森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

日本人は正直か・・・言語の魅力

2023-12-30 12:00:42 | 森の施設

 

      日本人は正直か・・・言語の魅力

 

 話し手の正直こそが、言語の魅力をつくりだすということである。それが唯一の条件では

ないにせよ、正直さの書けた言語は、ただの音響にすぎない。

 幕末以来、日本の外交態度について、欧米人から、この民族は不正直だといわれつづてきた。

私は日本人は不正直だとは決して思わないが、しかし正直であろうとすることについての練度

が不足していることはたしかである。ナマな正直はしばしば下品で悪徳でさえある。しかし練

度の高い正直は、まったくべつのものである。ユ-モアを生み、相手との間を水平にし、安堵

をあたえ、言語を魅力的にする。

 もしニュヨ-クでの歌舞伎幕開前のスピ-チで、、えらい人が、じつをいうと私は日本人の

くせに歌舞伎には関心がうすく、見巧者ではないのです、と正直に言ったとしたら、もっとす

ばらしかったろう。たとえば、以下のように。----------

「・・・私が半生無関心でいつづけたあいだに、歌舞伎は世界に出て行ってしまったのです。

ぜひきようは皆さんのまねをして、私も後ろの席で見ます。芝居がおわったあと、どこがおも

しろかったのか、こっそり耳打ちしていただけないでしようか」

 先日、英国のチャ-ルズ皇太子のさまざまなスピ-チが、日本銃を魅了した。言ってみれば、

練度の高い試用時期さというべきものだった。言語化された人格がひとびとの心をとらえたば

かりか、そり背後の英国文明の厚味まで感じさせてしまったのである。日本人は喋り下手だと

いわれているが、それ以上に、正直さに欠けているのではないか。政界のやりとりをみると、

ついそう思ってします。

          1986年(昭和61年)6月2日  司馬遼太郎著 「風塵抄」より

 

 この文章は32年前のものです。今マスコミで騒がれているパ-ティ-券云々の混乱ですが、

丁度30年前にリクル-ト事件が発生し、自民党は政治改革(選挙改革)を打ち出した。しかし、

いつしかその改革も元に戻って、贈与だ献金だと金銭問題に堕落の道を進んでしまった。その

集積とも言うべき問題が溜まり溜まって溢れだしたのが、現在の金まみれに堕落した与党の姿

と言うべきだろう。政治家がいくら改革提案をしてもそれを守らなければ、どのような制度で

も、いつの間にか元の木阿弥になってしまうだろう。

 司馬氏が言うように、正直さに練度を重ねなければ真の民主主義にはならないのかもしれな

い。特に政治家及びそれを目ざす人々には、それらが強く求められているのである。もちろん

国民の一人一人が一票の重さの自覚を持てる投票ができるように練度高めて行かなければなら

ないことは言うまでもない。これがある程度では無ければ、民主主義国家とは恥ずかしくて言

えないだろう。

 間もなく新しい年を迎えます。お屠蘇気分が済めば、一国民として研鑽に励みたいものである。

 

 

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現在の世情について・・・誰が反省し改めなければならないか

2023-12-21 16:55:26 | 森の施設

 

   現在の世情について・・・・誰が反省し改めなければならないか

 

