唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

唐初功臣傳 2.劉世讓

2024-05-06 18:00:13 | Weblog
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劉世讓 字元欽
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義寧元年十二月
李淵[高祖]は長安を陥し隋帝[代王]を擁立した。

世讓は隋征仕郎であったが、湋川をもって降り通議大夫となった。

賊唐弼餘黨招撫に派遣され行軍総管となったが、弟寶俱とともに薛舉軍に敗れて捕らえられた。

唐軍が来襲したとき脱出して帰国し、薛仁杲平定後彭州刺史となった。

武德二年十二月
行軍總管として夏縣呂崇茂を攻めた世讓ですが、宋金剛の来襲により敗北し、永安王孝基・獨孤懷恩と共に捕らえられた。

三年二月
世讓は劉武周と唐の和議の為釈放され、その際に獨狐懷恩を誣告[誅殺]して封弘農郡公。

十二月
并州総管として凶暴な突厥倫特勒を捕らえられた。
そして行軍總管として洺州の竇建徳軍を攻めた。

四年三月
建德の黄州を陥しましたが、洺州は攻めきれず、突厥の并州侵攻に備えて撤退した。

五年三月
雁門に屯し、突厥頡利可汗・高開道・苑君璋軍と対峙しましたが退却した。

六年六月
前并州總管から廣州總管に転じました。世讓は突厥の鋭鋒とは決戦せず、持久によりその戦力を削ぐことを注力し、結果として苦しんだ突厥の麾下である馬邑の苑君璋將高滿政は降ってきた。

十月
突厥は世讓を憚り、世讓が突厥と通じて戦闘を避けていると誣告し、それを信じた高祖は廣州都督世讓を殺し、その家を籍没した。

貞觀初
突厥よりの來降者により冤罪がわかり、妻子は復された。


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