唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

廣明二年/中和元年 その2 西暦881年

2020-08-15 10:00:52 | Weblog
廣明二年/中和元年 その2 西暦881年
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三月,赦李國昌及其子李克用以討黃巢。
五月丙辰,克用寇太原,振武軍節度使契苾璋敗之。
黄巣軍に比べて唐朝軍は兵数も少なく、しかも王鐸・鄭畋といった文官では統制もできません。巢の拠る京師を包囲してはいるものの有効な打撃を与える力はありません。そこで河東地方にいる強力な沙陀騎兵を活用したいのですが、沙陀が信服する人材と言えば、酋長である追放されている李國昌・克用親子しかいませんでした。そこで王鐸は二人を赦して活用することにしましたが、河東節度鄭従讜との連絡不徹底によりうまくいきません。

五月、忠武軍節度周岌が帰順しました。監軍宦官楊復光は忠武軍を率いて鄧州を陥し、黄巣包囲網が完成しました。

六月、李克用遇大雨,己亥,引兵北還,陷忻、代二州,因留居代州。
撃退された克用はそれでも勢力を回復し代北に自立します。

七月丁巳,大赦,改元。
やっと縁起の悪い「廣明」をやめて改元「中和」にこぎ着けることができました。

七月丙寅,神策軍將郭琪反,伏誅。
西川では田令孜の連れてきた神策軍と、現地軍との間で待遇の差から軋轢が生じて軍乱がおきています。令孜は独裁的権限をもっています。

八月,感化軍將時溥逐其節度使支詳,自稱留後。
昭義軍節度使高潯及黃巢戰于石橋,敗績,其將成麟殺潯,入於潞州。
九月丙午,鄜延節度使李孝章、夏綏銀節度使拓拔思恭及黃巢戰於東渭橋,敗績。
唐朝側では敗戦が続き、方鎭の將士は命令に従わなくなります。
黄巣軍も京師に居竦んだままで、攻撃を撃退はしますが、進撃はしません。

八月、臨海賊杜雄陷台州。永嘉賦朱褒陷溫州。
淮南浙江の諸州がどんどん賊の所有になります。これは流賊では無く自立していくのです。

十月,鳳翔行軍司馬李昌言逐其節度使鄭畋。十一月,李昌言為鳳翔節度行營招討使。
包囲軍主帥の鄭畋が軍乱により追われてしまいます。

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