  このテーマの問いに多くの国民は、それは政治家に決まっているじゃないかと、呆れられる

かも知れません。でもよくよく考えてみれば違った本質が見えてくるのである。

 つまり、我が国は主権在民、民主主義国家であるから、当然に施政者の責任と考えるかもしれ

ません。その為政者、政治家を誰が選んだのかという基を考えなくてはと思うのです。

 昨年からウクライナとロシアの戦争(侵略戦争だが)、そして今年の秋ごろよりイスラエルの中東

地域における過激な戦争等にについてマスコミ各社は毎日何本かの報道を続けている。これらいず

れも斯高い視聴率を狙って毎日何回も報道している。しかもその番組に出演している人々は時には

笑乍ら、正義感をこの時こそと吐き出している様にも見える。

 今日まで生の戦争をこれほど度々報道するなど思いもしていなかった。さらに、政治家の問題、

パ-テー券の売上を強いたり、横流ししたり金権政治を個々ばかりと報道している。これらは誰が

反省をしなければならないかをよくよく感が手見れば、誰でも解ることであるにも関わらず、つま

りこのような低たらくなで欲得の政治家を誰が投票して選んだのかということです。たしかに政治

各位の反省と責任を取らなければならないことは言うまでもありません。その前にそれらの政治家

を選んだ国民一人一人が大いに反省しなければならないでしよう。しかし、このようなことを言う

マスコミを初め全くと言ってよいほど、聞くことがありません。

 企業で多額の2万円のパ-テ-券を社員の名前で小刻みにして購入した形にして、政治家に公共工

事の発注の口利きをお願いするなど、企業の企業である。決して国の為にお金を出していないよう

に見えるのは私だけでしょうか。多額のお金を賭けなければ当選できない。というても、必ず定員

の人数だけは当選するのである。つまり、選挙活動に候補者には大きな金が必要としない仕組みを

作るべきだと思います。

 たとえば、ラジオやテレビにおいて候補者が政策提言をする機会を多く作ることです。それには

報道機関にも義務付け、その費用は国が負担し公募者には掛けないというシステムです。能力があ

り見識が豊かで政治家にふさわしいひとは世間は沢山おられるでしよう。しかし、自らを優秀な人

間だとPRしたり、金集めをすることは苦手というひとは、政治家の二世ぐらいしかいないでしよう。

選挙に金がかかると、報道に出て来る人達は金がかかるものだと決めつけられているようです。

 我が国は民主主義国家というけれども、戦後欧米から押し付けられた制度を追っかけ乍ら今日ま

できているように思われるのです。我が国の精神文化にふさわしい、諸制度を作り上げて行かなけ

ればとつくづく感じているところです。

 政治家の責任を追及しながらも国民の一人として反省することから始めなければ、現在の混乱し

ていることは必ず、また何時しか繰り返すことでしよう。

 

 

 

 

 

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心に太陽を持て

2023-12-12 14:12:49 | 森の施設

 

       心に太陽を持て

 

    心に太陽を持て

    あらしが吹こうが、雪がふろうが、

    天には雲、

    地には争いが絶えなかろうが、

    心に太陽を持て

    そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか、

    どんなに暗い日だって

    それが明るくしてくれる。

 

    くちびるに歌を持て

    ほがらかな調子で、

    毎日の苦労に

    よし心配が絶えなくとも

    くちびるに歌を持て

    そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか、

    どんなさびしい日だって

    それが元気にしてくれる。

 

    他人のためにも、ことばを持て

    なやみ、苦しんでいる他人のためにも、

    そうして、なんでこんなにほがらかでいられるのか、

    それをこう話してやるのだ。

 

    くちびるに歌を持て

    勇気を失うな、

    心に太陽を持て

    そうすりゃ、なんだってふっ飛んでしまう。

 

                  ツェ-ザル・フライシュレン

                   山本有三著 「心に太陽を持て」より

 

 

   

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自分の意志を貫く・・・我が人生に悔いなし

2023-12-09 14:14:46 | 森の施設

 

    自分の意志を貫く・・・我が人生に悔いなし

 

