隴州は鳳翔の西北にあり吐蕃の領域と接しています。
①.建中四年[783]以隴州置奉義軍節度使,尋廢
十月、涇原軍の反乱に始まる朱泚の乱により、鳳翔節度使の属州である隴州にも朱泚の兵が来襲しました。
留後であった判官の韋皐は従わず防衛に努めました。
十一月、唐朝はこれを支援するため隴州に奉義軍を置き,韋皐を節度使としました。
その後李懷光の来援により危機を脱しました。
「尋廃」とは興元元年[784]八月のことで、韋皐は左金吾大将軍になり隴州は鳳翔節度に戻されました。
②.大中五年[851]罷領隴州,以隴州置防禦使,領黃頭軍使
隣接の吐蕃に内乱が置き影響が及ぶ事を懸念したのでしょう。
③.中和三年[883]隴州防禦使增京甸神勇軍使
④.天復元年[901]升隴州防禦使為保勝軍節度使
鳳翔李茂貞の領域になり、配下の将に配分するために自作した方鎭でしょう、養子の李繼岌が任ぜられました。
①.建中四年[783]以隴州置奉義軍節度使,尋廢
十月、涇原軍の反乱に始まる朱泚の乱により、鳳翔節度使の属州である隴州にも朱泚の兵が来襲しました。
留後であった判官の韋皐は従わず防衛に努めました。
十一月、唐朝はこれを支援するため隴州に奉義軍を置き,韋皐を節度使としました。
その後李懷光の来援により危機を脱しました。
「尋廃」とは興元元年[784]八月のことで、韋皐は左金吾大将軍になり隴州は鳳翔節度に戻されました。
②.大中五年[851]罷領隴州,以隴州置防禦使,領黃頭軍使
隣接の吐蕃に内乱が置き影響が及ぶ事を懸念したのでしょう。
③.中和三年[883]隴州防禦使增京甸神勇軍使
④.天復元年[901]升隴州防禦使為保勝軍節度使
鳳翔李茂貞の領域になり、配下の将に配分するために自作した方鎭でしょう、養子の李繼岌が任ぜられました。
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