正月以降王建は東川攻撃を続行中であった。
六月李茂貞が仲間の王行瑜が誅殺されたことを恨み、来寇した。
昭宗は京師を棄てて河東の李克用を頼ろうとしたが、途中華州の韓建に請われて滞在することになった。
建は茂貞の同類であった。
九月馬殷が湖南の主導権を取り自立していった。
李克用は東方への進出をはかり、十月それを阻止しようとする魏博羅弘信を破ったが、朱全忠の来援により阻止された。
六月李茂貞が仲間の王行瑜が誅殺されたことを恨み、来寇した。
昭宗は京師を棄てて河東の李克用を頼ろうとしたが、途中華州の韓建に請われて滞在することになった。
建は茂貞の同類であった。
九月馬殷が湖南の主導権を取り自立していった。
李克用は東方への進出をはかり、十月それを阻止しようとする魏博羅弘信を破ったが、朱全忠の来援により阻止された。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます