韓建ばかりが利益を受ける昭宗の華州滞在を終わらせるために、李茂貞は一応謝罪し、八月昭宗は京師に戻った。
幽州劉仁恭は三月鹽利を争う滄州盧彦威を逐い、勢力を拡大した。
五月朱全忠は李克用の勢力の衰えに乗じて邢・めい[サンズイに名]・磁州を陥した。
五月以降湖南節度使馬殷は、支配の及ばなかった・衡・永州など湖南地方の平定を進めていった。
七月全忠は反旗を翻した山東趙凝を伐ち服属させた。
十二月克用の配下となっていた澤州李罕之は潞州を乗っ取り、全忠に附いた。
幽州劉仁恭は三月鹽利を争う滄州盧彦威を逐い、勢力を拡大した。
五月朱全忠は李克用の勢力の衰えに乗じて邢・めい[サンズイに名]・磁州を陥した。
五月以降湖南節度使馬殷は、支配の及ばなかった・衡・永州など湖南地方の平定を進めていった。
七月全忠は反旗を翻した山東趙凝を伐ち服属させた。
十二月克用の配下となっていた澤州李罕之は潞州を乗っ取り、全忠に附いた。
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