 世の中に偉大な業績を残された多くの人達は、自分の意志、夢を貫いてきたのである。

自分の意志や夢に一生を捧げる人こそ幸せな人でありましよう。

 しかし、世の中は組織の決まりがあり、社会のル-ルがあって、それに縛られてしまい

ます。よって、自分の意志を貫くことは極めて困難が付きまといます。つまり世の中のル

-ルに我慢し耐えながら、それを当然のこととして日々を過ごしています。その範囲で幸

せを掴むということになります。そのことで自分の意志というものを我慢して過ごすしか

ないと思っているのだろうと考えます。自分が晩年期を迎えるころになると、改めて今ま

で自分の意志というのがどのくらい発揮できたのかと、反省とも後悔とも知れぬ想いに至

ってしまうのです。

 若い時にもっとやりたかったことをしたかったと、あの時に考えた夢に挑戦してみたか

った、周りに妥協してしまったと悔やむ気持ちが湧いてきます。

 私は比較的、周りや会社の在り方に捉われずに、配属した職種から他の職種に頼み込ん

で3度も方向を変更しました。もちろんその時その時々でやり残したことは数え切れない

ほどありますが、大きな方向だけは自分で決めて進んで来ました。周りの人たちはあの人

は我がままで勝手な人だと思われたことと自覚していますが、あまりそれを気に懸けたこ

とがないほど、自分の意志を通して来ました。そして、来年は80歳になりますが、現在

も仕事を続けております。

 自分の意志をしっかりと身に着けることが大切なことだと思います。他人に物事を聞く

場合においても自分の意志をしっかりと肚に据えた上でいろいろの人に相談する教わるこ

が大切です。そして自分の意志を表明しつつ他に意見を求めるという在り方が必要でしよ

う。他人を批判したり世の中を批判して嘆くよりは、自分の置かれた環境の下で、自分の

気持、思いを明確にしていくこと。組織にあっては、意見を述べた上で決まったことには、

従って行く。いつまでもぶつぶつ思わず、勿論言葉にも出さずに割り切ってしまう。精神

の在り方を身に着けるべきと思うのです。 

 自分のこれまでの人生の日々を総括してみる時、世の中に大した貢献はありませんが、

ほぼ満足のいくものであったと思って要るところです。我が人生に悔いなし。

 

 

 

 

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死生観を考える

2023-12-04 15:30:19 | 森の施設

 

     死生観を考える

 我が国は最長寿の国である。そしてこれまで80年間は生命第一主義に徹してきた。そうな

らば、最高の価値が世界最高の水準で実現されているのであるから、至福の気分に浸っていれ

ば良いのではと思うのですが、多くの国民にそういう幸福感はあるのだろうか。

 どうもそうではなく、世界最高といえるほど街路や広場そして老若男女の多くが何だか不愉

快そうな顔つきに見えるのは私だけでしようか。

 高齢者の最大の悩みは、自分は一人になった時にいい施設に入れるだろうかという経済的な

目に見える問題、そして何時しか間違いなく訪れる死の問題である。まず経済的な問題につい

ても介護費用が年々高額になっていて、国のうつ政策では解決がつかないため、多くの平均以

下の蓄えのない人々の不安は尽きない。

 そして第二の問題、死生観の問題であるが、これはなかなか容易ではない精神な問題である。

いかに長命でも延命はいつまでも続かない、死はいつか必ずやってくる。死の不安・恐怖が高

まる。現代の我が国には戦争もなく、死を覚悟しなければならない日々はない。わずかに新型

コロナによる感染恐怖はあった。しかし僅か3年程度である。勿論運悪く感染された方とか自

衛隊の第一線で訓練している人は例外と言えよう。高齢者になるまでに死ということを考えな

くなっていて、初めて後何年間という状態になって初めて死ということを考えるのでは無いだ

ろうか。そこで初めて延命の事を精神的望むことに成り、若き時代には全く考えていなかった

死生観ということに思いを至らせるのである。それだから大きな不安や恐怖を感じてしまうの

だろう。元気な内に人間は必ず死ぬものだと思い一日一日を大事に生きることが肝心なのであ

る。死を考える時になってあれもしたかった、これもやりたかったと後悔をすることがそれが

不安と恐怖となってしまうのではないだろうか。 だから高齢になるまえから死生観を胸に叩

き込む必要性があると思うのです。

 

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