「不可視の両刃」放射線に挑む~英国大学院博士課程留学~

英国に留学して放射線研究に取り組む日本人医師ブログ

日本近代医学の源流を探して ~湖と遺跡の街エニスキレン~

2017-12-27 | 学術全般に関して
以前のブログ記事にも書きましたが、北アイルランドは明治日本が近代西洋医学を導入する上で大きな役割を果たしたウィリアム・ウィリス医師 Dr William Willisを輩出しています。今回、彼の故郷を訪ねて、「湖と遺跡の街」として知られるエニスキレン Enniskillenに足を運びました。
エニスキレンは北アイルランドの湖水地方の中心地であり、ベルファスト Belfastから南西に約150キロ離れた、歴史と伝統のある街です。近現代では文教都市として、とくにポートラ・ロイヤル・スクール Portora Royal School (現エニスキレン・ロイヤル・グラマー・スクール Enniskillen Royal Grammar School)から高名な文人たちを輩出しています。
よく晴れた冬の日、ベルファストからバスで約2時間かけてエニスキレンに到達した私を待っていたのは、光をたたえた美しい湖水の景観でした。



エニスキレンは上下に分かれるアーン湖 Lough Erneの丁度中間に位置しており、とくに上アーン湖にあるデヴェニッシュ島にある遺跡群は、キリスト教黎明期の遺跡として、かなり有名です。私もその古代修道院跡に行ってみたかったのですが、残念ながら島に渡れるのは春から秋までとのことで、今回は無理でした。冬ですのであまり船が多く行き交っていませんでしたが、夏には水上交通も盛んとのことでした。
たしかに橋から見下ろすアーン川はとても綺麗で、ぜひ船に乗ってみたかったなと思いました。2013年に北アイルランドで開催されたG7はエニスキレンのアーン湖畔が会場だったそうですが、各国の首脳もこの美しい光景には感銘を受けたのではないでしょうか。



上の写真は、エニスキレン・ロイヤル・グラマー・スクールの入り口です。
前身であるポートラ・ロイヤル・スクール(1618年にジェームズ1世によって創立、2016年にEnniskillen Collegiate Grammar Schoolと合併してエニスキレン・ロイヤル・グラマー・スクールになった)からは、19世紀を代表する作家であるオスカー・ワイルド Oscar Wildeや、ノーベル賞受賞作家であるサミュエル・ベケット Samuel Beckettらが卒業しています。医学史に名を遺した人物ではデニス・バーキット医師 Dr Denis Parsons Burkitt, FRSがいるようです。彼は1958年にアフリカでバーキットリンパ腫 Burkitt lymphomaを発見した外科医です。

Burkitt, D. A sarcoma involving the jaws in African children. The British Journal of Surgery 1958;46 (197):218–223.

私がアーン川沿いをぶらぶらと散歩していたら、犬を連れたお爺さんがいきなり「エニスキレン・ロイヤル・スクール(ポートラ・ロイヤル・スクールの通称)はあっちだよ。この道をまっすぐ行って、あそこにバーがあるだろう、あそこを左に曲がって、まっすぐ進みなさい」と声をかけてきました。(えっ、いきなりエニスキレン・ロイヤル・スクールって、なんの話やねん?)とパニクる私。さらにお爺さんの犬が私の手をなめてきて、「フランクな犬だろう、わはは」と去って行きました。とにかく愉快な方でした。



話を戻しますが、ウィリアム・ウィリスは、1837年にエニスキレン郊外のマグワイアズブリッジ Maguiresbridgeに生まれました。
マグワイアズブリッジはエニスキレンから東に約12キロの距離にある村です。コールブルーク川 Colebrooke Riverという小さな川にマグワイア家が架けた橋が村の名前の由来と言われています。その小さな村に住んでいた赤髪のジョージの一家に生まれた7人の子供のうち5番目(四男)がウィリアムでした。
どうして、そのウィリアムが、今から約150年も昔に極東の小さな島国である日本に西洋医学を運んだのか。
医学史好きの私はそのことがずっと気になっていました。私がマグワイアズブリッジを訪ねた顛末記については、後日、きちんと原稿にまとめて、どこかに寄稿させて頂こうかなと思っています♪