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森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

清き心の未知なるものの為に㉚・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-06 10:19:26 | 森の施設

 

  清き心の未知なるものの為に㉚・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 夜の大海原のなかから意識がふたたび浮かびあがってくると、とたんに前日のことが

恥ずかしくなった。大逆罪の宣告が下されたからには、昼間の生活と生の源泉とのあい

だの対決はどんなにか物凄いものだったにちがいない。裁判の対象となったのは、誤謬

(いつわり)が繰り返さたとか、一連の些少な裏切りがつづけられたとかいうことではない。

-------神も知りたもうごとく、それらの誤謬や裏切りとて、十分に不安や自己嫌悪の原因

くらいにはなったであろうが、そうではなくて、巨大な、原理的な誤謬なのである。すな

わち、自我の内面にあって自我より大きいものを------下界からの要求に唯唯諾諾と迎合

することによって-----裏切ったという誤謬なのである。

 

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清き心の未知なるものの為に㉙・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-05 10:38:25 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉙・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 無意識の底でいくたの流れがあらがいながら渦巻きを作り出し、おまえをそのなかに巻き

込みそうになるとき、水をふたたび単一の流れに集中させることができるのは、ダムの水門

を開いて祈りの水門のなかへ導き入れるばあいに限る。------また、水路が十分に深く堀って

あるばあいに限る。

 

 われわれは。離れ離れになっていたあいだに、おたがいのあいだに介入した距離のせいで、

相手にかんする単純化した見方を受け入れてしまうこともあるし、また、どんなに目の見え

ない人にとってさえ、ひとたび顏をあわせれば、いやでも目につかずにはいないような、相

手の本質的な特性をすべて平気で抹殺してしまうこともある。そんなことがあってから再開

するたびに、そして別れていたあいだの思い違いをか恥ずかしく感ずるたびに、われわれは

天の配剤として与えられる警告を受けいれるがよい。われわれ人間に関するかぎり、「なに

ごとも真ではない」という陳述は------遠く離れているばあいには-----妥当であり、またその

反対の陳述もまた------直接に向かいあった瞬間には------妥当である。

 

 見降ろすと、街路の向うがわの窓のもとで、彼女が毎日、毎晩、トランプのひとり占いを

しているのが見える。忍耐、忍耐! たぶん、死はもうあまり待たせることはないであろう。

 

 ----彼は、彼自身にも他人にも忠実に欠ける態度で噂話に憂き身をやつす。それというの

も、彼のめざすところは当座のあいだだけでも話相手を魅了することだからである。しかも

彼は、自分の胸襟を開いて相手の気持ちを試そうなどという気にはなれない。さっぱり面白

くない奴として、はてはくだらぬ奴として相手にされぬよりは、器量を落とすことであろうと、

こうして道化の役割を果たすほうがよいのである。

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉘・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-05-03 15:19:46 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉘・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 われわれが世を去ってのちまでも、生者の思いがときにはわれわれの名前のかたわらに寄り

添ってほしい、------われわれすべてがそう願うのはなぜか。どうしてまた、われわれの名前に、

と取り立てて言うのか。名前をねたぬままに不滅であるということは、われわれが免れること

のできぬ定めである。なぜならば、われわれの人生やわれわれの行為のもろもろの結果は、そ

れらだだれのものとして-------われわれの栄誉となるにせよ、恥辱となるにせよ------認められ、

貼札(はりふだ)を貼られることがありえないのと同時に、抹殺されてしまうこともありえないか

らである。

「貧しき者は常に汝らと偕に居れども。」死者にしても同じことである。

 

 人はすべて平等である。------わずかな神から与えられた素質しか受けとらなかった者と多く

の素質を受けとった者とを断乎として同一平面に置くとすれば、この断言は真実である。しかし、

これらの素質にたいする管理の仕方を考えるならば、この断言は誤っている。なんとなれば、霊

的な意味での生と死とのあいだには依然として境界線があり、しかも永却にわたって引かれて変

わることのなかった線だからである。しかし、つきつめていえば、この断言はやはり真実性があ

る。なんとなれば、われわれはいついかなる時でも、この境界線を-----いずれの方向にでも-----

踏みこえる可能性と面と向かっているからである。

 

 あらゆるものを透徹した視線の火のうちに燃やしつくす。ただし、そのあとで灰のなかから

なんらかの価値あるものを取り出しうるものと希望しつつ。

 

 われわれに美という感情を与えてくれるものをば獲得しよう-----ことばのもっとも露骨な意味に

おいて、同化しよう-----という、この癒しがたい本能。巨人と同じく、われわれは王女を食べたい

と切望する。-------そしてたえず、巨人の体験をなんども繰り返すのである。われわれは花を摘む。

われわれはからだを抱きしめあい、そのようにして人間の美しさを無に帰せさしめる。けだし、か

らだの線に精神性を賦与することによってのみ、人間の美しさは身体のものとなるのであり、しか

もその間の美しさは身体のものとなるのであり、しかもその精神性の賦与ということは、いかなる

肉体的接触をもってしても近づきえぬことだからである。

    ここで言う巨人につい「巨人の独白の形をとったものがある。その巨人は、王女を熱愛し

   あまり、彼女を食べてしまいたいと思うのであるが、「そうしたら、だれがやさしく、そし

   て親切におれを見つめてくれるだろうか」と考えて、それを思いとどまるのである。この

   箇所は、その時を念頭においたものである。」 

 

 

 

 

 

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清き心の未知なるものの為に㉗・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-29 14:11:42 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉗・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 一本の線、一抹の影、一点の色-----それらの火と燃える表現力。

