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「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

Impact Factorに足を引っ張られる放射線学界

2018-05-04 | 学術全般に関して
ここ最近体調が悪い中、私の好きなイチロー選手まで事実上引退というニュースを見て「一つの時代が終わってしまった」ことを知り、すこし落ち込んでいます。まるでいつまでも元気でいると思っていた親がいつの間にか老いているのを見て、流れてしまった時間を感じられずにはいられないような、そんな寂寥感に似たものを感じます。かつて世界一の'Hit King'であった彼の引退というものは、いつか来るモノとはいえ、やはり見たくはなかったですね。

祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず
唯春の夜の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ

さて、今回は「Impact Factor(以下IF)」についてです。
自然科学界では、ここ数十年にわたってIFというものに支配されてきました。IFについては、このブログ上でも幾度か触れてきましたし、詳細はここでは省きます(ご存知ない方は算出方法などGoogleなどで検索して頂ければ直ぐに判ります)。
もともとは科学ジャーナルの評価に用いられるはずの指標でしたが、いつの間にやら研究者や学術機関の評価に用いられるようになり、研究者たちは高いIFを持つジャーナルでどれだけ多くの論文を発表できるかを競わされる羽目になりました。たとえば、競争的研究資金の評価において、業績欄に並ぶ論文が掲載されたジャーナルのIFを見て評価するという方法が横行するなどしたため(実際に某K大学の某Y教授のブログでは「審査の際にはやはり業績を見る」旨が書かれていました)、研究者たちは論文をジャーナルへ投稿する際にはそのジャーナルのIFを気にせざるを得なくなったのです。
それは私のボスのような放射線学界における大御所であっても同様で、彼もいつもIFやらCiteScore(IFとはまた別の指標)に気をつけているようです。実際、私が所属する研究センターはがん研究に特化しているのですが、他の部門に比べて、我々の放射線治療学・生物学部門は出版する論文数では勝るのですが、総IF値で苦戦を強いられるという状況がここ数年続いていて辛いところです。

最近、私もこのImpact Factorに翻弄されています。
ボスに言われて、私も日頃から色々な研究費や助成金に応募することがあるのですが、その際に自身がこれまで積み上げてきた業績を示す必要があります。つまり発表してきた論文などを明示するのですが、最近、それらの論文が掲載された全ジャーナルのIFの和を添えて出すように指示されたものがあり、改めて放射線学界の不遇ぶりを痛感させられる機会がありました。
レントゲンやキュリー夫人の時代にはノーベル賞といえば放射線研究者でしたが、残念ながら現在の放射線研究は世界的にもマイナーな領域になってしまっています(そのせいで「福島」のこともよく判らんことになっているわけですが)。そして、IFは時代の流行などを反映するものでもありますから、放射線科学ジャーナルのIFが低くなってしまうわけです。

たとえば、生命科学系における三大誌と言われる下記のジャーナルでは、目が飛び出るほどに高い、世界最高峰のImpact Factorを誇っています。そろそろIF 2017が発表される頃ですが、ここにはとりあえず2016版をば。
Nature 40.137
Science 37.205
Cell 30.410

一方、放射線生物学に関係するジャーナルとしては下記があります。
IJROBP(米国放射線腫瘍学会誌、別名Red Journal) 5.133
Radiation Oncology(欧州放射線腫瘍学会誌) 4.328
Radiation Research(米国放射線科学会誌、放射線科学の総合誌) 2.539
IJRB(放射線生物学の国際専門誌) 1.992
Journal of Radiation Research (日本放射線影響学会誌) 1.788

お分かり頂けただろうか。
放射線学界の不遇ぶりを…

つまり、Red Journalみたいなトップジャーナル(放射線腫瘍学、生物学、物理学の中から優れた論文だけを掲載する業界最高峰)でもIFは5くらいしかないわけです。私もRed Journalに論文を載せたことがありますし、編集部から査読を依頼されることもあります。このことは放射線研究者の端くれとしては一応名誉なことではあるのですが、残念ながら他の研究分野の人からは「IF 5程度のジャーナルでしょ?」と思われてしまうかもしれません。
上記を見て頂ければ判る通り、放射線科学分野では、ほとんどの主な論文はIF 1~2程度のジャーナルに出版されます。Natureの40と比べると、当然ですが、圧倒的に低いですね。基礎医学の中にはもっと不遇なマイナー分野もあるかもしれませんが、この放射線生物学もなかなか酷いです。これでは、他の分野にいる研究者と競合する場合、なかなか勝ち目がありません。例えば、再生医学・生物学や免疫学などの分野のジャーナルのIFはもっとはるかに高いのです。
こりゃ、勝てんわい。

現在、ボスに言われて、とある研究助成への応募書類を書いているのですが、正直「なかなか難しいだろうな」と少々諦めムードです。他の研究分野と競合する場合、純粋にIFの値だけ見ると、いつも苦戦を強いられるからです。
う~む、厳しい。

プレゼンの極意は、針小棒大なハッタリと秀麗なフィギュアか?

2018-04-30 | 学術全般に関して
日本はゴールデンウィークとのことですが、こちら英国北アイルランドは通常営業です。

突然ですが、英語プレゼンテーションなんて嫌いです。
いきなり身も蓋もないことを言っていますが、日本語でのプレゼンも嫌いなのに、非母国語である英語でなんて好きなはずがありません。しかし、嫌いなこともやらないといけないのが、大人というものです。好きなことだけやればいいというのであれば、私はずっと家で寝ていますが、もちろんそういう訳にはいかないのが辛いところです。すなわち、この世は生老病死であります。
英語プレゼンテーションも、「Do it」と言われたら、「Sir, Yes, Sir」と叫びながら、やらなければならん訳です。

英語のプレゼンテーションと言っても、基本的には日本語で行うものと同じです。
しかし、幾つか違いというか、日本語プレゼンターが注意しなければならないことがあるように思います。

私もこれまでに様々な方々のプレゼンテーションを拝聴してきましたが、はっきり言って、日本人が日本語で行うプレゼンと比べても、欧米人の英語でのプレゼンの多くはとても上手だと思います。

なんとなれば「面白い」からです。

ユーモアを尊ぶ文化の違いもあるのかもしれませんが、欧米人のプレゼンの多くは面白いです。トークも聴衆をいかに引きつけるかという点で、やはり洗練されているように感じます。さらに、私のような非英語圏出身者にも判りやすいようにスライドも視覚的な主張が強いように工夫されており、あまり聴き取れなかったとしても十分楽しめます。

