森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

大臣と禍⑮・・・水雲問答

2024-07-07 11:46:45 | 森の施設

 

     大臣と禍・・・水雲問答

 

雲    どうも自分が大臣という重要な任務に当たって、もう禍のくることが見えて防ぎ

    ようがないというときに、さっさと辞めるべきでしようか、それとも一度大臣とい

    う重大な地位・任務についた以上、禍の生ずるのを待って犠牲となるつもりで、そ

    の任務にたおれるべきでしょうか。

 

水    これは誠に大事なことであるから何とも申されません。辞任するか、禍の生ずる

    のを待って犠牲となるか、どちらかを決めるのは一にその人物次第であります。人

    物品格の高い人には高次元の決定があり、低い人には低次元の決定があるものです

    から、誰にでもこうすればよいと言えるものではあのません。人物次第によってそ

    の答えは異なりましよう。

 

雲    先日申し上げました、禍がすでに兆して、防ぐことができないときに臨んで、大

    臣の職を辞任すべきか、またその職に斃れるべきか、という決定は一にその人の品

    格によるという議論には感服いたしました。私の了見では、禍が生じても、自分の

    手で始末ができると思うときにき、何事が起ろうとも俺には自信がある。よし、や

    ってみようと決心して、その職に斃れて甘んじて犠牲になります。また初めから自

    分の実力でどうにもならないと思ったならば、じっと待っておって、ここだなとい

    う時機にみこしをあげて、決起するというもの一つの方法であると思います。

 

水    よくそこまでお考えになりました。そこまであなたがつっこんで申されますなら

    ば私もさらにつっこんでお答えしますと、自分の手で解決できると思ってみても、

    とうてい自分の手に負えないとわかったときは、自分にまさる適任者を薦めてやら

    されたらよろしいでしよう。自分にも力足らず、推薦する人もないときは、思いき

    って圏外に去ってしまうことも、また已むを得ないことでしよう。

 

 

 

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自任⑭・・・水雲問答

2024-06-28 13:21:02 | 森の施設

 

     自任・・・水雲問答

 

雲     天下の大政をとるほどの者は、俺がやるのだ、俺なら一つやってのけるという

     自任、自ら任ずることが必要です。自ら任じてかからなければとても仕事はでき

     るものではありません。こんな役目について、こんな仕事を背負って、とうてい

     自分の力ではできない、ということを知ってさっさと引き下がり、肩のこらない

     自由な暮らしをする、ということもよいことではありますが、天下の政を行うに

     臨んでは、自分の力でできないような事までも引き受けて、やり切ってしまうと

     いう才力がなければなりません。自分の器量、すなわち自分の実力を出し切って、

     そしてできないときは初めて退く。うまく成功するだろうか、失敗したら大変だ、

     と初めからおっかなびっくりでとりかかるようではいけません。

 

水     我が身のほどをはかってかかる、という意見は前の手紙にも論じたと覚えてお

     りますが、今度の高説はわかり易い尋常の道理ではなく、ちょっと格調の高いと

     申しますか、普通人ではいえない議論であります。これは一時的な、あるいは一

     人の面白い特別の議論であって、誰にでも、いつも間違いのないという教えでは

     ありません。これが聖賢と英豪の別れるところであります。英豪の意見は時には

     用いることができません。しかし聖賢の語は何処にいっても用いられぬところは

     ありません。

 

 

 

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経と権⑫・・・水雲問答

2024-06-21 16:12:45 | 森の施設

 

     経と権⑫・・・水雲問答

 

雲     国を治めるにあたっては、原則論、抽象論だけではいけない、時には権略もなく

     てはなりません。権とは「はかり」で「さお」が衝であります。おもりの権を動か

     し、さおが水平になるところへ持ってきて目方をきめるのでありますから、物事を

     正しく決する手段を権というのが本当の意味であります。それが堕落するとごまか

     しの意味にもなります。余り純粋にすぎますと本当の権から離れて、観念的な融通

     のきかない正になって、人心がが服さぬこともあるように思われます。そう申しま

     しても権略ばかりではまた正を失ってしまって、ご都合主義・便宜主義・手段本位

     になってしまう。そこで権略をもって勢多に帰するという工夫が大切であると思い

     ます。

 

水     秤の分銅をあちこちとうごかしてぴたりととまる。正しいところに落ち着く、と

     いう字義から権という字をとったものであるから、権は大事なものであります。た

     だ貴方のおっしゃる権略は、謀略家・策士の権変であって道の権ではありません。

     やはり人間はいかにあるべきか、また人間はいかに成すべきか、という人の道とい

     うものを心得ておきませぬと、権略はうまくいきません。しかしともかく、権とい

     うものはきわめて大事なものですから、よくよくお考えいただきたい。

 

    権は早く握って早く脱す⑬

 

雲      権力というとなんでもかんでも悪いという者があります。権力論というものは

      いつの時代でも、社会学・政治学の上の重要な問題の一つであります。さて、権

     の一字を考えると、大臣というもの、否、大臣ばかりではなく、およそ人を支配す

     る、人を左右する者はみな権力がなければなりません。だから上に立つ者はみな権

     力が与えられており、人間にはそれぞれ権力というものが認められております。と

     ころが権というものは曲者であって、とかく災いの生じ易いものであります。

     「老子」には「何事によらず客となって主とならず」すべてを客観視するという処

     世の妙を吐露しておりますが、左様ばかり申せませぬので、権というものは早く握

     って、早く抜けた方がよいと思います。どうも権を握ると、その権を私するから禍

     が生じますので、公平にして権を握りのますと禍はおこるものではありません。

 

水     これはあなたが沖につかれた大変高い議論であります。「客となって主とならず」

     という老子の説よりも、あなたのおっしゃることの方がもっと役にたちましょう。

 

