唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

魏博節度使 その8

2011-12-30 17:27:23 | Weblog
・樂彦禎は節度使となるが実権は牙軍にあった。そのため子従訓を相州刺史として私兵を集めさせた。
・樂従訓は義成節度から義昌節度へ赴任中の王鐸一行を襲って殺害し私財を奪った。
唐朝は衰弱していたのでこれを処分できなかったが、さすがに魏博内でも評判はわるかった。
・文徳元年[888年]2月牙軍は樂彦禎を殺し、新節度使には羅宗弁[賜名されて弘信]を擁立した。
従訓は朱全忠の援助を得て抗戦し内戦状態となった。
・4月牙軍は従訓を破り、朱全忠は軍を引いた。
・大順二年[891年]朱全忠は魏博を攻めて破り従わせた。
・光化元年[898年]羅弘信は卒し、子の紹威が嗣いだ。
・光化二年[899年]幽州劉仁恭が来寇したが、朱全忠の援軍を得て破った。
・天祐三年[906年]羅紹威は牙軍の横暴に耐えかねて、朱全忠の支援をえてこれを屠した。
魏博全域で内乱が起こったが鎮圧には成功した。しかしその戦力は大きく低下し、
朱全忠に全面的に従うしかなくなった。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