しかし、最近、よく聞いてみると、けっこうハッタリをかましている方々が多いことに気付きました。つまり、「いやいや無理だろべ」というようなこともサラリと言ってのけている研究者というのがそこそこいるわけです。面白ければいいというか、夢を語るのもアリというか、つまるところ「懐が広い」ということなのかもしれません。
おそらくですが、彼らは長期的な展望に立って、研究を進めているということなのでしょう。つまり、遠い将来の目標を見据えて、今の研究を進めているわけで、現在のデータを「針小棒大に語る」ことで将来の発展性をアピールしているわけです。もちろん、過大妄想を語っても説得力に欠けますが、現在のデータに則って論理的にプロセスを説明することで「針小棒大」を可能にしています。

そして、スライドの図も秀麗なものが多いです。これはおそらく「目で見て判る」ということを重視しているからです。ごまかしが効かないというか、どんなバカでも一目で判るようにするという配慮なのでしょう。
英語でのコミュニケーションは、たまに「一々そこまで言うんかい?」と思うようなことまで一々説明することがありますが、バックグランドが多種多様な方々に接するときにはやはり基本的なことから話さないといけません。それと同じで、どんなに知識がない人でも判るよう噛み砕いて説明することにこちらの人たちは慣れているといいますか、つまりある意味で「親切すぎるほど親切」です。
そういう配慮がスライドの図にも反映される結果、「多くのデータを詰め込んでいるにもかかわらず、とても判りやすい」という秀麗なフィギュアにつながるのではないかと思います。

ぐぬぬぬ、それでは、どういう風に私はプレゼンしたらいいのでしょうか。
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」です。まあ、ごたくはいいから、「早く英語プレゼンテーションの準備をしなさい」と自分で自分を叱咤しつつ…
今日も今日とて頑張りますorz

国際生物学賞 International Prize for Biologyについて

2018-04-22 | 学術全般に関して
20日金曜日までで今年の「国際生物学賞 International Prize for Biology」の推薦が締め切られたそうです。
おそらく多くの日本人はこの賞のことをご存知ないと思いますが、本賞は昭和天皇在位60周年を記念して、昭和天皇のご関心が強く、実際に長年研究に取り組んでおられた「生物学」の振興に貢献した科学者を国際的に顕彰するために1985年に設立されました。生物学分野の大部分はノーベル生理学・医学賞の授与分野に含まれないことから、同分野における顕彰としては世界有数の学術賞と思われます。

我が国には他にも国際的に著名な賞が幾つか存在します。
おそらく最も世界的に権威があると思われるのは「高松宮殿下記念世界文化賞 Praemium Imperiale」ではないでしょうか。この賞は芸術分野に与えられますが、ノーベル賞が文学以外の芸術分野をカバーしていないことから、同分野では世界最高峰の名誉とも言われているそうです。残念ながら私自身は芸術には疎いですが、このような顕彰活動を通じて、日本が世界に貢献しているのを嬉しく思います。
また、自然科学分野をカバーする賞としては日本国際賞と京都賞が有名です。とくに後者の京都賞は、自然科学分野だけでなく哲学・芸術分野に対する表彰も行っており、様々な点で特徴的な内容となっています。
ノーベル賞だけでなく様々な賞や顕彰が世界にはあり、色々な形で科学振興が図られているのですが、日本は先進国として多くの貢献を果たしていると思います。

さて、国際生物学賞についてです。
この賞の設立に取り組まれた東京大学名誉教授の毛利秀雄先生の著書によると、当初は「国際恩賜賞」という名称にする動きがあったようです。すでに国内には皇室から授与される「恩賜賞」が各分野にあり、本賞もその一環とする構想が当時の宮内省、文部省にはあったようです。しかしながら、当の昭和天皇が「恩賜」という言葉に含まれる印象(royalやimperialという言葉にはすこし帝国主義的な響きが含まれます)を避けるご意思を示されたことから、国際生物学賞という名称に落ち着いたという経緯があったそうです。
「日本の賞なのだから、日本国際賞や京都賞のように、『日本らしさ』を名称に盛り込んだら良かったのに」という意見を述べた元日本分子生物学会長もいましたが、私はこの国際生物学賞という名称で本当に良かったと思っています。たしかにシンプルではありますが、政治的な意図はなくただ純粋に生物学を振興したいと願った昭和天皇のご意向が正しく反映されていると感じるからです。

この賞の歴代受賞者の中には、大隅良典・東京工業大学栄誉教授のようにノーベル賞を受賞された方もいますが、基本的にはノーベル賞とは関係がない純粋な生物学領域において貴重な貢献をして、将来は教科書に名前が残るであろう人物に与えられています。こういう方々に対してすこしでも報いる賞が日本にあるというのはとても素晴らしいことではないかと思うのです。たとえば今年の表彰分野は「古生物学」とのことですが、本賞を通じてそのようなマイナーな分野(といったら怒られるかもしれませんが)に注目が集まるのは良いことだと思います。

もともと日本の皇室は、昭和天皇、今上天皇、秋篠宮など、代々、生物学への関心がきわめて高いことで知られています。学者君主というのは、もしかしたら戦時にはすこし頼りなく思われることもあったかもしれませんが(昭和天皇の生物学研究に対して批判的な侍従武官がいたというエピソードがあります)、しかし、学術を通じて人類の繁栄を希求するというのは平時においてはとても素晴らしい姿勢ではないでしょうか。
私は、日本の皇室の在り方について色々な意見があるのは知っていますが、国際生物学賞の顕彰という形で世界に貢献しようとする日本の姿勢はもっと評価されても良いように思います。そして、もっと多くの方々にぜひ国際生物学賞を知ってもらえたらと思うのです。

Nature & Scienceについての雑感

2018-04-15 | 学術全般に関して
生命科学分野では、中枢神経系(Central Nerve System, CNS)をもじって、主要な科学ジャーナルであるCellとNatureとScienceをまとめてCNSと呼びます。たしかにこれらのジャーナルは注目度が高く、例えば2012年にノーベル賞を受賞された山中伸弥教授のiPS細胞の論文は2006年と2007年にCellに掲載され、世界中に衝撃を与えました、しかし、Cellは所詮は細胞生物学専門誌であり、どうやっても物理学、化学の論文は掲載されません。したがって、自然科学全般において主要なジャーナルとはやはりNatureとScienceだろうと思います。実際、両ジャーナルが創刊されたのは19世紀のことですが、以降、自然科学における重大な発見の多くはいずれかのジャーナルに掲載されるようになりました。

