唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

貞元二十一年/永貞元年 西暦805 和暦 延暦24年 6

2020-01-25 10:04:00 | Weblog
八月己未,宰相袁滋を劍南東西川山南西道安撫大使とした。
 自立した西川劉闢は追認を求めた。唐朝は新帝が即位したばかりでなかなか方針
 が統一できず、当面宰相袁滋を派遣して様子をみることとした。
 当時の宰相は賈耽は德宗以来の姑息な傍観派、杜黄裳は強硬な鎮圧派、袁滋は融
 和派、韋執誼は失脚寸前で発言権のない状況であり、憲宗は即位したてで決断で
 きなかったようである。

八月癸亥,尚書左丞鄭餘慶が宰相となった。
 餘慶は正論を好む強硬派で討伐派が増加した。

九月己卯,王叔文派の少壮官僚韓泰、韓曄、柳宗元、劉禹錫、程异を左遷した。
 德宗の緩んだ治世に耐えきれず、有能な若手官僚が叔文についていたが左遷される
 ことになった。これより長く貶せられ、劉禹錫や程异のように再び起用されるもの
 もいたが、詩人柳宗元のように貶地で卒することななったものもいた。

十月丁酉,宰相賈耽が卒し、姑息派はまた減少した。

十月戊戌,安撫使袁滋を劍南西川節度使とし、劉闢の継承を認めず給事中として召還した。
 黄裳や餘慶など強硬派が強くなり、融和派の袁滋に解決を押しつけた。給事中は
 位階は低いが要職であり、文官として本来の劉闢の立場からは栄転である。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 貞元二十一年/永貞元年 西暦... | トップ | 貞元二十一年/永貞元年 西暦... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事