    権と私⑭

雲     大臣の任にあるものは権がないといけません。大臣は天下の人物を選択するとい

     う大事な仕事を司る故、威権がないと支配できません。しかしそれは俺の権力だと

     か、俺の権限だとかいって、私心・私欲をとげることではありません。天下の事を

     時宜に随って、うまく処理してゆくのが権力でありますから・・・・。

 

水     仰せのとおり大臣の権は大切であり、必要なものであります。もし大臣に権力が

     なければ、国家を鎮圧することはできません。しかし私心を以て権力を使いますと、

     人はその権力を怖れません、馬鹿にします。

 

 

 

 

      

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泰平の悪風・・・水雲問答⑨

2024-06-15 12:08:02 | 森の施設

 

     泰平の悪風・・・水雲問答⑨

 

雲     天下が泰平になりますと、人情が薄くなり風俗がみだれますが・・・。

水     お尋ねの問題、いかにも痛切であります。

雲     どうして矯正したらよいか、その方法をお伺いいたします。

水     これはたいへん難しい問題で、まずこの風をなおそうと思ったならば、綱紀を正す

      すなわち何事によらず筋道を正す。そして風俗の堕落にまかさず、その風俗を直す

      ことが第一であります。

 

     鼻まがりでも・・・水雲問答⑩

雲     鼻がまがっても呼吸さえできればよい、ということわざがありますが、この節義の

     ない悪い風俗習慣をどうして矯正したらよろしいのでしようか。

水     このような節義の風が衰え、よごれた風俗が盛んになる、悪酔いしたような有様で

     ある。というのは、下から起るのではなく、上に立つ者がそういう手本を見せるから、

     だんだんそうなるのである。節義とはしめくくり、節を通すということであります。

 

    種を残すこと・・・水雲問答⑪

雲     およそ火事がおき火勢が猛烈な時には、人は近づくことができない。一時の火事で

     さえこの様である。まして世の中がだんだん頽廃して、世も、末だというようになった

     時には、人がこれをすぐにどうしよう、こうしようと思っても、どうすることもできま

     せん。無理にやろうとすると副作用に敗れることがあります。花が、春過ぎて枯れゆく

     時には、植木屋の名人でもどうすることもできません。それよりも来春のために種を残

     すということがあります。

      治国の術も同様であって、こういう頽廃した世の中を救えるような人物・精神・道徳

     信仰というものを残すことです。そうすると必ず時がくるとそれが育つものである。

      そういうことでは間に会わぬ、という考えも成立ちましようが、それでは他に方法が

     あるかと言いますと、なかなか都合のよい方法はありません。天下の俗流・時流に動じ

     ない、毅然とした人物・精神・道義・信仰というものを大事にしますと、必ず時代と人

     心を救うことができるものであります。

水     太田道灌の詠に、「いそがずばぬれざらましを旅人のあとより晴る々野路の夕立」と

     あるように、如何にも時を心得ない勇往直進する者を戒めている如く、これもよほど

     信念と見識がないといけません。いずれにしても大変難しい問題です。 

 

 

         

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権と人・・・棄物なし⑨-------水雲問答

2024-06-07 13:15:15 | 森の施設

 

    棄物なし⑨・・・水雲問答

 

雲   用にもいろいろありますが、有用の用ばかりではなく無用の用というものもあります。

   これはもっぱら老荘思想家などの喜んで論ずるところです。「荘子」という書物が「老

   子」と対になって出ておりますが、この場合は孔子の弟子に有名な曽氏(そうし)という

   人がありますので、これと紛らわしいので、老荘の場合には荘子(そうじ)という読み癖

   になっております。さて、いろいろの物事について絶えず心がけて、何事によらず工夫

   をしておりますと、どんなものでもみな棄てるものがありません。風月のような問題、

   それを題材にして詩を賦(ふ)し、酒を愛するというようなことも、往々にして世を離れ

   た閑人(ひまじん)のやることだと、いう風に考える人もありますが、工夫の仕方によっ

   てはたくさんの益を得られることが、しかもちょっとやそっとではありません。鯨を

   刺すのに余りとぎすぎた刀を使うと、すべて抜けてしまします。ところが、鈍刀、なま

   くらの刀は鯨が動くとますますはいる。従って鯨を仕留めるには利刀よりも鈍刀の方が

   よい、と聞き及びまして初めて感悟いたしました。大事をなす者はありとあらゆるもの

   を引き込み、時宜に従って取り出し活用することだと存じます。

 

水   こういう大手段がないと、すなわちケチでこせこせした方法では、大きな問題の解決

   はできません。大きな政治問題になると、型にはまった方法ではなく、自由自在の大手

   段が必要であります。牛の小便、馬の糞、破れ太鼓の皮までみな薬に活用するのが名医

   であると書かれております。

    また、たとえば、鶏の泣き声をうまくまねたり、犬の吠えるのを上手にやったりする

   ようなつまらない者でも居候においておくと、どんな役に立たないとも限りません。

   「史記」に孟嘗君(もうしょうくん)が亡命するときたいへん役に立った居候の話が書い

   てあります。孟嘗君が朝暗いうちに城を抜け出そうとしたが、門が閉まっていて通れな

   い。どうしたらよいか困ったあげく、鶏の朝鳴きの上手な居候を呼び、試しに鳴かせた

   ところ、門番はもう夜があけたと思って、目をこすりながら門を開けた。それでうまく

   逃げたという話であります。

    しかし、あらゆる者をひっぱりこんで使うには、これをちゃんと見分ける、あるいは

   使い分ける能力がないと、逆にこういう与太者のためにしてやられます。だからその見

   識が必要であります。これはよほど目のきく、腹のできた人でないとできないことであ

   ります。

 

 

 

 

  

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