先日、NatureとScienceを読んでいたら、母校の医学部の某教室からの論文が掲載されていて、びっくりしました。
筆頭著者のAさんについて、彼の学生時代から知っていましたが、たしかに優秀な方でした。それにしても、あそこの教室の論文生産性は高くて、本当に凄いなと感心します。主任教授はかなり変わった方で(変人でなければ医学部教授にはなれないとも言えますが)、私が医学生だった時に受けた講義は酷いものでしたが、研究面ではたしかに優秀なのでしょう。最近では、他にも変性疾患の診断に有用な新薬を作ったと伺っており、そちらも噂通りならばおそらくNatureかScience級の論文になるでしょうし、あるいは臨床医学系のジャーナルに出すのであれば世界最高峰であるNew England Journal of MedicineやLancetを狙うのかもしれません。あの教室からはこれまでにも日本や米国の医学部に教授を輩出してきた伝統があるのですが、今後もAさんはじめ教授になったりして活躍する方たちがどんどん出てくるのかもしれません。
私の母校の医学部は、10年代になってから毎年Nature、Scienceに論文を載せており、研究面で活気が出ています。Aさんの論文は私の知る限りではこれが初なのではないかと思いますが、いきなり特大級の場外ホームランといったところでしょうか。今後も医学研究を頑張って頂ければと思います。

一昔前まで、医学部基礎系の教授になるためには、NatureやScienceに論文をできれば数報は掲載させなければならないと言われていました。
実際、80年代、90年代、00年代くらいまでは、日本を含めて世界の幾つかの大御所ラボからは定期的にNatureやScienceに論文が出ており、そういう研究室に留学したりして、うまく成果をまとめられれば、NatureやScienceに論文が出せるという計算がありました。日本でも例えば沼研、本庶研、谷口研、岸本研、廣川研、長田研など、毎年NatureやScienceに論文をガンガン出すような大御所ラボがありました。そして、そういうラボの出身者が日本の各医学部基礎系の教授に就いてきたわけです。
しかし、最近では自然科学の研究分野はどんどん細分化が進み、研究者人口もどんどん増えてきました。一方でNatureやScienceには毎週限られた紙面しかないわけで、その紙面をめぐっての競争は年々激化しています。実際、10年代に入ってから、もはや毎年NatureやScienceに論文を定期的に掲載させることができるラボというのは、世界的に減少してしまいました。それだけ競争が激しくなってきたのだろうと思います。
そういう状況を鑑みて、最近ではどの医学部でもNatureやSicenceの論文の数に依らない教授選考を行うようになってきたと感じます。はっきりした指標がないので判りにくくなったとも言えるのかもしれません。

上記のように一つのラボから有名な科学ジャーナルに論文をガンガン出すのは難しくなってきています。
それでは米国や英国の著名な学術機関ではどうしているのかというと、毎年NatureやSicenceに論文を出せるラボがなくなってきたならば、2~3年に1回そういう論文を出せるラボを2~3個増やすことで、結果として毎年出せばいいじゃないという物量戦略に出ています。つまり、研究科や研究所を新たに増設して、研究グループの数を増やす作戦です。Harverd、MIT、Cambridgeなどでは積極的に研究グループを増やしています。中国やシンガポールも同様です。
しかし、残念ながら、日本の主な学術機関には金がなく、そういう戦略を真似することが出来ずにいます。このままではジリ貧というやつですね。今回Aさんが成し遂げたように「個の力が重要だ」「個の力をアップさせて世界と戦うしかない」という、まるで何処かの国のサッカー代表みたいな考え方もありますが、もっと国家として研究・開発の競争に打ち勝つための戦略を展開しなければ、日本はこの先マズいのではないかと私は思います。

まあ、他人様のことはともかく、私もNatureやScienceにいつか自分の論文を載せてもらえるよう頑張ります。

Lord Joseph Lister

2018-04-05 | 学術全般に関して
4月5日は「近代外科学の父」と呼ばれるジョゼフ・リスター卿(初代リスター男爵)Lord Joseph Lister (1827-1912)の誕生日です。リスター卿は外科手術における「無菌操作」を行った19世紀最高の外科医の一人として知られ、「世界最古の学術団体」と云われるロンドン王立協会理事長を務めました。1902年には「ノーベル賞よりも難しい」とさえ云われる王立協会最高賞コプリー・メダル Copley Medalを受賞しています。19世紀から20世紀にかけて同時期に活躍したフランスのルイ・パスツール博士 Louis Pasteur、ドイツのロベルト・コッホ医師 Robert Kochと並び称される医学界の大偉人ですね。

創傷部位の消毒というのは現在では常識ですが、19世紀中頃にリスターが明らかにするまではその重要性が判ってはいませんでした。
おそらく医療人としてその必要性を初めて見出したのはハンガリー人産婦人科医のイグナーツ・ゼンメルヴェイス医師 Ignaz Semmelweisであったと思われます。彼は「死者から出る臭い」が手術道具を介して患者に伝わり産褥熱に至ると考えて、その臭いを落とすために塩素などを使って手術道具を前処理し、結果として消毒していました。そのおかげで多くの妊婦が産褥熱の脅威から救われたと云われます。この功績を称えて、今日ではゼンメルヴェイスは「母親たちの救い手 saviour of mothers」と呼ばれています。しかし、前述の通り、彼自身は消毒の科学的意義を明らかに出来ておらず、当時の医学界から彼の主張は受け入れられませんでした。
消毒の科学的意義が明らかになるには、ルイ・パスツール、ロベルト・コッホらによって微生物と伝染病との関係性が明らかにされるのを待たなければなりませんでした。とくに1861年にパスツールが「白鳥の首型フラスコ」を用いた有名な実験によって「生命の自然発生説」を覆したことが重要でした。
このパスツールの成果が、消毒法の開発に至る重要な示唆と着想を、当時、グラスゴー大学医学部教授を務めていたリスターに与えたようです。つまり、空気中には微生物が漂っていること、また手術器具や術者との接触などを介して、創傷部位に微生物が付着(感染)し、患者が術後に敗血症を呈するということにリスターは気付いたのです。そして、彼はフェノールを用いた術野の消毒と無菌操作の技術的開発に着手したのでした。これが近代医学史上のブレイクスルーとなり、その結果として外科手術の安全性が劇的に向上し、多くの患者の命が救われることになりました。

Joseph Lister. On the antiseptic principle in the practice of surgery. Lancet 1867:90;353–6. doi:10.1016/s0140-6736(02)51827-4

1867年にすでに刊行されていた医学ジャーナルThe Lancet(現在、このジャーナルは世界最高峰の臨床医学誌として知られています)に彼の論文が発表され、おそらくそれを目にしたウィリアム・ウィリス医師 William Willisを介して、明治初期の日本へ外科手術時における無菌操作の科学的重要性が伝わったと言われます。

このリスターの成果は医学界のみならず広く評価され、国内外の様々な栄誉を受賞することになりました。そして、リスター自身も外科医として引退した後、前述のようにロンドン王立協会理事長を務めたり、英国王エドワード7世の手術の相談を受けるなど多彩な活躍をしました。1891年にリスターらによって設立された医学研究所は、現在も「リスター予防医学研究所 Lister Institute of Preventive Medicine」として存続しており、医学研究機関として、また医学分野における研究助成団体として機能しています。
実は、私自身もかつてこのリスター研究所から奨学金を頂戴したことがあります。

