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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㊴・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-31 10:25:44 | 森の施設

   

   清き心の未知なるものの為に㊴・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 「夜は近きにあり。」そう、またひととせを重ねた。そして、もし今日最後の日であると

したら!

 「-------われわれが買いたたかれたり脅かされたりすることが、どうしてありえようか。

とうにそのときどきに余分の支払を得ているのに・・・・」

 日は日にあいつぎ、われわれを容赦なく前へ前へと押しやってゆく。------この最後の日に

むかって、そう思うとき、はっとするのは、もう(その先)がないという瞬間があるのを考える

ときである。私は選ぶ者として、すべてを指先で試してみることができる。すべてを--------

ただし、ひとつだけ別のものがある。すなわち、日々と歳月とが凝結して成った一瞬である。

死の光に限りなく照らし出された、死の直前のその一瞬である。ただ死のみが測ることので

きる、その一瞬である。

 

 だれかが重要な決定をくだすに先立っておまえの手を握ろうとするとき------鉄の色をした

墨絵のように薄暗い風景のなかに、金色の光がほのかに反射する。おまえが思い切って信ず

ることができずにいたすべてのことの証明。

 

 クリスマスとか、来年の夏とか、大人になると日とか------なにかをまちうけている子供に

とって、時の流れはゆるやかに感じられる。幸福な一日の一瞬一瞬に全霊を捧げつくしてい

る者にとっても、やはりゆるやかである。だが、そのあとは----------

 

 彼は他人にたいして忠実なればこそ、彼らの劣等感のせいで攻撃的にならずにはいなかった。

 

 「他人の無関心のうえにあぐらをかく。」そして同時に、同情に飢えているとは!

 

 現在の瞬間に意義があるのは、われわれを未来へと渡してくれる橋としてではなくて、それ

自体の内容のゆえなのである。もしわれわれにその内容を受け取る力さえあれば、それはわれ

われの空虚を充填して、現在の瞬間に立つわれわれの内容となるのである。

 

 「老人は探検家であってしかるべきだ。」なかには、そうならざをえない人たちもいる-----

なぜならば、普通人の住みなれた世界は彼らにたいして閉ざされているからである。しかし、

首尾よく新しい土地を開拓する者は稀である。

 

 ナルキソスは泉に身をかがめた。-------彼は、これまでに大胆にも思いのままに見つめるこ

とのできた唯一の男から、金縛りあったように目を逸らせずにいたのである。

 ナルキソスは泉に身をかがめた。------彼自身の醜さに魅せられて、なぜならば、彼は自分

の醜さを認める男気があると思って得意がっていたのであるから。

 

 悪魔の宴会の日に伏魔殿へ飛んでゆく。そこでわれわれが出合うのは、ただただわれわれ自

身、われわれ自身、われわれ自身。

 

 われわれはあまり豊かでないのであるから、どんな体験も、もっとも辛い体験さえも、忘れ

てしまう余裕はない。

 

 われわれは懐かしい死者たちのことを思い出す。かれらが生まれたときのことを、前途のあ

った人たちとして。------それとも、みまかったときのことを、達人の域にいたたった人たちと

して。

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊳・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-28 09:52:07 | 森の施設

 

    清き心の未知なるものの為に㊳・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

    もっとも長い旅は

    内面へむかっての旅である。

    自己の運命を選びとって、

    おのれの存在の根源をたずねつつ

     (根源があるのであろうか。)

    旅路に立った者は、

    いまだにおまえたちのあいだに留まりつつも、

    それでいて仲間はずれになっていて、

    おまえたちの気持ちからは孤立している------

    まるで、死刑の宣告を下された者が、

    それとも告別がさし迫って、

    万人の避けえぬ定めである孤独へと

    いち早く運命づけられてしまった者のごとく。

 

    おまえたちと彼との間には介在する、

    -------距離が、疑惑が、

    気がかりが。

 

    彼は見るだろう、おまえたちが

    遠く、さらに遠く、さがってゆくのを、

    彼は聞くだろう、おまえたちの呼び声が

    かすかに、さらにかすかに、薄れてゆくのを。

 

 

 今晩の会合が終ってから、罪障感と隣あわせの空虚感が不安の念をかきたてた。この

不安は、無為と不満とに必然的に伴ってくるものである。。

 それというのも、おそらくはこの夕べの集いがなんの意味もなかったからであり、さ

らに無益だったからでもある。-------これほど判明しきっている人間関係においては、

なにを配慮してみても、結局は無益という死に至る罪に譲歩することになるのが落ちで

あるのに、それを承知で、いろいろ配慮して演出した集いだったのである。

 このような事情のもとでは、この喜劇は生ある実在の品位をおとしめる無駄話といった

調子のものとなったが、それでもこれを最後まで演じとおさねばならなかった。

 

 彼が生命の通った接触を求めて、取り乱してみえるまでに苦悩している前にたったとき、

おまえの厚い皮で蔽われて自足している孤独が、なんとあからさまに露呈したことか!

