唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

乾符三~四年 西暦876~7年

2020-08-09 10:00:31 | Weblog
乾符三年 西暦876年
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三月,平盧軍節度使宋威為指揮諸道招討草賊使,檢校左散騎常侍曾元裕副之。
威は旧弊な将軍です。草賊の対処などできません。

七月鎮海軍節度使裴璩及王郢戰,敗之。

八月、宋威擊王仙芝于沂州城下,大破之,仙芝亡去。
唐朝軍のいつもの「勝った」報告です。正規軍は草賊に負けませんし、賊のほうもまともに戦うつもりはありません。遭遇したら逃げ散るだけです。逃げ遅れた賊を斬って「大破」ということになるのです。

九月丙子,王仙芝陷汝州,十一月,陷郢、復二州。十二月,陷申、光、盧、壽、通?、舒六州。
仙芝等は次々と淮南・河南道の諸州を陥していきます。諸州といっても節度使が置かれている治所の州はありません。攻めやすいところだけを選んでいるわけです。また流賊なので掠奪して、次の州へ流れて行くだけなので占拠はしません。

九月、忠武軍節度使崔安潛為諸道行營都統,李琢諸軍行營招討草賊使,張自勉副之。
草賊討伐が一向に進まないので安潛等が追加されます。

十二月、宰相王鐸の方針で蘄州において王仙芝を慰撫します。仙芝には卑官が授けられ、本人は喜びますが、黄巣などの配下にはなにもありません。巢は憤然として分離し、仙芝も配下の怒りを懼れて戦い続けることになりました。

乾符四年 西暦877年
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二月,王仙芝陷鄂州。
賊の勢力が強くなり、治所[鄂岳都団練観察]まで陥すようになってきました。

閏月,昭義軍亂,逐其節度使高湜。
三月,陝州軍亂,逐其觀察使崔碣。
十月,河中軍亂,逐其節度使劉侔。
各地の節度使で軍乱が起き、文官の節度使は放逐されることが多くなりました。

宰相鄭畋・王鐸[融和]と盧攜[鎮圧]が賊の鎮圧策で争いました。僖宗は当然決断できず、宰相達が怒鳴りあう状況です。

三月,宛句賊黃巢陷鄆、沂二州,天平軍節度使薛崇死之。
ついに賊は節度使を敗死させるほどの力を持ちました。ただし流賊なので占領はしません。

十一月,尚君長降,宋威殺之。
宦官都監楊復光が王仙芝を歸順を説き,仙芝は尚君長等を派遣して交渉させ降ろうとしました。ところが征討使宋威は途中で君長を捕らえて殺しました[融和派と鎮圧派の対立です]。仙芝は違約を怒り南下します。

十二月、王仙芝荊南を攻め外郭を陥しました。文官の節度使楊知温は狼狽するだけです。

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