現代を生きる我々は、もはや当たり前のように創傷部位を消毒し、その恩恵を受けています。しかし、その背景にはリスター卿をはじめ偉大な先達たちの努力があります。あらためてリスター卿に感謝したいと思います。

放射線小咄 ~Wilhelm Röntgenの誕生日

2018-03-26 | 学術全般に関して
25日日曜日から再び英国は夏時間期間に突入し、日本との時差は9時間から8時間へなりました。つまり、1時間損した気分です。本日、大学院で友人と会った時に「軽い時差ボケがあるよね」という会話になりました。たしかにちょっと眠いような気もしますね。

27日火曜日はドイツ人物理学者ヴィルヘルム・レントゲン Wilhelm Röntgen博士の誕生日です。
放射線の研究に携わっている人間としては、X線を発見して第1回ノーベル物理学賞を受賞したこの偉人に対して、やはり経緯を払いたく思います。今日の放射線医学の原点は、間違いなく、彼の優れた洞察力にあったといえます。おそらく今日の先進国において、生まれてから1度もレントゲン撮影やCT撮影をしたことがない人はいないと思われます。現代を生きる我々は、やはりレントゲン博士に感謝をすべきなのでしょう。

「Serendipity セレンディピティ」という言葉があります。
偶然のような幸運や予期せぬ発見に恵まれることを言います。自然科学史上、このセレンディピティは数多くの大発見に関係しているように思われますが、レントゲン博士による「X線の発見」もその一つと言われることがあります。
たしかに、当時、陰極線の性質を研究していたレントゲン博士は、1895年11月8日に偶然、X線を発見しました。その時の状況は色々な媒体によって語り継がれていますが、レントゲン博士が研究者として非常に素晴らしかったのは、この正体不明だったX線の基本的性質を明らかにするためにすぐに種々の実験を行ったことです。とくに磁気に曲がらないことを見出したことによって(陰極線は電子の流れなので当然磁気で曲がる)、このX線が陰極線とは異なる新しい現象であることを確認し、さらにその透過性などまで検証しています。
しかも、奥さんの手の骨の透過像を現像して、視覚的にX線の持つ有用性を判りやすく示したのです。これらの実験結果によって、X線という人類史上において画期的な発見は人々に受け入れられたのでした。
ただ見つけるだけでなく、それが何かを明らかにしようとした点に、すくなくとも新種の現象を見ていることを確認したことに、レントゲン博士の真骨頂があったといえます。つまり、X線を見て、それが「新しい何かである」と示すことが出来た、世界で初めての人がレントゲン博士だったわけです。発見とはえてしてそういうものでしょう。

かつて、医師でないにもかかわらず史上最も重要な医学者とたたえられたフランス人医化学者 ルイ・パスツール Louis Pasteurはこう言いました。

幸運は準備された心のみに宿る
Chance favors the prepared mind

けだし名言であります。

欧州に放射性物質が拡散!?

2018-02-15 | 学術全般に関して
昨日付けでScienceに掲載された記事に驚きました。
タイトルは「ロシアでの使用済み核燃料の取り扱いミスによって欧州に放射性物質(放射能)が拡散したのかもしれない Mishandling of spent nuclear fuel in Russia may have caused radioactivity to spread across Europe」となっており、内容は昨年9月と10月に欧州のほぼ全域で検出されたルテニウム106 ruthenium-106という人造放射性同位体元素は、おそらくロシア南部のオジョルスク Ozyorsk近郊にあるマヤーク核技術施設 Mayak nuclear facilityから漏出したものであると、パリのフランス放射線防護・原子力安全研究所 French Institute of Radioprotection and Nuclear Security (IRSN) の研究者が指摘したというものです。
ロシア政府は事故が起きたことを否定しているものの、飛散した放射性物質の由来についてはロシアの科学者たちの間でも意見が割れているようです。

私は恥ずかしながら知らなかったのですが、昨秋に欧州ではルテニウム106を含む「原子雲 nuclear cloud」(広島、長崎の原爆投下後に生じた雲のように放射性物質を含む雲のこと)が見つかったことが大きな問題となっていたようです。ルテニウム106は自然環境には存在しない同位体なので、間違いなく人為的な原因があると考えられていました。
そして、当時の天候などを鑑みたコンピューターモデル解析などを行って、この原子雲が何処から来たのかを欧州中の研究者たちが解析した結果、おそらくロシア南部のマヤーク核技術施設だろうという意見が国際的に支配的であるようです(ただし、もちろん、ロシアは否定)。

思い出されるのは、福島です。
日本では2011年の福島第一原発事故があり、残念ながら、東日本どころか世界中に多量の放射性物質が放出されました。当時、現場レベルで原発事故の拡大を防ぐために様々な対策が執られ、その後も色々な対応が図られてきた結果、なんとか事態は収束に向かいつつあります。しかし、今もなお福島県の一部では放射線の空間線量率が高い地域があり、「完全に元通り」になるにはもうすこし時間がかかることでしょう。

今回どうして人工の放射性物質が欧州中に巻き散らかされたのか?
一刻も早い原因究明と適切な対応が望まれますね。

ウィリアム・ウィリスの母校探し

2018-01-09 | 学術全般に関して
昨年末からウィリアム・ウィリスWilliam Willisの母校を探しています。
母校と言っても、彼が通ったことが判っているグラスゴー大学、エディンバラ大学ではなく、その前のスクールです。日本で言うところの高等学校、ハリー・ポッターで言うところのホグワーツにあたるでしょうか。私もエニスキレンEnniskillenにある某スクールを調査したのですが、ウィリアム・ウィリスが在籍していたという証拠は見つかりませんでした。グラスゴー大学に問い合わせても、相手にしてもらえず。
う~む、万事休す、ですかね。

ウィリアム・ウィリスは、あの『JIN-仁-』(村上もとか、集英社)にも登場しています。現代の脳外科医が幕末にタイムスリップして、当時の人たちを救うという内容で、歴史上の人物たちも大勢登場します。ドラマ化されたりして、一時期大ブームになりました。私もヒロイン役の綾瀬はるかさんは可愛かったので(もちろん今も綺麗ですが)、そのドラマを観ていました。
単行本の2巻で、主人公の南方仁が横浜に行き、その時にウィリスやヘボンなど日本に西洋医学を伝えた偉人たちと出会うシーンがあります(上の写真参照)。ウィリスは東京医学校兼大病院(現東京大学医学部)や鹿児島医学校兼大病院を創立して、高木兼寛ら多くの日本人医師にイギリス医学と英語を指導しましたし、ヘボンは横浜で医師として活躍しただけでなく、ヘボン式ローマ字表記法の開発や、明治学院大学を創立するなど、日本の近代化に大きな役割を果たした人物ですね。主人公は英語で颯爽と彼ら2人に話しかけるという、タイムスリップした医者ならば誰もがやってみたいことをやってのけます。このシーンは私にとっても実に印象深いものがありました。
実際のウィリスは身長190cm以上の巨漢だったということですから、この漫画でももう少しウィリスの姿を大きく描くべきだったのかもしれません。

