森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

公明正大㉜・・・水雲問答

2024-10-14 09:08:39 | 森の施設

       

           公明正大㉜・・・水雲問答

 

雲    およそ人間は公明正大の四文字を修養の御符とするがよろしい。悪事を働のは

    たいてい暗い処であって、日光のあたった明るい場所では必ず恥ずかしいという気

    持がおこる。酒を飲み、勝手気ままに振る舞うことも昼間ではなく夜であります。

    だから大儀をなそうとする者は、公明正大に心をもって、われからいじけた処のな 

    いようにして、一種の手段でうまくやって行きますと、古人のように成功すること

    ができましよう。

 

水    御意見ご尤もであります。ただ表現にまずいところがあります。術略をもってう

    まく世を渡る、というのはちょっとうけとれません。媚弱(びじゃく)の業などとい

    うこともよくわかりません。漢文体にしても。口語体にしても、そういう表現法は

    ないから、あなたのお考えと表現とが一致せず、したがって人も感じません。やは

    り問答書のように口語体にされた方がよくわかりましょう。

 

 

     

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事をなすに快活㉛・・・水運問答

2024-10-06 08:59:31 | 森の施設

 

       事をなすに快活㉛・・・水運問答

 

雲     およそ事をなさんとするときには、快活にしたいものであります。たとえば千金

     の褒美を与えても、けちけちして出したのでは人はその恩に感服しません。一毛を

     抜いてやるというような、ほんのわずかな品物でも、誠意があれば人はみな感動い

     たします。たとえば質素倹約の令を下すのに、とかく眉をしかめて、その上けちけ

     ちして経費を削減などするものですから、ほとんど成功した例はありません。こん

     な時にはさっぱりと、大掛かりにやると、疑いなく人心は服しましょう。人を使う

     のに、生かして使うか、殺して使うかは雲泥の相違で、たいへん大事なことであり

     ます。八代将軍吉宗公の上意に「困ったときにうつ向く者は役に立たず、困ったと

     きに仰ぐ者が役に立つのだ」と言われておりますが、まことに大切な御意見で感服

     しております。

 

水     これは自分の精神のできておるか、どうかの違いでありまして、快活でないのに

     無理に快活をよそおうのは誠ではありませぬから、人は服しません。誠意をつくし

     て、初めは人が服そうが服すまいが頓着なしにやると、そのうち人心は服するもの

     であります。額にしわをよせて仕事をするのは、自分でできるかできないかと心配

     してかかる証拠でありますから、成功する例は少ないのであります。古人は困難な

     仕事をやってのけておりますが、今の人はきわめて容易なことでも仕とげません。

     これは精神ばかりではなく、見識に欠けた所も原因であります。見識があってその

     上気力の充実した者は、どんな大事も成就しましよう。吉宗の教訓に、精神が旺盛

     でなければできない。たとえ見識があっても柔弱な人は何の用にも立たぬ、と申す

     のはこの点であります。

 

 

 

 

 

 

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身を入るること㉚・・・水運問答

2024-09-23 09:51:37 | 森の施設

 

          身を入るること㉚・・・水運問答

 

雲     天下国家を治める人が、思い切って問題の渦中に身を投ずるということをいた

     しませぬから、よいこともできません。その原因は、失敗したら責任をとらされ

     のがかなわない、と初めから責任逃れを考えるから、本当に身を射ち͡こむことが

     できないのであります。

      仕事をしようと思えば、その仕事に深く身をいれて、成功・不成功は自分の見

     識で断定すべきだと思います。あっちこっちに気を遣うことをえめて、忽然とし

     て事に当れば、大事は容易になすことができましよう。兵法に死地に入るという

     言葉がありますが、これは兵法ばかりでなく、天下国家を治める道にも用いたら

     よいと思います。何事も中途半端にすることはよくありません。

 

水     これは英雄偉丈夫にできることで、普通の人にはできないことであります。何

     事もお説のように身をいれて事になせば、成功しないことはありません。古人の

     したことを今から見ますと、よくこんなことをしたなあと感心することがありま

     す。ところが今の人はたやすくできそうなことも成し得ず、かりにやっても失敗

     ばかりしております。これは皆身をいれてやるか、逃げて足でやるかの相違であ

     ることはお説の通りです。まして見識をもってこれを断定するということになり

     ますと、生まれつき持っている能力と、学問によって得た力の二つに分けること

     ができますが、生まれつき持っている能力に頼ることなく、学問をして厚くし、

     そして大事をなす基礎づくりをしたいものだと思います。

 

