今日、古書店をぶらりとしていたら河出書房の日本文学全集と世界文学全集がなんと1冊105円でワゴンに入って叩き売りされていたので、その中より2冊購入。
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『世界文学全集28 ロレンス 息子と恋人 死んだ男』
昭和43年4月20日初版発行
河出書房発行
『日本文学全集26 林芙美子・円地文子』
放浪記・浮雲 なまみこ物語・二世の縁・拾遺・他 収録
昭和43年9月30日発行
河出書房新社発行
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ケースから取り出すと、本体の装丁はこんなかんじ。
背表紙が写っていないがロレンスのほうは、赤字に金文字で「ロレンス 息子と恋人 死んだ男」、林芙美子・円地文子のほうは、黒字に金文字で「林芙美子・円地文子」と打ってあり、豪華な雰囲気。
出版社の折込広告もきちんと保存されていており、素晴らしい。
また、このデザインが昭和40年代という時代を感じさせる。
中の挿絵も素敵。
ロレンスのほうは、ドナルド・リーク。
林芙美子のほうは、中島清之(円地文子のほうは北沢映月)。
しかも、『林芙美子・円地文子』の解説は、竹西寛子である。凄い。
とにかく、豪華なラインナップだ。
ケースに多少の汚れとシミ、本体の紙にも経年のヤケがあるものの、カビやキズ、目につく汚れもなく、良好な状態。
それなのに・・・この古書店は、何とシール式の値札を帯の部分ではなくケース本体に貼り付けてあり、ドライヤーを使って慎重にはがしたものの、その部分だけ紙がはがれて毛羽立ちが・・・・。
古本を扱う専門店ならば、もう少し、貴重な本に対して敬意を払って扱って頂きたい。と、怒りが湧いてくる。
定価750円だったこれらの本が、105円という価格で投げ売りされていることにも驚く。
1968年に750円という価格は、決して安いものではないだろう。
例えば、消費者物価指数(総務省統計局)で計算してみると、
1968年は東京都区部で510.5pt、2006年は同地で1769.3ptなので、現在の物価は当時の約3.46倍というわけだ。
つまり、この全集は今の物価に照らし合わせると、約2600円ということになる。
それが、105円。
もちろん、買い手にとっては安いに越したことはないが、これがこの本の今の時代の価値なのだ。
物価での単純な比較のみならず、当時“文学全集”というものは、インテリ家庭の象徴として、存在価値が高かったはずだ。
(私の生家にも、似たような重々しい装丁の百科事典が全巻揃っていて、憧れを持って書斎を覗いていたものだ。)
それが、今や1冊105円で叩き売りされるとは…。
推測でしかないが、この文学全集を持っていた家庭で世代交代が起こり、もはや不要の財産となったのではないだろうか。
“財産”と思う価値もなく、「捨てるよりはマシ」というレベルの感覚で売ったのだろう。
売値が105円ということは、手元には10~20円しか入るまい。
『林真理子の名作読本』(文春文庫)で、林真理子は「20代に読みたい名作」の54冊のうちのラストに『ロレンス短編集』を挙げている。
この文章が、すべてを物語っている。
以下、引用。
(前略)今回私が選んだのは、D・H・ロレンスの短編集である。ロレンスといえば「チャタレイ夫人の恋人」があまりに有名であるが、私は自伝的小説の「息子と恋人」の方が好きだ。(中略)よって最後は「息子と恋人」にしたかったのであるが、なんと絶版になっていたのである。私が若い人たちに、今のうちに名作を読んでおくように勧めるのもこういうところにある。(中略)もっとD・H・ロレンスは読まれるべき作家だと思うが、もはや絶版になっているとは……。私の本など二十年後、いったい何冊残っていることだろうか。作家というのは読者がいなければ無に等しい。(後略)
本の価値がどんどん下がり、渋谷を闊歩する女子高生が書いたようなケータイ小説の書籍化が売れに売れる、という世の中。
一抹の寂しさがある。
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『世界文学全集28 ロレンス 息子と恋人 死んだ男』
昭和43年4月20日初版発行
河出書房発行
『日本文学全集26 林芙美子・円地文子』
放浪記・浮雲 なまみこ物語・二世の縁・拾遺・他 収録
昭和43年9月30日発行
河出書房新社発行
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ケースから取り出すと、本体の装丁はこんなかんじ。
背表紙が写っていないがロレンスのほうは、赤字に金文字で「ロレンス 息子と恋人 死んだ男」、林芙美子・円地文子のほうは、黒字に金文字で「林芙美子・円地文子」と打ってあり、豪華な雰囲気。
出版社の折込広告もきちんと保存されていており、素晴らしい。
また、このデザインが昭和40年代という時代を感じさせる。
中の挿絵も素敵。
ロレンスのほうは、ドナルド・リーク。
林芙美子のほうは、中島清之(円地文子のほうは北沢映月)。
しかも、『林芙美子・円地文子』の解説は、竹西寛子である。凄い。
とにかく、豪華なラインナップだ。
ケースに多少の汚れとシミ、本体の紙にも経年のヤケがあるものの、カビやキズ、目につく汚れもなく、良好な状態。
それなのに・・・この古書店は、何とシール式の値札を帯の部分ではなくケース本体に貼り付けてあり、ドライヤーを使って慎重にはがしたものの、その部分だけ紙がはがれて毛羽立ちが・・・・。
古本を扱う専門店ならば、もう少し、貴重な本に対して敬意を払って扱って頂きたい。と、怒りが湧いてくる。
定価750円だったこれらの本が、105円という価格で投げ売りされていることにも驚く。
1968年に750円という価格は、決して安いものではないだろう。
例えば、消費者物価指数(総務省統計局)で計算してみると、
1968年は東京都区部で510.5pt、2006年は同地で1769.3ptなので、現在の物価は当時の約3.46倍というわけだ。
つまり、この全集は今の物価に照らし合わせると、約2600円ということになる。
それが、105円。
もちろん、買い手にとっては安いに越したことはないが、これがこの本の今の時代の価値なのだ。
物価での単純な比較のみならず、当時“文学全集”というものは、インテリ家庭の象徴として、存在価値が高かったはずだ。
(私の生家にも、似たような重々しい装丁の百科事典が全巻揃っていて、憧れを持って書斎を覗いていたものだ。)
それが、今や1冊105円で叩き売りされるとは…。
推測でしかないが、この文学全集を持っていた家庭で世代交代が起こり、もはや不要の財産となったのではないだろうか。
“財産”と思う価値もなく、「捨てるよりはマシ」というレベルの感覚で売ったのだろう。
売値が105円ということは、手元には10~20円しか入るまい。
『林真理子の名作読本』(文春文庫)で、林真理子は「20代に読みたい名作」の54冊のうちのラストに『ロレンス短編集』を挙げている。
この文章が、すべてを物語っている。
以下、引用。
(前略)今回私が選んだのは、D・H・ロレンスの短編集である。ロレンスといえば「チャタレイ夫人の恋人」があまりに有名であるが、私は自伝的小説の「息子と恋人」の方が好きだ。(中略)よって最後は「息子と恋人」にしたかったのであるが、なんと絶版になっていたのである。私が若い人たちに、今のうちに名作を読んでおくように勧めるのもこういうところにある。(中略)もっとD・H・ロレンスは読まれるべき作家だと思うが、もはや絶版になっているとは……。私の本など二十年後、いったい何冊残っていることだろうか。作家というのは読者がいなければ無に等しい。(後略)
本の価値がどんどん下がり、渋谷を闊歩する女子高生が書いたようなケータイ小説の書籍化が売れに売れる、という世の中。
一抹の寂しさがある。