私もせっかくウィリアム・ウィリスの故郷北アイルランドにいるので、もうすこしウィリスのことを知りたいなと思っているのですが。なかなか調査は進みませんね。

日本近代医学の源流を探して ~湖と遺跡の街エニスキレン~

2017-12-27 | 学術全般に関して
以前のブログ記事にも書きましたが、北アイルランドは明治日本が近代西洋医学を導入する上で大きな役割を果たしたウィリアム・ウィリス医師 Dr William Willisを輩出しています。今回、彼の故郷を訪ねて、「湖と遺跡の街」として知られるエニスキレン Enniskillenに足を運びました。
エニスキレンは北アイルランドの湖水地方の中心地であり、ベルファスト Belfastから南西に約150キロ離れた、歴史と伝統のある街です。近現代では文教都市として、とくにポートラ・ロイヤル・スクール Portora Royal School (現エニスキレン・ロイヤル・グラマー・スクール Enniskillen Royal Grammar School)から高名な文人たちを輩出しています。
よく晴れた冬の日、ベルファストからバスで約2時間かけてエニスキレンに到達した私を待っていたのは、光をたたえた美しい湖水の景観でした。



エニスキレンは上下に分かれるアーン湖 Lough Erneの丁度中間に位置しており、とくに上アーン湖にあるデヴェニッシュ島にある遺跡群は、キリスト教黎明期の遺跡として、かなり有名です。私もその古代修道院跡に行ってみたかったのですが、残念ながら島に渡れるのは春から秋までとのことで、今回は無理でした。冬ですのであまり船が多く行き交っていませんでしたが、夏には水上交通も盛んとのことでした。
たしかに橋から見下ろすアーン川はとても綺麗で、ぜひ船に乗ってみたかったなと思いました。2013年に北アイルランドで開催されたG7はエニスキレンのアーン湖畔が会場だったそうですが、各国の首脳もこの美しい光景には感銘を受けたのではないでしょうか。



上の写真は、エニスキレン・ロイヤル・グラマー・スクールの入り口です。
前身であるポートラ・ロイヤル・スクール(1618年にジェームズ1世によって創立、2016年にEnniskillen Collegiate Grammar Schoolと合併してエニスキレン・ロイヤル・グラマー・スクールになった)からは、19世紀を代表する作家であるオスカー・ワイルド Oscar Wildeや、ノーベル賞受賞作家であるサミュエル・ベケット Samuel Beckettらが卒業しています。医学史に名を遺した人物ではデニス・バーキット医師 Dr Denis Parsons Burkitt, FRSがいるようです。彼は1958年にアフリカでバーキットリンパ腫 Burkitt lymphomaを発見した外科医です。

Burkitt, D. A sarcoma involving the jaws in African children. The British Journal of Surgery 1958;46 (197):218–223.

私がアーン川沿いをぶらぶらと散歩していたら、犬を連れたお爺さんがいきなり「エニスキレン・ロイヤル・スクール(ポートラ・ロイヤル・スクールの通称)はあっちだよ。この道をまっすぐ行って、あそこにバーがあるだろう、あそこを左に曲がって、まっすぐ進みなさい」と声をかけてきました。(えっ、いきなりエニスキレン・ロイヤル・スクールって、なんの話やねん?)とパニクる私。さらにお爺さんの犬が私の手をなめてきて、「フランクな犬だろう、わはは」と去って行きました。とにかく愉快な方でした。



話を戻しますが、ウィリアム・ウィリスは、1837年にエニスキレン郊外のマグワイアズブリッジ Maguiresbridgeに生まれました。
マグワイアズブリッジはエニスキレンから東に約12キロの距離にある村です。コールブルーク川 Colebrooke Riverという小さな川にマグワイア家が架けた橋が村の名前の由来と言われています。その小さな村に住んでいた赤髪のジョージの一家に生まれた7人の子供のうち5番目(四男)がウィリアムでした。
どうして、そのウィリアムが、今から約150年も昔に極東の小さな島国である日本に西洋医学を運んだのか。
医学史好きの私はそのことがずっと気になっていました。私がマグワイアズブリッジを訪ねた顛末記については、後日、きちんと原稿にまとめて、どこかに寄稿させて頂こうかなと思っています♪

ConBio 2017 in Kobe

2017-12-10 | 学術全般に関して
12月9日まで神戸ポートアイランドで開催された2017年度生命科学系学会合同年次会 Consortium of Biological Sciences (ConBio) 2017に参加しました。残念ながら、私の発表後に聴衆の方々から沢山のフィードバックが得られたわけではありませんが、現在取り組んでいる研究について学外の場で初めて発表しました。ConBio 2017の大会長は私の医学部時代の恩師であり、この大会を盛り上げる一助になればという思いもあって海外から参加させて頂いたのでした。
神戸は久しぶりでした。関西まで足を運ぶことはあっても京都や大阪までが多く、なかなか神戸まで行く機会がこれまではありませんでした。港町という風情は、やはり横浜やBelfastに共通するものがあるように感じましたね。

実は、日本に帰ってきて早々にPCが壊れるという悲劇があり、ドタバタしている中での発表でした。データのバックアップは大事だなと改めて感じさせられました。まさかいきなり壊れるとは思わず、突如電源が入らなくなった時にはとても焦りました。
「備えあれば憂いなし」と言うは易く行うは難しですが、普段から留意しないといけませんね。
勉強になりました

世界大学ランキング ~Times Higher Education World University Rankings 2018について

2017-09-08 | 学術全般に関して
最近、Times Higher Educationが世界大学ランキングを更新しました。
数ある大学ランキングの中でも有名な一つであり、様々な場面で「大学の格付け」の指標として使われています。例えば、英国のUniversity of Oxfordオックスフォード大学とUniversity of Cambridgeケンブリッジ大学がいわゆるワン・ツー・フィニッシュで1位、2位を占めており、英国の高等教育機関の強さを見せています。
ただ、少々うがった見方をすれば、このTimesとはもともと英国の雑誌ですから、「自国優勢の評価項目からランキングを作成して自己満足してるのではないか?」という疑念もあります。あくまで一つの目安として考えておけばいいと私は思ってきました。
しかし、日本でも報道されているのではないかと思いますが、今回は東大46位、京大74位というあまりにも悲惨な結果であり、シンガポール、香港、中国の後塵を拝すことになりました。シンガポール、香港は曲がりなりにも英語圏であり、国際性で有利でしょうから判らなくもありませんが、中国の大学にさえ劣る結果となったのは「日本の凋落」をはっきり印象付けるものとなりました。

