ジャン=ジャック・アノー監督
クロード・ベリ製作
愛人 ラマン [無修正版]
1992年 英=仏合作
発売元:2006/10/27 東北新社
【パッケージ裏より】
15歳のフランス人少女と中国人青年の秘められた愛。
名匠ジャン=ジャック・アノー監督作、フランス文学を代表するベストセラー小説、衝撃の映画化
1929年、フランスの植民地インドシナのメコン川を渡る船の上で、15歳のフランス人少女は黒塗りのリムジンに乗る中国人青年と出会う。学校までの送迎を申し出られ、それを受けた少女はやがて、中華街の秘密の部屋で青年と欲望の赴くままに結ばれる。愛人となった少女、だが複雑な家庭環境はふたりの愛の将来を奪っていくのであった。そして、少女がフランスへと戻る日がやってくる…。
ベストセラーとなった女流作家マルグリッド・デュラスの自伝的小説の映画化。本作が映画初出演だったジェーン・マーチがアジアのトップ・スター、レオン・カーフェイを相手にまだ幼さの残る瑞々しい肢体をさらけ出し全世界に衝撃を与えた。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の名匠ジャン=ジャック・アノー監督に手による古きヴェトナムの情景を再現しながら、少女の内面に迫っていく描写は見事。大女優ジャンヌ・モローのナレーションが映画全体を優しく包んでいる。
************************************************************
先日、小説(M.デュラスの『愛人』)を読んだので、DVDを購入して映画も観た。
(原作のある映画は、必ず先に原作を読むことにしている。)
観て、「好きな映画だ」と思った。
気に入った。
とはいえ、観ながら思ったのは「原作とはまるで違うな」ということ。
デュラスの作品は、難解と言われる。
『愛人』でも、時系列、現実と空想、一人称・三人称、それぞれが入り乱れる。
メコン川が主要なモチーフとなっているが、川が上から下へ流れていくような感覚でページをスムーズに読んでいくのは難しい。
(もちろん、その支離滅裂気味なところがデュラスの魅力だが。)
映画では、そんな小説が抱える「気難しさ」がまるでない。
1929年。日本でいえば昭和初期。二次大戦の予感もなく、束の間の平和な時代の仏領インドシナ。メコン川の渡しで出会った、貧しい白人娘と、資産家のボンボンである華僑の青年との情愛の日々が、異国情緒たっぷりに描かれる。
平日の午後1時半から放送される主婦向けのメロドラマのようだ。
公開当時、「大胆な性描写」で話題になったらしい。
(大体、このDVDの副題が「無修正版」というぐらいだ。)
デュラスは、この映画の出来に「小説とまったく違う」とカンカンだったという。
私も観てそう思った。
デュラスの『愛人』では、性描写もあくまで精神的・哲学的で、こんなに情感に滾ってはいない。
むしろ、乾いて冷たい。
高級レストランでの食事で、少女の一家が華僑を無視するところは、原作通りに描けていると思う。
その他、母親や兄たちの人物像、家を水浸しにした洗うシーンなども、原作のイメージを損ねない。
だが、少女と青年の間の感情、表情、行動…に違和感を覚えてしまう。
なぜなら、デュラスの『愛人』に感傷や切なさは皆無だが、映画版にはそれが、画面から溢れるほど濃厚に漂っているからだ。
デュラスの『愛人』とは切り離して、あくまで、ジャン=ジャック・アノーという監督の一作品である『愛人』として観るのが良い。
そういう視線で観れば、いささか性描写が過剰だが、「いい映画」である。
何より、メイキングを観ればわかるが、監督が、当時の資料がほとんどなく、さらに現地に豊富な人材もいないヴェトナムで、1920年代のインドシナを再現しようとしたこと。
その、とてつもない努力と意欲は、素晴らしいし、凄まじい。
映像業界にいたことのある私は、ちょっとしたカット1つ撮るのが実はどれほど大変で、労力がかかるかを身に染みてよく識っているので、アノー監督の熱意と根性には、ひたすら頭が下がる。
当時のインドシナの情景を見る、というだけでも意義がある映画だ。
白人のフィルターを通した、エキゾチック・アジア。
蓮が流れる、黄金色の巨大なメコン川。
くすんだブルーの壁の、コロニアル・スタイルの邸宅。
退廃的なバーのジャズとダンス。
ひたすら肉欲を満たす、モスグリーンの秘密の部屋。
会話はほとんどない。溢れる光と色彩がその隙間を満たす。
品位と威厳に満ち満ちた、デュラスの親友であり大女優のジャンヌ・モローのナレーション。
そして、愛に気付いて嗚咽を漏らす、船上のショパンのワルツ。
ワルツ第10番 ロ短調Op.69-2。
そういったディテールを取っても、好みの映画だ。
