唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

壽州都団練観察使

2012-06-24 19:16:07 | Weblog
・建中4年[783年]に河北・淮西・關内で戦乱が起こり壽州にも団練使が置かれた。
・淮西李希烈は勢力拡大を図り、諸将を派遣し河南・淮南・鄂岳へと侵攻しはじめ、
唐朝の財源たる淮南・浙江地方が危機に瀕した。淮南陳少遊は希烈を懼れて帰服する傾向を見せた。
・しかし壽州刺史張建封は断固として抗戦する構えをくずさず。唐朝は興元元年[784年]
壽州に都団練観察使を置き、濠・盧州の三州を領させた。このため希烈は東進をあきらめ淮南は守られた。
・戦乱が収まった貞元4年[788年]、漕運の重要拠点である徐州には年少の高明應が刺史
となっているだけであった。宰相李泌は有能な建封を徐州に移し、泗濠州を附けて節度使として
淄青平盧李納に対抗させることにした。
・壽州は盧州とともに淮南領にもどり、団練使だけが存置された。

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