唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

天寶十五年/至德元年 西暦756年

2020-06-06 09:09:25 | Weblog
天寶十五年/至德元年 西暦756年
------------------------------------------------------
八月,朔方軍の将帥郭子儀,李光弼を使相としました。
この時 幽州軍は安禄山支配下、河東軍は混乱分散、河西・隴右軍は潼関で潰滅しており、唐朝が動員できる軍は弱体な劍南[玄宗下]を除けば、朔方軍だけでした。子儀は光弼を河東に送り込みその再建を図ります。

八月癸巳,靈武使者至蜀,丁酉,制:「自今改制敕為誥,表疏稱太上皇。四海軍國事,皆先取皇帝進止」
玄宗は肅宗の即位を認め全権を付与します。

十月、房琯為招討西京、防御蒲潼兩關兵馬元帥,王思禮副之。
文官宰相房琯はろくに体制が整っていないのに、京師奪還を提案し元帥となります。副将王思禮が軍事を統轄しますが、彼は政治的将軍であり軍才はありません。

十月辛丑,房琯以中軍、北軍及安祿山之衆戰于陳濤斜,敗績。
兵事を知らない琯や凡將思禮は、安禄山將安守忠に一蹴されます。無駄に兵を失っただけで終わります。安禄山軍が迫ってきました。

十月,肅宗の弟である永王璘が淮南で自立を図ります。

十一月戊午,回紇至帶汗谷,與郭子儀軍合。
郭子儀率回紇及安祿山戰於河上,敗之。
唐朝は強力な騎兵を持つ回紇軍の援助を求めます。安禄山軍は北上を阻止されます。

十一月、禄山將史思明寇太原。
河東に入った李光弼は安禄山軍を撃退し河東を守り抜きました。

十二月,安祿山陷魯、東平、濟陰三郡。
河北では顔真卿を中心とする唐朝残党が抵抗を続けていますが、禄山軍は山東を平定していきます。

是歲,吐蕃陷嶲州,嶺南溪獠梁崇牽陷容州。
辺境の防衛軍が弱体化し侵攻・蜂起が続きます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 肅宗前史 | トップ | 至德二年 その1 西暦757年 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事