清き心の未知のものの為に57・・・ダグ・ハマーショルドの日記より
「-------夜は近きにあり。」
過ぎ去ったものには------ありがとう、
来たろうとするものには------よし!
成熟。なかんずく・・・・みずからの力を人に見られたくなくて隠しだてしたり、またその
せいで最善をつくさぬままに生きたりはせぬこと。
善良さとは、つぎのような、なにかごく単純なことなのである-------いつでもほかの人たち
のために生き、けっして自分自身を探しもとめぬこと。
神が行動したものは決定的瞬間------いまのような------のことであり、しかも、ソフォクレス
のように磨きすました皮肉をもって、射貫くべき的をきびしく意識したうえでのことである。
時機が成熟したとき、神は本来ご自分に帰すべきものを取り返したもう。しかし、おまえになん
の言い分があろうか。-------おまえの願いは叶えられた! たとえおまえのほうでいまでは不都
合に思えようとも、神はおまえを必要としておられる。-------「人間を高めつつ押しつぶしたも
う」神は。
来るだろうか、来ないのだろうか
歓びのいやまさる日は、
悲しみの萎(な)えしぼむ日は。
じつに、悲しみの萎えしぼんだ日が、こんなにしてやってはたのである。何故ならば、私が
これまで堪えてこねばならなかった辛いことどもなどは、神が要求なさることどもに照らしあわ
せるなら、取るにたらぬことでしかなくなったからである。しかし、この日がまさにそのゆえに
歓びのいやまさる日でもあると感じとるのは、なんと難しいことであったろうか。
私ではなくして、私のうちなる神。
成熟-----なかんずく、自意識を脱却してあらたな無我に達すること。------運命をことごとく受
容しつくして、自分自身にまったく無関心になりおおせたときにのみ、おまえはその境地に到達す
る。
神は手に自己を委ねた者は人びとにむかって自由にふるまうことができる。彼は自己をすっかり
さらけだしたのである。なぜならば、彼は裁く権利を彼らに与えているからである。
1953年4月7日。
「神のうちに基礎をおき、しっかりと支えられているのであるから、彼らはいかなる意味あいでも
尊大ではありえない。また、神が十分に贈ってくださった御恵みはすべて神にお返しするのである
から、彼らはおたがいどうしのあいだで栄を授受したりはしない。ただ、神はおひとりの御栄えし
か、彼らは浴しないのである。
私は器である。飲み物は神のものである。そして神は渇けるお方である。
究極において、犠牲ということばはなにを意味しているのであろうか。あるいは、施与というこ
とばさえも。なにも持たなぬ者はなにものをも与えることができない。施与は神から神へとなされる。
召命の道は十字架に通ずる。みずからの運命に身をまかせた者はそのことを知っている------たとえ
この道が彼を導いて、喚声が四方から沸き立つなかを、あるいはゲネセレの地に行かせ、あるいはま
たエルサレムへと勝ち誇りつつに入市せしめるときでさえ。
自由であること、立ち上がっていっさいをあとにして去ること-------しかも、ただの一目も振り返
らずに。「よし」と言えること。