 

 

 

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だまされて、だまされぬ所㉙・・・水運問答

2024-09-12 15:50:25 | 森の施設

 

      だまされて、だまされぬ所㉙・・・水運問答

 

 雲    天下国家のことは言うまでもなく、一家のことまでも、誠の一字がなくてはなり

     ません。昔カモメと遊んだ少年の話があります。この少年が海辺に行くとカモメが

     たくさん集まってくる。それを聞いた父親が、「お前一つカモメをとってこい」と

     言いました。ので翌日海辺に行くと、カモメは一羽もやってこなかったという話で

     あります。これは捕らえてやろうという気があるから、カモメはちゃんとそれを知

     っていてやってこない。誠でないからすぐわかるのです。しかし馬鹿正直に過ぎる

     と、まただまされるという譬えもあります。そこでどうしても大きな仕事をしよう

     とすれば、誠があるとかないとかということを気にしておってはいけません。人に

     だまされもしなければなりません。しかしだまされるにも方法があります。今の人

     はだまされまいと考えてだまされたり、かと思うとだまされてはいなかったりする

     のは、面白いものであります。

 

水     一身のことから国家のことにいたるまで、誠の一字を書いてはなりません。「孟

     子」の言葉に、子産が役人に命じて、魚を池に放してやった面白い話があります。

     この役人は悪い奴で、その魚を煮て食ってしまって、子産には、「魚を池に放して

     やりましたところ、初めはのびのびと泳いでおりましたが、やがてゆったりと水の

     中へかくれてしまいました。すると役人は、「子産は賢人だと聞いていたが、どう

     してどうして、私はすでに魚を喰ってしまったのに」と言って笑ったという話であ

     ります。

      元来君子は誠でありますから、だまされますけれども、道にはずれたことをもっ

     て人をあざむこうとするのはよくありません。子産のようなだまされ方は罪がない

     ばかりでなく、人柄がわかってよろしい。しかし人の上に立つ者が人にだまされま

     いとしますと、何事もできません。お説のだまされてだまされぬ所の味、というこ

     とは大変面白いことでありますけれども、やはりだまされまいという考えがのこり

     ましよう。だからそういうことを超越して子産のように徹するもよろしいと思いま

     す。 

 

 

 

 

        

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共に斃るる心得㉘・・・水運問答

2024-09-09 09:03:39 | 森の施設

 

     共に斃(たお)るる心得㉘・・・水運問答

 

雲    革命動乱に際会した君子はとかく自分の部下を賢明な人物だと思い込みがちなもの

    ですが、実はこれほどおそろしいことはありません。君子が立派な臣だと考えている

    者が、実は欲深い悪でくわせ者であったり、逆によく言われていない者が賢明な人物

    であることもある。ことに邪悪な人間は才気に長けておりますから、それが乱に乗じ

    て狡猾に振舞うので、いかにも偉い人のように見えるものであります。これを見分け

    るにはどうしたら宜しいでしようか。

     人間は、君子は善い事わし、小人は悪いことをするのだと一律に定め付ける先入観

    に陥りがちで、君子・小人というものの本当のことはわかりません。しかし、いずれ

    にしても政治ということが起るものです。ところが、部下に任すのは危ないからとい

    って任用しない時は、甚だしい弊害を生ずる。そういうふうに心配をし始めたら何も

    できないものです。思い切って任用する。そして一度任せた以上は、不慮のこと、思

    いがけないことが起きたら一緒に斃れる、心中するほかありません。それから先は考

    えたって、わかるものではありません。

 

水    賢明な君主は賢臣を用い、暗君ははつまらない臣下を賢臣として用います。本当の

    賢臣を用いますと、政治の成績はあがり、もしつまらぬ者を用いますと、国は亡びま

    す。危険この上もありません。よくよく気をつけるべきことであります。

 

 

 

     

 

 

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