唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

劍南節度使 西川節度使 その8

2012-05-01 22:19:28 | Weblog
・大順元年[890年]より王建は次々と諸州を陥とし成都を包囲していった。従来型の武将の敬瑄
に比べて、蛮族の支持を得て戦乱に長じた建は優勢であった。
・大順二年[891年]招討使韋昭度は戦乱の悲惨な状況を懼れて両者の和を図ったが、優勢な建は
これを逐って征討を続け、敬瑄は令孜と共に降伏した。
・景福元年[892年]最後まで抵抗を続けていた彭州を陥し、晟は戦死した。景福二年[893年]
建は敬瑄・令孜を殺し永平・威戎を廃して西川を統一した。
・乾寧元年[894年]は東川顧彦暉に侵攻し、乾寧四年[897年]これを制圧した。
・天復二年[902年]朱全忠の鳳翔李茂貞攻撃に乗じて、山西方面を攻撃し茂貞領を奪った。
・天復三年[903年]荊南成汭の敗死に乗じて蘷忠萬施州を奪った。
・天祐年間[904-907年]に入ると鳳翔茂貞を対全忠対策のため支援し同盟を深めた。
・天祐三年[906年]には金州を攻撃馮行襲を逐ったが奪回された。
・全忠の自立に対抗して建は蜀を建国し皇帝となった。
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