唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

(番外)河北三鎭 その2河北五鎭時代

2013-02-25 15:13:48 | Weblog
幽州朱・魏博田承嗣・成徳李寶臣に併せて淄青李正巳・淮西李希烈・山東梁崇義という藩鎭全盛期は、まず幽州朱が唐朝に接近し入朝し、大暦14年[779年]に承嗣が卒し、甥の悦が継承して一応恭順の姿勢を示すことにより崩れた。
大暦年間の蓄積により自信を取り戻した唐朝は徳宗皇帝の強硬方針により藩鎭抑圧の体制を示した。まず建中2年[781年]最弱の山東梁崇義が平定され、3年李寶臣没後の成徳李惟岳が誅された。
しかし戦後の処理のまずさから、恒冀王武俊・魏博田悦や淄青李納(正巳の後継)・幽州朱滔(の弟)や淮西李希烈が反して大乱となり、入京していた朱の反乱により京師より遁走する始末となった。
乱の慰撫(平定とは到底いえない)後は、幽州・成徳・魏博の三鎭に加えて、成徳より分離した義武軍[易定二州.張氏]・横海軍[滄州.程氏]の五鎭体制となった。多少の成果としては山東の回収と、淮西の縮小が見られるだけであった。

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