唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

光化三年~天復元年 西暦900~01年

2020-08-30 10:00:58 | Weblog
光化三年 西暦900年
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九月,甲寅,朱全忠陷瀛州。十月丙辰,陷景州、辛酉,陷莫州。辛巳,陷祁州。
甲申、陷定州,義武軍節度使王郜奔於太原。
全忠軍は仁恭軍を追撃して次々と属州を陥しました。そして突然義武軍節度に侵攻し、郜を大破しました。陷定州[義武軍治所]とありますが、定州には王處直[郜叔父]が籠もって全忠麾下に入る盟約をしただけです。

九月、朱全忠移兵伐之,下臨城,逾滹沱,攻鎮州南門,焚其關城。
全忠は克用に付いていた成德節度王鎔を攻めました。鎔は全忠に附くことを約しました。

十月、李克用遣李嗣昭將步騎三萬下太行,攻懷州,拔之,進攻河陽。
克用は幽州支援の為、全忠の背後を攻撃しました。

◎.朱全忠は魏博・成德・義武を麾下に加え、幽州・滄景に大打撃を加えてほぼ河北を平定しました。
克用の勢力は縮小し、全忠優位の態勢が築かれます。

十一月己丑,左右神策軍中尉劉季述、王仲先等作亂,皇帝居於少陽院。辛卯,皇太子裕為皇帝。
昭宗は悪化するのみの状態を悩み、過度の飲酒により狂乱状態となることあり、宦官達は廃位して、皇太子に譲位させることにしました。崔胤達宰相は無視されてしまいます。そこで胤は宦官の影響下にない地方軍將の孫德昭達を使って策謀します。

天復元年 西暦901年
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正月乙酉,孫德昭等以兵討亂,皇帝復于位。劉季述、薛齊偓伏誅,降封皇太子裕為德王。
崔胤は德昭等を使い宦官達を誅して昭宗を復位させました。胤はこの機会に宦官を誅滅させたかったようですが、昭宗の同意を得られず、茂貞等への配慮もありなりませんでした。

正月戊申,朱全忠陷絳州。陷晉州。戊辰,陷河中,執護國軍節度使王珂。
全忠は突然河中節度を攻撃しました。油断していた王珂は狼狽して降りました。克用派がさらに縮小し、全忠は鹽池の利権を入手しました。

三月辛亥,昭義軍節度使孟遷叛附于朱全忠。四月壬子,全忠陷沁、澤二州。
克用派の孟遷が情勢をみて全忠に降り、昭義軍領域も全忠のものとなりました。克用には河東節度しか残っていません。

五月,李茂貞來朝。
宰相崔胤は宦官・茂貞達に対抗するため、全忠の入京を求めました。茂貞は前回の失敗に懲りて昭宗を確実に確保するために入京しました。

十月戊戌,朱全忠犯京師。十一月己酉,陷同州。壬子,如鳳翔。丁巳,陷華州,韓建叛附于全忠。
全忠は京師に向かい、同華二州を制圧しました。韓建はいち早く降って許され、忠武節度に遷されました。茂貞は昭宗達を本拠地鳳翔に拉致しましたが、崔胤達は全忠の元に奔りました。

十一月癸亥,李茂貞及朱全忠戰於武功,敗績。戊辰,朱全忠犯鳳翔。
辛未,陷邠州,靜難軍節度使李繼徽叛附于全忠。
茂貞軍は弱く、全忠により追いつめられて鳳翔に籠城しました。
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