路傍の露草 ~徒然なる儘、読書日記。時々、映画。~

“夏の朝の野に咲く、清廉な縹色の小花”
そう言うに値する小説や映画等の作品評。
及び生活の単なる備忘録。

瀬戸内寂聴『源氏物語 巻十』

2007年12月03日 | Book[小説]
瀬戸内寂聴『源氏物語 巻十』
2007年10月16日第1刷発行
講談社文庫

≪裏表紙より≫
宇治の山荘を訪れた匂宮は、薫の君を装い浮舟と契ってしまう。
当代一を競う二人の間で、身も心も揺れ動く浮舟は、
苦悩の果てに死を決意。
入水するが助けられ、受戒、出家してしまう。
消息を知った薫にも、決して会おうとはせず……。
愛の大長編小説「源氏物語」、圧巻の完結篇。


*******************************


というわけで、瀬戸内源氏・文庫版の最終巻。
今年の1月の刊行から毎月購入して、10月で完結。
これで、54帖すべてを読破したということだ。

さて、
源氏物語で名作と名高い「若菜」の帖に負けずとも劣らない名作が、この巻にも収められている「浮舟」の帖である、と訳者の瀬戸内氏は述べているが、その通りだと思う。

全部で54帖ある源氏物語は、読み応えのある帖もあれば、淡々とした帖もあり、
また、箸休め的な軽い帖もあり、様々なバラエティに富んでいる。

「浮舟」の帖は、当世きってのイケメン・薫&匂宮に言い寄られ、結果的に二股をかけることとなり、2人の愛の間で、身も心も揺れ、また、自分の身分の低さゆえに妻にはしてもらえず愛人扱いを受ける浮舟の苦悩が、綿々と綴られる、非常に読み応えのある帖だ。


さて、“当世きってのイケメン2人に愛され”…女性にとって、こんなに冥利に尽きることはない?(笑)現代で置き換えると、10代の娘さんにとっては、KAT-TUNの亀梨和也と赤西仁、20代女子にとっては、玉木宏と小栗旬、30代の女性にとっては、キムタクと福山雅治…とか?そんな2人に愛される私。などと想像してみると、古典に縁遠い人でも、リアルに読めるかも(笑)。



そんな想像(妄想?)はさておき、
“当世きってのイケメン2人に愛され”…と聞いて思い出すのが、そう、夕顔。
光源氏(匂宮の祖父)と頭中将(薫の祖父)に愛された女性。
身分的にも、他の姫君たちのような上流階級でなく、「中流」であるところも同じ。
光源氏は、頭中将を含めた新進気鋭のエリート青年たちと、ある雨の夜に恋バナに花を咲かせ、そこで頭中将から「中流の女というのも、なかなかイイものですよ♪」と体験談(自慢話?)を聞き、初めて、自分よりも身分のずっと低い「中流」の女が恋愛対象に入ったところでタイミング良く出会ったのが、夕顔。

夕顔は、少女のように可憐で、おっとりしていながらも、
ナイスバディでセックステクニックにも長けていた。

【見た目は少女・実は娼婦】というキャラは、千年も前からオトコたちの好みの一つとして確立されていたわけだ(笑)。

それはさておき、
光源氏は、正妻「葵の上」(左大臣の娘)や愛人「六条御息所」(皇太子の未亡人)といった、身分は一流で、教養があり美人だが、気位が高いので一緒にいて疲れる女たちに欠けている魅力を兼ね備えている夕顔にたちまち夢中になっていく。

夕顔は、実は昔、頭中将の愛人で、子どもまで作ったが、正妻の四の君(右大臣の娘)が嫉妬していじめるので、行方をくらましていた。
その先で、偶然、光の君と出会い、恋仲になっていったのだった。

しかし、夕顔は、嫉妬した六条御息所の生霊にあっさりと憑り殺されてしまう。


話が長くなったが、これが、夕顔という女の、大体のストーリー。
立場が似ている浮舟と比較すると、違うところは、【悩みがない】所。


「夕顔」の頃は、光源氏の視点で物語が綴られ、
「浮舟」では、薫や匂宮だけでなく、浮舟自身の心情も描かれるので、
夕顔も、書かれていない部分で実は悩んでいたのかもしれない。

が、頭中将の妻のイジメから逃げて隠れ住みつつ、頭中将が探し出してくれることを待つ身でありながら、源氏と特に抵抗もなく関係を持ってしまう夕顔には、「自分のパトロンになってくれる男性なら誰でもいい」という、ある意味、尻軽な娼婦性が見られる。