私は以前から「米英主導の大学ランキングは国際性の重み付けを高く設定しているせいで英語圏有利が否めない」と感じており、日本の大学があまり高くランクしなかったとしても、ドイツ、フランス、イタリアなどの欧州非英語圏の大学のランクと比べて低くなければ、それほど問題がないのではないかと思っていました。実際、大学ランキングで苦戦しているのは、かの国々も同様ですが、それでも間違いなく先進国の立場を維持しており、科学大国であり続けています。だから、日本もそれでいいのではないかと思っていたのです。
しかし、今回のTimes Higher Education World University Rankings 2018を見ると、日本の大学の国際性が低いのは仕方ないとしても、例えば「論文引用数」でも伸び悩み、全ての項目で全体的に苦境に立たされているのが浮き彫りになったように感じました。つまり、日本の科学力が地盤沈下している兆候が明らかに目に見える形で示されているのですね。このことは、大学ランキングに限らず他の指標でも示唆されていることから、日本の科学力が相対的に低下しているのはもはや疑いようがないと思います。
日本は科学で負ける側になりつつあるのです。

さて、東大(46位)、京大(74位)、東北大(201-250位)を「指定国立大学法人」に指定して大学ランキングの向上を図る動きもありますが、それで日本の科学が救われるのでしょうか?

下手は作物を育てますが、上手は土壌を育てるものです。

大学ランキングの向上もたしかに目指すべき目標なのかもしれませんが、日本の科学の土壌を育てるべきではないかと私は思います。
私は子供から大人になる間にテレビゲーム、携帯電話、スマホなどの爆発的な普及を見てきた世代の1人であり、身をもって感じていることとして、明らかに若者の勉強時間や読書時間が平均的に低下したことが挙げられます。私の世代よりももっと上の30代、40代、50代でも思春期をテレビ全盛期で過ごしているわけですから、たとえエリート層であっても、昨今ノーベル賞を受賞されているような60代、70代の日本人科学者の世代と比べて、平均的に勉強時間が落ちていたはずです。
もちろん、勉強時間が減ったとしても、勉強の質が向上して、時間を有効に使えているならば問題ないのかもしれませんが、昔から日本の学生の「勉強の仕方」は良くも悪くもあまり変わっていないと思います。つまり、学生時代に勉強や思考に割く時間の減少が、そのまま卒業後の活躍に多かれ少なかれ影響してきているのではないかと感じています。すなわち、日本人は「馬鹿になっている」のではないかと疑ってさえいます。
中国などから英国の一流大学に留学してきているハングリー精神旺盛な人たちの話などを聞くと、はっきりと「日本人は勉強しなくなったんだな」と痛感させられます。発展途上国の方々はとにかく貪欲に人生を勝ちにきています。成功したいと強く願っています。激しい競争に勝つ精神的なタフさがあり、必死に努力しています。勉強しています。それに比べて、一般的に日本人は良くも悪くもかなり大人しくなり、勉強もしなくなり、伸び悩んでしまっているのではないでしょうか。もちろん、私自身もその一人として反省するところは大いにあるのですが。
したがって、あくまで私見ではありますが、日本の大学ランキングの向上を目指すには、もちろん大学で行われている研究、教育にもっと投資をするのも一つの方策ですが、同時に長期的な観点から抜本的なテコ入れをすべきなのではないかとも思うのですね。

日本は1990年代に経済的に失速して、残念ながら、2000年代には論文数、論文引用数などの統計資料を鑑みるに学術的にも失速の傾向がありました。2010年代になって、中国はじめ諸外国の追い上げもあって、はっきりと学術レベルの相対的な低下を突きつけられています。科学的な優位が保てなくなれば、おそらくは今後、技術レベルでも失速することでしょう。「ものつくりの国ニッポン」もいずれは過去の話になるのではないかと危惧しています。果たして、その時、日本はどうなるのか……

科学に国境はありませんが、科学者には祖国があります。
私も今は英国に居るとはいえ、日本には頑張ってほしいといつも思っています。

今年のラスカー賞の栄冠はHPVワクチン研究者に ~がんを防ぐワクチン開発への功績を讃えて

2017-09-06 | 学術全般に関して
「ノーベル賞」にも勝るとも劣らない国際賞は幾つかありますが、そのうちの一つに米国ラスカー財団が授与する「ラスカー賞」があります。ラスカー賞は主に医学分野を対象としていますが、実際、例えば利根川進博士や山中伸弥博士のようにラスカー賞とノーベル賞を重複受賞するケースも多く、ノーベル生理学・医学賞やノーベル化学賞の将来の受賞者を予想する一つの指標となることもあります。
ラスカー賞の一つである「ラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞(Lasker-DeBakey Clinical Medical Research Award)」は臨床医学の分野において世界最高峰の栄誉とされますが、本日、今年のラスカー・ドゥベーキー臨床医学研究賞はDr. Douglas R. LowyとDr. John T. Schillerの2人の米国人医学者に授与されることが発表されました。
授与対象は「HPVワクチン研究開発の功績」です。言うまでもなく、このHPVワクチンは、ヒトパピローマウイルス(Human papillomavirus:HPV)を対象とした、女性の子宮頸がん罹患率の低下につながる画期的な予防ワクチンであり、「がんに対する予防ワクチン」としての先駆けになります。

世界的には、このワクチンに関しては、やはり、とても高く評価されています。ここで「世界的には」と敢えて書いたのは我が国の特異な現状を念頭に置いているからです。
「副作用のない薬は存在しない」ように、副作用のないワクチンは存在しません。HPVワクチンにも、当然、副作用が生じる可能性はあります。しかし、副作用/有害事象が生じる可能性と、子宮頸がんによって命を落とす可能性やHPV感染がコミュニティへ拡散する不利益などを天秤にかけて、公共の福祉の観点から予防ワクチンとして施行するか否かを総合的に判断すべきであり、「世界的には」HPVワクチンの普及によって女性の子宮頸がん罹患リスクを低下させることが出来るという共通理解があります。予防接種ワクチンによって、がんにかからずに済む、命を落とさずに済む人が統計学的に多くなるのであれば、それはやはり素晴らしいことでしょう。

