唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

大中九年~十年 西暦 855~856 

2020-02-26 10:06:38 | Weblog
正月甲申,成德軍節度使王元逵が卒し、子紹鼎が継ぐ。
 唐朝にはもはや河北三鎮の継承については追認するだけであった。

七月,丙辰,宰相崔鉉が淮南節度使となった。
 前使名門貴族出身の杜悰が遊興にふけり、要地である淮南が混乱したため交代
 させた。

是月,浙東道軍亂,觀察使李訥が逐われた。
 これも名門貴族李遜の子である。監軍と共に乱政をしたため逐われた。
 沈珣(傅師の子、やはり貴族)が赴任し鎮圧した。

 宣宗は宮廷の小吏の名前まで覚え、節約し日夜行政に励んでいたが、既に唐朝
 文武官は構造的に硬直し、宦官に限らず腐り果てていていかんともしがたかった。
 邠寧・鄜坊・涇原・朔方・振武等西北方面は腐敗した神策軍出身の軍人が
 淮南・浙西・浙東・宣歙・江西等江淮方面は腐敗した文官貴族出身が収奪にのみ
 励み、わずか数人の練達した能吏を使い回すことで表面を繕っていた。

大中十年
正月宰相交代 鄭朗が任。十月裴休が罷、十二月崔慎由が任。
 宰相のような重要人事ですら新唐書・旧唐書・通鑑でバラバラである。当時の資
 料が散逸している為で、旧唐書などは異常に詳細な部分と、簡略な部分に分かれ
 ている。

そして崩壊の予兆が見え始めた。
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