素性がバレるのを恐れて光源氏は覆面をして毎回会っていて(最中も?笑)、覆面を取るのは、夕顔と最期の逢瀬になる時だと書かれているが、夕顔は、顔を隠して会われることに対して、怒ったり、「顔を見せて」という要求もしない。
いつでも流されるままで、行く末について深く計画を立てているようには思えず、はかなげだ。
その頼りなさに、源氏は「守ってあげたい」と思わずにはいられない。だけど、こういうのも実は、計算なのかもしれない。無意識の計算。天性の娼婦性。


反対に、浮舟は、もともと、田舎暮らしをしていて、身分相応の中流の貴族と結婚するはずが、直前に、酷い理由(父の実子でなく、継子であった事)で破談になってしまい、嘆いた母親が、「だったら、もっと高貴な方の愛人なったほうがマシでしょう」と、上京させ、親に望まれて薫の愛人となるしか道のなかった浮舟は、いつでも劣等感を持っていた。

そして、他人の芝が青く見えるタイプの匂宮が、薫の愛人に興味を持ち、薫の振りをして邸に忍び込み、むりやり犯してしまったのだ。浮舟は、途中で薫でないと気付くが、もうどうしようもない所までしてしまったので(笑)、仕方なく最後まで受け入れる。そして、「とんでもないことをしてしまった。薫にバレたら大変だ…」と怯えるが、してしまったことはどうしようもない。


しかし、心配とは裏腹、匂宮は薫よりもセックスが巧く、女心をくすぐる愛の言葉も惜しまず囁くホスト的なプレイボーイだったので、浮舟は、一女性として、心惹かれてしまう。

そして、理性では、薫に操を立て、匂宮を拒まなければならないと思っているのに、感情では匂宮を愛してしまい、ずるずると密会を重ねる。

かつて源氏が、廃墟となった別荘の1つに夕顔を連れ出して1日中セックスに溺れたように、匂宮も、知り合いの別荘に浮舟を連れ出し、日がな抱き合い、痴情の限りを尽くす。

夕顔は、そこで憑り殺されるが、
浮舟は、2人の愛の間で苦しみ、みずから入水自殺を図る。

もし夕顔が、御息所に殺されなければ、その後ものうのうと源氏の愛人だったであろうが、浮舟は、誰も邪魔する人はいないが、自分から命を断とうとする。
この思い込みの強さは、夕顔にはない、浮舟だけの考え方だろう。



すべては、この時代に強く常識としてあった【身分差】で、夕顔も浮舟も、中流階級の女であったために、光源氏にも頭中将にも薫にも匂宮にも、ちゃんとした妻として迎えようなどとは思われず、都合のいい愛人として扱われるわけである。

匂宮などは、セックスの最中に、「この可愛い人を、姉宮の女房(召し使い)に差し上げると見栄えがしていいし、いつでも会えるなぁ…」などと考えているほどだ。



すべての原因は、【身分差】だった。
夕顔も、浮舟も、哀しい運命の女である。
しかし、その結末は、それぞれの性格の差異によって、まったく違うものとなった。

浮舟は、川へ身を投げるも生き延び、尼となり、
薫の来訪もはねのけ、仏道一筋の生涯を遂げた(はずである)。


源氏物語の最後は、実に唐突に終わっている。
薫が、尼となった浮舟に愛人復帰を拒絶されたので、「他の男が囲っているから会わないのだ」と勘違いし、腹立たしい気持ちになって、やきもきしたそうだ。
と書かれて、終わる。

これが本当にラスト?と疑問に思ってしまうが、
何せ千年も前のことなので、
本当はラストの帖があるけれど見つかっていないのかもしれないし、
そもそも、源氏の死以降の物語は紫式部以外の人の筆なのかもしれないし、
それとも、これが正真正銘のラストなのかもしれない。


いずれにせよ、源氏物語の終わりのあたりは、浮舟を中心に描かれ、
読んでいるときには、本編であっさり死んでいった夕顔の陰が
妙にちらついたのだった。


源氏物語では、光源氏が若かりし頃の、「藤壺の宮」「葵」「夕顔」「六条御息所」「空蝉」「末摘花」「花散里」「紫の上」「明石の君」等の姫君らと同時進行で繰り広げる華やかな恋の時代の物語が取り上げられがちであるが、
人生の深遠を描き、読み応えがあるのは、前述の「若菜」であり「浮舟」である。

「源氏物語」は、小学生の頃から興味を持って読んでいたが、
今回初めて、後者の魅力を知った。


「源氏物語」は、いろいろな作家に訳されている。
次は、田辺源氏や円地源氏にチャレンジして、いずれは、与謝野源氏や谷崎源氏にもトライしてみたい。


最新の画像もっと見る