来良き心と未知なるものの為に⑯・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より
おそらく、あみがさゆりが咲くには少し早すぎる。しかし、五月の空は平原の上方に、
あくまでも高くひろがっていた。雲雀の囀りと光とがまざりあって、さわやかな恍惚と
化していた。そして、川には茶色がかった泥水が流れていた。雪どけのために激しさも
まし、冷えたくももあったのである。
流れのなかほどで、なにやら黒いかたまりがゆっくりと反転する。ちらりとみえた顏
一声洩れた悲鳴。みずからすすんで、またもや顏をぐいと水のなかに突っこむ動作。
一片の雲も太陽のまえをよぎらなかった。雲雀の囀りはやまなかった。しかし、水は
突然、汚くなり、冷たくなる------かしこで自己の死に出合うおうとして苦闘している。
あのずっしりした物体にとらわれて、深みに引き込まれていきそうだという思いのため
に、猛然と嘔吐感(おうとかん)がこみあげてくる。そしてこの嘔吐感は、危険だという
感じ以上に神経を麻痺させる。臆病なのか? たしかに、その言葉を口にせずにはいら
れない。
彼女は遊歩道の端まで歩いてゆき、それから泥のなかをずんずん進んでいって、川の
なかの足が立たなくなるところまで行った。そしてそこから、流れが彼女を運び去った
のである。しかし彼女は沈まなかった。水が彼女を押し戻すのであった。そこで彼女は
口を開けて、なん度も繰り返して首を水のなかに突っ込んだ。その動作は、たび重なる
につれて、しだいに力ないものとなっていった。こんどはもう、失敗するわけにはいか
なかった。いまや、岸辺から叫び声が聞こえていた。もし、あの人たちが・・・・
彼らは、息を吹き返させようと試みたさいに、彼女の胸をはだけさせたのである。彼
女は堤防のうえに------人間の裸形を越えて、死の近づきがたい孤独のなかへ入り込んで
しまって------身をながながと横たえている。そして、彼女の蒼白い、堅い乳房は、白い
陽光にむかって盛り上がっているあたかも、大理石を思わせるブロンド色の石に刻んだ
半神のトルソが、やわらかい草に寝してあるかのように。