おまえ自身と同じ問題を抱えている者------その同じ問題が彼に腐れのきていない本来の

ままの姿をしているのに、おまえは出会ったのである。------を助けることが、おまえに

とってなんと難しかったことか。

 

 突然、私はこのことを理解した。すなわち、私が私自身にとって実在的であるよりも、

彼は彼自身にとっていっそう実在的なのである。そして、私にたいして要請されているの

は、私の実在に参与するよりいっそう緊密な仕方で彼の実在に------これを客体でなく主体

と見なして------参与せよ、ということであった。

 

 

 

   

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清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-24 10:24:57 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㊲・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 われわれが人格神を信じなくなった日に神が死ぬ、というようなことはない。かえって、

いっさいの理性を越えたところに源を発する、たえず更新してやまぬ奇跡の放つ光によって

照らされて、われわれの生が変容を遂げる、ということがたえてなくなった日に、われわれ

のほうが死ぬのである。

 

 「他人を目的として扱い、けっして手段としては扱わない。」その半面、私自身を目的と

して扱うのは、私の手段としての資格の範囲内のみに留める。すなわち、私の存在のなかに

ある主体と客体との境界線をしだいに後退させていって、ついに主体が--------たとえそれが

私の内側に留まっていてさえ-----私の外に出て、私を越えた上方に位置するにいたらしめる。

------私の存在全体が、私の内側にありかながら私より偉大なもののための道具となるように。

 

 いま、まさしくこの瞬間にこそ、私はこれまで自分の受けてきたすべてのものにすかんし

て支払をすまさなくてはならない。過去の負債は現在とまさしく等価である。差引ゼロであ

って、私は未来にたいしていかなる債権をも主張しえない。

 ひとりの人間が生と出会うたびごとに、そして、彼がこれまでに生から受けてきた全力を

おのれの生きているこの瞬間に傾注することによって、おのれの負債を返済するたびごとに、

美が湧きあがってくるのではないか。美が------おのれの負債を返済する当人にとって。また

おそらくは、ほかの人たちにとっても。

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㊱・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-23 10:44:00 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㊱・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 成功がその空しさを、仕上げた業がその虚妄を、勤労がそのわびしさを、おまえの目から

離すことがけっしてないように、そうすれば、われわれをさらに遠く駆りたてる力は、すな

わち、われわれを押しやってわれわれ自身を越克せしめる魂のなかの痛みは、つねに疼きつ

づけるであろう。

 どこへむかってか。そのことを、私は知らない。そして、知ろうと求めはしない。

 

 小児が片足で横ざまにぴっんと二飛びし、ころばずにすむ。そして、われながら上手なも

のだと得意になる。見物人がいるので、二重に得意になる。われわれは、いつかは大人にな

るのであろうか。

 

 我々の暮らし向きがよく、なにもかも思いのままに進んでゆくとき、われわれは自分が精

神的な自己規律や魂の気高さや高慢な人生観を会得したものと自認することができる。-----

これでは安直すぎる。これでは成功は美徳の報酬なりという考え方とはほとんど選ぶところ

がない。

 

 いつでも立ち去る用意のできていない部屋では、埃が熱くたまり、空気はよどみ、光はか

げる。

 

 われわれの愛は、その対し様を犠牲にする勇気がわれわれになければ、貧相なものとなる。

 われわれの生きようとする意志は、生が自分のものかひとのものかを意に介せずに生きて

こうと思うようになって、はじめて確固たるものとなる。

 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉟・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-22 15:21:36 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉟・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 ずっと以前に死んでしまった人たちについて語った文章を、私はいま読んでいる。こっそり

と、ほかの人たちの名前がその文中に忍びこんでくる。そしていまや、ここに語られているの

はわれわれのこと、われわれが過去の人となりおおせてからのわれわれのことなのである。

そのうち、おおよそは跡方もなく消え失せてしまった。かつては灼けつくほど熱気を帯びてい

た問題が、いまでは冷やかな抽象物のようにペ-ジからペ-ジへとひらたく広がっている。

簡単な問題だったのである。ところが、われわれはそれを解きほぐすことができなかった。

われわれははどうやら愚鈍な操り人形であって、個人的利益で夢中になり、だれもり目にも

くっきり見える糸に引かれて踊らされているのである。しかも、その糸がときおり解れてしま

うのである。

 私が歴史の探求という、この歪んで映る鏡のなかに認めるものは、なにも戯画などといった

ものではない。たんに、それらすべては空であったということの証明にすぎない。

 

 ともあれ、彼は自分のなかにこういうものがあるのを知っていたる-------どの人間にもある

もの、すなわち、卑俗・貪欲・傲慢・羨望------そして、あこがれ。

 あこがれ-----なかんずく、十字架への。

 

 人生とはそんなにも情けないものなのか。むしろ、おまえの手のほうが小さすぎ、おまえの

目のほうが濁っているのではないか。おまえこそ、成長しなければならなぬ。

 

 われわれは、自己の運命の輪郭を選ぶことはできぬが、それに内容を与えることならできる。

冒険を求める者はそれに出会うであろう。------自己の勇気に応じて、犠牲たらんと欲する者は

犠牲にせられるであろう-------自己の純粋さに応じて。

 

 

 

 

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