ショパン「ワルツ第10番 ロ短調 Op69-2」
クロード・ベリ製作
愛人 ラマン [無修正版]
1992年 英=仏合作
発売元:2006/10/27 東北新社
【パッケージ裏より】
15歳のフランス人少女と中国人青年の秘められた愛。
名匠ジャン=ジャック・アノー監督作、フランス文学を代表するベストセラー小説、衝撃の映画化
1929年、フランスの植民地インドシナのメコン川を渡る船の上で、15歳のフランス人少女は黒塗りのリムジンに乗る中国人青年と出会う。学校までの送迎を申し出られ、それを受けた少女はやがて、中華街の秘密の部屋で青年と欲望の赴くままに結ばれる。愛人となった少女、だが複雑な家庭環境はふたりの愛の将来を奪っていくのであった。そして、少女がフランスへと戻る日がやってくる…。
ベストセラーとなった女流作家マルグリッド・デュラスの自伝的小説の映画化。本作が映画初出演だったジェーン・マーチがアジアのトップ・スター、レオン・カーフェイを相手にまだ幼さの残る瑞々しい肢体をさらけ出し全世界に衝撃を与えた。『セブン・イヤーズ・イン・チベット』の名匠ジャン=ジャック・アノー監督に手による古きヴェトナムの情景を再現しながら、少女の内面に迫っていく描写は見事。大女優ジャンヌ・モローのナレーションが映画全体を優しく包んでいる。
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先日、小説(M.デュラスの『愛人』)を読んだので、DVDを購入して映画も観た。
(原作のある映画は、必ず先に原作を読むことにしている。)
観て、「好きな映画だ」と思った。
気に入った。
とはいえ、観ながら思ったのは「原作とはまるで違うな」ということ。
デュラスの作品は、難解と言われる。
『愛人』でも、時系列、現実と空想、一人称・三人称、それぞれが入り乱れる。
メコン川が主要なモチーフとなっているが、川が上から下へ流れていくような感覚でページをスムーズに読んでいくのは難しい。
(もちろん、その支離滅裂気味なところがデュラスの魅力だが。)
映画では、そんな小説が抱える「気難しさ」がまるでない。
1929年。日本でいえば昭和初期。二次大戦の予感もなく、束の間の平和な時代の仏領インドシナ。メコン川の渡しで出会った、貧しい白人娘と、資産家のボンボンである華僑の青年との情愛の日々が、異国情緒たっぷりに描かれる。
平日の午後1時半から放送される主婦向けのメロドラマのようだ。
公開当時、「大胆な性描写」で話題になったらしい。
(大体、このDVDの副題が「無修正版」というぐらいだ。)
デュラスは、この映画の出来に「小説とまったく違う」とカンカンだったという。
私も観てそう思った。
デュラスの『愛人』では、性描写もあくまで精神的・哲学的で、こんなに情感に滾ってはいない。
むしろ、乾いて冷たい。
高級レストランでの食事で、少女の一家が華僑を無視するところは、原作通りに描けていると思う。
その他、母親や兄たちの人物像、家を水浸しにした洗うシーンなども、原作のイメージを損ねない。
だが、少女と青年の間の感情、表情、行動…に違和感を覚えてしまう。
なぜなら、デュラスの『愛人』に感傷や切なさは皆無だが、映画版にはそれが、画面から溢れるほど濃厚に漂っているからだ。
デュラスの『愛人』とは切り離して、あくまで、ジャン=ジャック・アノーという監督の一作品である『愛人』として観るのが良い。
そういう視線で観れば、いささか性描写が過剰だが、「いい映画」である。
何より、メイキングを観ればわかるが、監督が、当時の資料がほとんどなく、さらに現地に豊富な人材もいないヴェトナムで、1920年代のインドシナを再現しようとしたこと。
その、とてつもない努力と意欲は、素晴らしいし、凄まじい。
映像業界にいたことのある私は、ちょっとしたカット1つ撮るのが実はどれほど大変で、労力がかかるかを身に染みてよく識っているので、アノー監督の熱意と根性には、ひたすら頭が下がる。
当時のインドシナの情景を見る、というだけでも意義がある映画だ。
白人のフィルターを通した、エキゾチック・アジア。
蓮が流れる、黄金色の巨大なメコン川。
くすんだブルーの壁の、コロニアル・スタイルの邸宅。
退廃的なバーのジャズとダンス。
ひたすら肉欲を満たす、モスグリーンの秘密の部屋。
会話はほとんどない。溢れる光と色彩がその隙間を満たす。
品位と威厳に満ち満ちた、デュラスの親友であり大女優のジャンヌ・モローのナレーション。
そして、愛に気付いて嗚咽を漏らす、船上のショパンのワルツ。
ワルツ第10番 ロ短調Op.69-2。
そういったディテールを取っても、好みの映画だ。
ショパン「ワルツ第10番 ロ短調 Op69-2」