來濟。字は不明。揚州江都人
隋左翊衛大將軍榮國公護の子。
宇文化及の乱により一家離散。
学を好み文詞に通じている。
進士となり貞觀中通事舎人。
考功員外郎より十八年太子司議郎兼崇賢館直學士。
ついで中書舎人となり「晉書」を撰する。
永徽二年中書侍郎兼弘文館學士監修國史。
四年同中書門下三品として宰相に連なる。
五年加銀青光祿大夫・南陽縣男
六年中書令檢校吏部尚書に移る。
長孫無忌の貴族派閥に属し、高宗が王皇后を廃する事
に反対する。
武皇后立ち辭職を申し出るが認められず。
顯慶元年兼太子賓客・南陽縣侯に進む,中書令如故。
二年兼太子事。
ついで台州刺史に貶せられる。
五年さらに僻地の庭州刺史へ貶せられる。
龍朔二年突厥入寇時に自殺的攻撃をして戦死。53才。
贈楚州刺史
兄の恒もまた宰相となる。
[宰相履歴]
永徽3年3月守黄門侍郎同中書門下三品~6年5月侍中
~顯慶元年正月兼太子賓客~2年8月貶
隋左翊衛大將軍榮國公護の子。
宇文化及の乱により一家離散。
学を好み文詞に通じている。
進士となり貞觀中通事舎人。
考功員外郎より十八年太子司議郎兼崇賢館直學士。
ついで中書舎人となり「晉書」を撰する。
永徽二年中書侍郎兼弘文館學士監修國史。
四年同中書門下三品として宰相に連なる。
五年加銀青光祿大夫・南陽縣男
六年中書令檢校吏部尚書に移る。
長孫無忌の貴族派閥に属し、高宗が王皇后を廃する事
に反対する。
武皇后立ち辭職を申し出るが認められず。
顯慶元年兼太子賓客・南陽縣侯に進む,中書令如故。
二年兼太子事。
ついで台州刺史に貶せられる。
五年さらに僻地の庭州刺史へ貶せられる。
龍朔二年突厥入寇時に自殺的攻撃をして戦死。53才。
贈楚州刺史
兄の恒もまた宰相となる。
[宰相履歴]
永徽3年3月守黄門侍郎同中書門下三品~6年5月侍中
~顯慶元年正月兼太子賓客~2年8月貶
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