張行成。字は立。
定州義豐人也。
学業に励み大業末に孝廉に合格し謁者台散從員外郎。
王世充麾下では度支尚書になる。
世充敗北後、失脚して宋州谷熟尉。
しかたなく制舉に応じて雍州富平縣主簿。
殿中侍御史に進む。
監察の実績が高く太宗に評価される。
關東出身のため警戒はされたが、
給事中、刑部侍郎、太子少事と進む。
太子(高宗)側近となる。
太宗高麗遠征時太子を補佐し、後に河南巡察大使。
檢校尚書左丞を兼ねる。
加銀青光祿大夫。
二十三年侍中兼刑部尚書として宰相となる。
ついで北平縣公・監修國史。
二年八月尚書左僕射。
ついで太子少傅。
四年体調がすぐれず致仕を請願するがゆるされず、
十二月尚書省で勤務中に67才で卒する。
贈開府儀同三司并州都督。
子の洛客が嗣ぐが雍州渭南令に止まる。
孫に則天に寵愛される昌宗・易之がいる。
[宰相履歴]
貞觀19年2月右庶子同掌機務~?
貞觀23年5月檢校刑部尚書兼中書令~永徽2年8月侍中
~3年7月兼太子少保~4年12月薨
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