唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

陳許忠武軍節度使 その2

2012-11-29 09:12:19 | Weblog
・元和13年[818年]淮西節度使が廃止され蔡州が移管され陳許蔡を領州とすることとなった。
忠武軍は淮西の強兵も併せて唐朝最強の軍となり、光顔は三度(元和9~13.13~14.
長慶1~宝暦1)節度使となり、軍を率いて各地を転戦した。
・その後も各地の反乱や侵攻があるたびに忠武軍は派遣されていった。節度使は武官と
文官が混在するが、文官も有能な者が任命された。
・乾符年間[874-879]、王仙芝・黄巣の叛乱に対しても活動したが、廣明元年[880年]黄巣の
北進に対峙していた忠武軍に軍乱が起こり節度使薛能は殺され周岌が自立した。そのため
齊克讓に率いられて諸軍は潰乱し、巢から東都を守る者はいなくなった。
・岌は巢に降って節度使に任命されが、蔡州では秦宗權が自立した。
・京師陥落後の中和元年[881年]体勢を整えた岌は監軍楊復光と謀り唐朝に復帰した。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 陳許忠武軍節度使 その1 | トップ | 陳許忠武軍節度使 その3 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事