しかしながら、我が国では……
HPVワクチンをめぐる日本の現状についてここでは詳しく書きませんが、個人的には、残念に思うのです。

たしかに、ごく稀な可能性とはいえ、いったん生じた副作用/有害事象のケースについては、深く同情します。日本ではこの報道がセンセーショナルでした。医療とは、ときに統計学的な観点や経済学的な観点を度外視してまでも、病に苦しむひとりひとりの患者さんに寄り添おうとする営みです。私も医療従事者の端くれとして、不幸にもHPVワクチンの副作用/有害事象で苦しむことになってしまった方々が、その辛さをなんとか乗り越えてほしいと祈っています。
一方で、ワクチンによってそのリスクを低減できる可能性があるにもかかわらず、性交渉の低年齢化と性感染症対策の未熟によって、若い女性たちを中心に広がるHPV感染の拡大と子宮頸がんリスクの増大への対応が遅れてしまった我が国の状況をとても残念にも思います。

率直に言って、我が国では副作用/有害事象に関する扇動的な報道がエスカレートし、HPVワクチンに対する正しい理解が損なわれたように感じています。将来、「HPV感染者の輸出国」である等と、日本が世界各国から不名誉なレッテルを貼られるようなことにならなければいいのですが……

講演の上手いひと下手なひと

2017-07-28 | 学術全般に関して
当たり前の話ですが、面白い話を聞けば楽しいし、つまらない話を聞けば退屈を覚えるものです。それは、もちろん、科学の世界でも同様です。

私も、これまでに色々な機会に、様々な話をしてきました。話題も違えば、聴衆も異なるものですから、いつも同じ話をするわけにはいきません。したがって、毎回、それなりに工夫して準備して、本番に臨むわけです。
私は今までにも幾つか講演賞や発表賞なるものを頂戴していますので、客観的に見て、どうしようもなく下手というわけではないのでしょうが、しかし、上手いかと言われるとあまり自信がありません。準備が上手く行っても本番にミスしてしまうことがあるし、逆もまた然りです。とはいえ、もちろん、準備を入念にした方が上手く運ぶ可能性が高まるのは判っています。常に抜群のパフォーマンスが出来るわけではありませんが、聴衆に「時間の無駄」とは感じさせないように、それなりに頑張ることにはしています。
ただ、私がどんなに努力しても「上には上がいる」ということもよく判っています。したがって、一番であろうとするのは無理だと重々承知しています。

あくまで私見ですが、欧米人の方が講演が上手い人が多い気がします。ユーモアがあるし、全体のバランスもいい。講演というものが一方通行ではなく双方向性であることを教えてくれるように、いつも聴衆とのコミュニケーションを意識している方が多いように感じます。一方で、日本人は下手くそが多いと思います。

その原因としてはおそらく「聴衆は黙って聞け」というスタンスがどうしても多いからでしょうか。
この傾向は著明な科学者であってもそうで、ノーベル財団が配信している受賞者講演などを観ていても、僭越ながら、「日本人受賞者の先生方の講演は残念ながら圧倒的につまらないことが多い」と感じます。ノーベル賞以外の高名な科学賞、例えばガードナー国際賞や京都賞などでも、Youtubeなどで受賞者講演が配信されているのですが、日本人の大御所の先生方の英語の講演ははっきり言って稚拙です。科学的にはとても重要な発見や技術についてお話しされているのに、伝え方が下手な方が多いです。
つまり、淡々と、一方的に自分の研究の話を垂れ流しているだけなのです。

一方で、もちろん、業績に優れるだけでなく講演もとても上手な著明科学者もいます。
たとえば、iPS細胞の開発の業績でノーベル賞を受賞された山中伸弥教授です。留学時代にプレゼンテーション技術に関する講義・実習で学ばれたことがあるという話を伺ったことがありますが、おそらく努力されたのだと思いますが、たしかにユーモアを交えて、面白くお話しする術に長けていらっしゃいます。私も幾度か彼の講演を聞いたことがありますが、そのたびに「凄いな」と率直に思ったものです。話の内容はもちろん、そのプレゼンテーションの巧みさに対しても。
また、東北大学加齢医学研究所の所長で、いわゆる「脳トレ」で高名な川島隆太教授のプレゼンテーションも素晴らしいと私は思っています。一時は上司の上司でもあったので(もちろん先方は末端の私の存在なんてご存知なかったと思いますが)、彼の話を聞く機会は幾度かありましたし、英国のUniversity of Readingから配信されている彼のレクチャーを観て改めて「凄い」と感じたのでした。
お二人に共通されるのは、もちろん科学的な業績もありますが、やはり聴衆とのコミュニケーションの上手さだと思います。おそらく場数も相当踏んでいらっしゃるのでしょう、大舞台でも動じずに堂々としていらっしゃるのは確かな経験があってのものでしょう。

私も、講演の上手い先生方の真似をして、すこしでも良い話が出来るようになりたいなと願っています。

"医"の中の蛙

2017-05-23 | 学術全般に関して
普段から私は、一応、目上の方には出来るだけ丁寧な敬称を用いるようにはしています。例えば、ここ英国でも指導教官には常にProfessorを付けてメールしたりしていますし(professorshipはとても重要な意味を持ちますので)、医師免許や博士号を持つ方には基本的にはDrを付けています。
また、これまでに母国でお世話になった医師の方々や指導を仰いだ先生方、あまり親しくない方々に対しては、「~先生」あるいはちょっと他人行儀に「~先生御侍史」「~先生御机下」などを用います。とくに患者さんを紹介する紹介状の宛名は、やはり自分が携わった患者さんを委ねる形になりますから、「~先生御机下」から始まる丁寧な文面を必要とすることもあります。
しかし、後輩や同期などを相手にする際には、紹介状などでない限りは、医師免許や博士号を持っていても「~君」や「~さん」をメールで用いることが多いです。これは別に私に限ったことではありません。

私は、さすがに自分が診た患者さんや、教育的指導に携わった方々、あるいは病院のスタッフたちからは「~先生」と呼ばれるがままにしていますが(病院のスタッフたちは、医師に対して先生と呼ぶことで、誰が医師なのかを患者さんやご家族に対して判りやすく明らかにする必要があることから)、それ以外は基本的に「~さん」と呼んでもらうようにしています。
したがって、最近はもっぱら「~さん」と呼ばれていますし、それが普通だろうと思っています。
これは、私の尊敬する先生(もう亡くなられてしまいました)が、「医師同士で~先生と呼び合うのはちょっとおかしいし、そういう形式的なことに拘るよりも、もっと人間関係の本質をみなさい」と仰っていたのに倣っているからであり、実際、私も同感です。「~先生」と小馬鹿にしながら呼びかけるよりも、「~さん」と丁寧に呼びかける方が、よほど敬意が込められているものです。敬称なんて些事に過ぎませんし、敬意は自然と向けられるべき対象に向けられるものです。「敬意を示せ」と他者に要求するアホは、その前に鏡をよくご覧になって、どうして自分に敬意が向けられないのか、そもそも自分が他者からの敬意に値するのかをよく考えるべきでしょう。例えば、ノーベル生理学・医学賞受賞者の山中伸弥教授が「私に敬意を示しなさい」などと仰ることがあるでしょうか、私はそんなことは絶対にないだろうと思うし、そんなことを仰らなくても自然と彼には敬意が集まるでしょう。

