唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

乾寧五年/光化元~二年 西暦898~99年

2020-08-29 10:00:58 | Weblog
乾寧五年/光化元年 西暦898年
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二月,赦李茂貞。

三月,幽州盧龍軍節度使劉仁恭之子劉守文陷滄州,義昌軍節度使盧彥威奔於汴州。
自立した仁恭は、隣接した滄景[義昌軍]盧彥威を攻めます。匡籌を殺された恨みもありますし、強力な幽州軍に対して彥威は人望がなく簡単に敗退します。滄景德三州が仁恭の領土になります。

五月辛未,朱全忠陷洺州,刺史邢善益死之;又陷邢州。壬午,陷磁州,刺史袁奉韜死之。
幽州を失い形勢が不利となった克用領を全忠は魏博と連合して攻めます。

七月丙申,朱全忠陷唐州,又陷隋州,執刺史趙匡璘。八月戊午,陷鄧州,執刺史國湘。
全忠軍が行密に敗れたため、山東節度趙匡凝は行密に通じますが、全忠に攻められるとたちまち崩れて降伏します。全忠も南北で作戦を行っているため追いつめません。

七月壬戌,至自華州。甲子,大赦,改元。
華州より荒れ果てた京師に戻り改元「光化」しましたがこの当時ですからどこまで浸透したかはわかりません。

十二月癸未,李罕之陷潞州,自稱節度留後。李克用陷澤州。
克用麾下の昭義節度使薛志勤が卒します。澤州刺史李罕之[以前に昭義節度使であった]は後任になることを求めます。罕之は軍功がありますが、あまり信用していない克用は認めません。そこで罕之は実力で占領し全忠に付きました。

光化二年 西暦899年
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正月,劉仁恭陷貝州。
三月、朱全忠遣其將李思安、張存敬將兵救魏博。
滄景を得た仁恭は魏博に侵攻し貝州を取ります。河北は幽州を除いては弱兵ばかりなので魏博羅紹威は全忠に頼ります。全忠軍は仁恭を大破しました。

八月,李克用陷澤、潞、懷三州。
克用軍が反撃し領土を回復します。

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