2016-03-28 | はじめに
このブログは、私の英国(北アイルランド)ベルファストへの博士号取得を目的とした留学体験について紹介することを目的としています。

放射線医科学研究に取り組もうと考えたのは、2011年東日本大震災および福島第一原子力発電所事故後、医学生ボランティアの一員として福島県を訪ねたことがきっかけでした。
地震、津波、原発事故の三重の苦難を肌で感じ、とくに原発事故で故郷を失った人たちの悲哀を直に見ました。その後、幸運にも、最先端のがん細胞生物学研究を体験的に学ぶためにイギリスの研究所へ短期留学する機会を得て、その際に「福島は今どうなっているのか」「住民の健康はどうなっているのか」「今後日本人は福島をどうしていくのか」と幾度も幾度も聞かれて、答えに窮することがありました。世界の方々のFUKUSHIMAに対する関心の高さを思い知るのと同時に、仮に母国語である日本語で聞かれても満足に応えられなかっただろう自己の浅学を痛感しました。
――悔しかったなあ、とても……。
福島でボランティアに参加した者として、医学生として、日本人として、その体験は心に爪痕として刻まれました。そして、福島を知りたい、福島に行こうと心から思ったのでした。

医学部を卒業後、臨床研修医として2014年から公立相馬総合病院に勤務しました。
大震災直後の混乱期においても、近隣の医療機関が軒並み閉鎖した中で、福島県相双地域で中核病院として唯一診療を継続した病院です。スタッフの多くは、自身も被災者でありながら、地域医療と被災地医療に懸命に従事していました。中には、原発事故で故郷から離れながらも、「被災地の最後の砦」である病院で働き続けることを選んだ人たちもいました。その姿を見て私は、いつか彼らが故郷に安心して戻る日のために、放射線被ばく影響とりわけ低線量被ばく影響について「まだわかっていないこと」を少しでも減らしてあげたいと思ったのでした。
――そのためには、研究するしかない。
医学者として夢を追いかけながら、医師として為すべきことを為したいと、私はいつも思ってきました。

私は、放射線生物学・腫瘍学にもともと関心がありましたので、医師の他に第1種放射線取扱主任者という国家資格も有しています。だから、もしも私に「為すべきこと」があるのならば、それは放射線医科学研究を通じて、原発事故で避難せざるを得なかった人たちが安心して故郷に帰ることができるように、お手伝いをすることではないかと。私が放射線研究に取り組む必要はないのかもしれませんが、誰もやらないのならば、あるいは取り組む人がとても少ないのならば、自分がやるべきなのではないかと思いました。医学者の端くれとして、自分の研究がいつか誰かの役に立つかもしれないならば、自分にとって大切な人たちが喜んでくれるならば、それに勝る喜びはありません。

「放射線被ばく影響の研究でいつかきっと貢献しよう。そして、自分にとって大切な人たちに恩返ししよう」

被災地・福島県で色々な人たちに接して、いつの間にか、そんな夢を描いたのでした。

2016年から拠点を東北大学に移して、英国で最先端の放射線医科学を学ぶために留学の準備に取り組みながら、まずは放射線科医として日々の臨床や研究に取り組んでいくつもりです。当ブログでは、留学への準備から、英国での留学体験、放射線研究や放射線科業務の実際について、これからリアルタイムですこしずつ書いていこうと思います。