 花、山、岸辺、人体の語る言語、ある一瞬のまなざしのなかの光と影との和合、うなじの

うずくような美しさ、アルプスの牧場で朝日を浴びて咲く白いクロッカスの聖杯のような花

冠-----感応が語る、官能を超絶した言語によることば。

 

 (自我)愛には、食道楽的な側面がある。われわれの国語には、この好みの味覚をあらわすに

ふさわしい適切な抑揚が欠けている。こう言うほかない。おまえの自我愛は、保護してやら

ねば咲くことがない。その法則は単純である。------何人にもけっして愛着を覚えるな、また、

なんびとにもけっしておまえに近づかせるな。ということである。単純-----かつ宿命的である。

自我が自我を楽しめるように保護してやろうとする努力は、自我のまわりに氷のように冷たい

環を作りあげ、そしてその環が徐々に核心にむかって蚕食してゆくのである。

 

 なんたる茶番劇。あなたの茶番劇ですぞ、おお、人間どもの主人方よ!猟犬どもの主人は

といえば、自分が畜生どもの王国の一日だけの王様でしかないのを知っている。また彼は、

狐を追い詰めるのに自分のよりもよいやり方があるのを知っている。ところが、それに引き

換え-----

 

 どのように社会的階層のなかで陰謀が始ろうと、闘いが交わされようと、さらに、そのほ

かのもろもろの外面的な事情にもかかわりなく、(最優秀の頭脳)といわれるような者でさえ、

自分自身の社会的地位をめぐって争う段になると、かならずある種の幼稚さをさらけだすも

のである。そういう場合の術策は数がじつに限られている! そして、そのような目標を追

い求める者は、雌鳥を追いまわしている雄の大雷鳥のように声で盲目になってしまうもので

ある。------とりわけ、自分がもっとも目先が利くと思いこんでいるばあいにそうなる。せ

めて、こう言って神の恵みを願うとしよう。-----利己心は免れがたいものでありますが、

けっしてこれがユ-モアの感覚にみちた自己省察までも麻酔させることがありませんよう

に、と。なぜならば、そのような反省だけが大事にいたらぬようにしてくれるからである。

 

 相手にとって大切なことしか語らぬ。自分が知る必要のあることしか尋ねぬ。以上のいず

れのばあいにおいても、話合うことの範囲は、話し相手がほんとうに話すことのできること

がらに留めておく。結論に達するためにのみ論じあう。話題がなんらかの意味をもつ相手ど

うしでのみ(声に出して考える)たがいに完全に心の通い合うふたりのあいだで、あからさま

には語らぬ言外の意を無駄話で伝えるばあいを別として、おしゃべりを時間と沈黙とのなか

にはびこらせぬ。(空しき言葉を口にするたびに・・・)という格言の真実性を経験した者に

とっては、以上のことはためになる養生訓である。しかし、社交生活ではあまりありがたが

られない。

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清き心の未知なるものの為に㉖・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

2025-04-25 09:44:17 | 森の施設

 

   清き心の未知なるものの為に㉖・・・ダグ・ハマ-ショルドの日記より

 

 ささやかな願い。-------食べ物を消化しようというばあいに晩さん会の礼服に付与しうる

異議に比して、それよりはいくらかでもましな意義を、人生において、われわれの行為やふ

るまいに持たせたいものである。それでいて、われわれが自分たちの成し遂げた業と称して

いるものは、その大部分が、儀式張ったばあいにわれわれの裸身を隠そうとして着込む衣服

以外のなにものでもない。

 

 成熟に伴う利益を早くから手に入れるにいたった人たちのことを、おまえは許しがたく思

う。ほかにも見方があるのはしばらく措くとして、おまえはなぜ、遅くまで続く青年時代と

いう長い春に伴う楽しみの方と秤にかけて、これもまたよしとは思わないのか。

 

 自己の精神的燃焼から生じた排気ガスで充満した空気を呼吸したあとで、人びとはこうい

うことを思い出す。-----硫黄精製工場のそばでは、疎らに残っている草木が生きていけるの

は、工場から出て来るガスがあたらなぬ場所に限られる。と。------人びとはこう自問する。

「こんなことが、いつから起ったのだろうか。これからどれだけの世代を重ねるまで、この

影響の痕跡が消え残っているだろうか。」

 

 ともあれ、おまえはほかの人たちを軽蔑していながら、自尊心を後生大事に守りつつ、あ

いかわらず彼らの敬意をもとめようとするのである。

 

 歳月が過ぎ去るにつれ、名声はあがり、そして能力は衰える。

 

 同情をそそぎ、また同情を受けるとき、彼の親切さは心からのものである。ただしその親

切さは、自分の生活の内容を他人の生活内容で充たされそうとする彼の生来の傾向のあらわ

れである。

 

 大いなる友情は、いつかは報いられるものなのであろうか。この友愛は、われわれになに

ものも(与え)ない。しかし、それが住む孤独の世界のなかに入るとき、それはわれわれを広大

な眺望-----内面の光景-----の展けた山頂へ引き上げてくれる

 

 彼が、自分には友達が大勢いるうえ、新しい友達をたやすく作ることができるし、その連

中といっしょに(至極楽しくやっている)と、だしぬけに私にうちあげたとき、それは狙いをよ

く定めた一撃のようにひどく私にこたえた。問い返す余地はなかった。

 これはずっとのちになってからわかったことであるが、こうしたことばが私を痛めつけた

のは、私の友愛はまだ長い道筋を辿らなければ、成就して私心を去った友愛になりきること

ができなかったからにほかならない。そのときになって察しがついたことであるが、彼は私

の行くべき道と彼の行くべき道とを感じとって、自己防衛のために本能的に正当な反撃にで

たのであった。

 

 

 

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