しかし、日本では形式的なことに拘る方々が実に多いものです。とくに医療界では、意外と権威主義者が多くて、形式的なものに拘り勝ちです。
大した医師(あるいは薬剤師)でもないくせに「~先生」と呼ばれないと怒る方々は少なくないですし、時々、研修医の分際にもかかわらず「~先生」と呼ばれないと不機嫌になる奴までいます。中には、一人称が「~先生」(自分のことを先生と呼んでいる状態)になっている人までいました(さすがに冗談だと信じたいですが)。馬鹿な奴ほど「形式的なことに拘っている」という印象があって、その様子はまるでちっぽけなプライドを必死に握りしめているかのようです。

海外でも、もちろん、フォーマルな場所では敬称などの形式的なことが大事ですが、基本的にはすこしでも親しければファーストネームやニックネームで呼び合うのが普通です。お堅いイメージの英国も、もちろん日本に比べれば、その点ではるかにおおらかです。
日本の慣習としての過剰な権威主義や形式主義、とくに「面子を大事にする」姿勢にはもともとすこし辟易していましたし、中でも医学部や医療界でのそれにはいつも違和感を覚えていましたが、最近、海外の方々と接する中で改めて感じるのは私たちは「もっと本質的なことを大事にしていくべきだ」ということです。
もちろん、医師の資格や博士の学位は、それを授与されている人物の高度な専門的知識や技能を証明するものですから、ある程度の敬意が自然と集まりやすいのだろうとは思いますが、それは決して他人に強要するものではないのです。例えば、患者さんが普段からお世話になっている医師に対して「~先生」と自然に呼ぶのはいいでしょう。しかし、もし仮に医師の方から患者さんに「~先生と呼びなさい」などと強要することがあったとしたら、私としてはとても遺憾に思います。

"井"の中というか、"医"の中の蛙にはなりたくないものです。

IFとトップジャーナルとハイインパクト

2017-05-08 | 学術全般に関して
7日に行われたフランス大統領選挙ではエマニュエル・マクロン氏(Emmanuel Jean-Michel Frédéric Macron)が勝利しました。史上最年少、元恩師の奥様との年の差婚など、様々な話題をもつマクロン氏のニュースはここ英国でもかなり熱いようでした。8日からは日本もGWが終わって平常業務体制に戻ったようで、今朝は日本からのメールが沢山届きました。
今日も今日とて、世界は動いています。

さて、本日、日本から届いていたメールの1つに興味深いものがありました。「平成28年度にIFが10以上のトップジャーナルに掲載された論文の数」を報告せよというものです。私は昨年度にそのようなジャーナルに掲載した実績は、残念ながら、ありません。

IFとはインパクトファクター(Impact Factor)のことですが、クラリベイト・アナリティクスのHP(http://ip-science.thomsonreuters.jp/ssr/impact_factor/)によると、「毎年Journal Citation Reports が公開するインパクトファクターは、被引用数と最近出版された論文との比率です。特定のジャーナルのインパクトファクターは、対象年における引用回数を、対象年に先立つ 2 年間にそのジャーナルが掲載したソース項目の総数で割ることによって計算します」と説明されています。たとえば、世界最高峰の総合科学誌であるNatureとScieceの最新IFは、それぞれ38.138、34.661です。

IFが10以上の総合科学誌がわずかにNature、Science、Nature Communications(Nature姉妹紙の1つ)の3誌しかないことからも判るように、「IFが10以上」というのは極めてハイインパクトになります。この基準だと、米国科学アカデミー紀要PNAS(Proceedings of the National Academy of Sciences,USA)さえ外れてしまいます。もちろん、実際には、PNASはトップジャーナルの1つであると見做す研究者が多いでしょう。
また、たとえば免疫学、再生医学などのメジャーな専門学術分野の専門誌ならば幾つか10以上のジャーナルがありますが、一方で我々の放射線科学などのマイナーな分野では最高峰の専門誌でも4台に留まります。IFには科学分野の流行や科学者人口を反映する面もあり、分野間格差が生じています。また、Nature姉妹紙の幾つかは総合科学誌であるNature本誌よりも高いIFを示してきましたが(総合科学誌ではあまり論文引用が伸びない分野の論文も掲載するため)、姉妹紙の方が本誌よりも上と見做す研究者ははっきり言って皆無でしょう。繰り返しますが、IFだけで評価すると、分野によってはトップジャーナルが存在しない(?)ということさえなりかねません。実際には、どの分野にも世界最高峰の専門ジャーナル、すなわちトップジャーナル、が存在するにもかかわらず。

「IFが10以上だとトップジャーナルなのか?」という深刻な疑問もありますが、IFは科学ジャーナルの質を示す指標の1つとして、今でも日本などでは最重要視されながら運用されていることは確かです(英国ではIFとは違った指標が主流になりつつありますが、それはまたの機会に説明します)。そして、「IFはあくまでジャーナルの質を示す指標であり論文の質を示す指標でないにもかかわらず、日本ではなぜか研究者の論文業績を評価するのにIFが使われている」という深刻な疑問も無視すれば、上記のようなメールの意図も薄々とは判ります。
つまり、研究者はこのような「ハイインパクトな」研究業績が求められているわけです。
昨今、このようなハイインパクトを求める風潮は日本に限らず世界的に強くなって、ここ英国でもハイインパクトなジャーナルに論文を通すことが、研究費やアカデミックポスト・好待遇の獲得を有利にします。しかし、IFで重視されるような、ある意味で性急かつ分野間不公平な「ハイインパクトさ」は、同時に、とても危ういものを秘めているのかもしれません。
色々と考えさせられますね。

私はかつてNatureやCellが嫌いであると宣言していました。
ハイインパクトな商業誌は、ある意味で、研究者にとっては悪魔のような存在であると思っていました。
今でもそのような気持ちはちょっぴりあるにはありますが、最近の私を取り巻く状況をご存知の方は判ってくれるかもしれませんが、もはやLondonに足を向けて眠れない状態になっており、「Nature? うん、素晴らしいジャーナルですよね」とか言っています。はっきり媚びています。
すなわり、私もまた、「ハイインパクトの強制力」に抗うことが出来なかったわけです。
言い訳すると、研究者として自由奔放に生きようとするのは、昨今とても厳しいのです。いつまでも子供のままではいられないのであります。大人になるしかないのであります。つまり、悪魔に魂を売るしかなかったのであります。
……ああ、汚れちまった悲しみに。