林真理子『幸福御礼』
2001年4月25日 初版発行
(1999年3月に朝日文庫として刊行)
角川文庫
【裏表紙より】
由香の夫・志郎はさえないサラリーマンだが、実は地元の河童市では名家の御曹司。
そんな志郎に、姑の春子がある日突然、河童市市長選挙に立候補しろ、と言ってきた。
姑は「政治は家業」と大はりきりだが、由香は断固反対!
やがて3人は選挙の渦に巻き込まれて……。
地方都市の選挙をめぐり、嫁姑が奮闘するユーモア選挙小説。
*************************************
タイトルと裏表紙のあらすじを読んで、ほのぼのコミカル系かな?と思って読んだら大間違いだった。
理知的な女性が、夫の選挙を通して徐々に壊れていく過程を描いた“ガチ”(真剣)な物語だった。意外で、驚いた。
むしろ、裏表紙のあらすじは、ヘン。
これは、「ユーモア小説」じゃなくて、解説で酒井順子も書いているように「サイコホラーの類」だと思う。
(角川書店の編集者さん、ちゃんと内容を読んで理解してください。。。)
ところで、主人公はだんだん精神的に壊れていくのだが、その「おかしく」なっていく様子が、読み手も納得できるように書かれているので(人が狂う小説は、作者の思い込みや感情が先走りしすぎて、読み手がついていけないことが多々あるが)、林真理子という作家の表現力や力量を非常に感じた作品でもあった。
前回の日記(1月29日/葡萄が目にしみる)で心配していたこと(“性的感性”笑)も杞憂で、珍しく、性的感情やセックスの描写もなかったし。
林真理子はこういう作品も書けるんだなーと。
こういう類の作品は、稀なんじゃないでしょうか。
ワンパターンの物語しか書けない作家も多い中で、さすが。
序盤、主人公が、選挙に嫌悪感を示す「まとも」な精神の頃は、物語にあまり吸引力がなく、なかなか入り込めなくて、何度も読書が中断したが、中盤、主人公が徐々に「おかしく」なっていくあたりから、作品世界にのめり込んで、今夜一気に読み切った。
初めは【嫁姑の対立】といい、【平凡なサラリーマンが市長選に立候補!?】というドタバタといい、何となく喜劇仕立て(文庫裏の作品紹介に書かれている通りの“ユーモア選挙小説”)で、(悪い意味で)昼ドラにぴったりの話だと思いながら読んでいた。
それが次第に、少しずつ「ん?なんか違うぞ……?」と感じ始め、最終的には「こ…これは恐ろしい…サイコホラーじゃん!!」とびっくりしつつ、すっかり心を掴まれてしまう。
この流れ、何かによく似ているなぁと思ったら、数年前に大ヒットした『anego』と同じなのだ。
(小説『anego』は、篠原涼子と赤西仁が演じたドラマのような恋愛物とは、まったく内容が違う。結末が恐ろしい。)
“女性”という生物の本性が描かれているという意味で「ホラー小説」である。
そう、その恐ろしいラスト、嫁と姑が、夫(息子)への愛のため、≪罪のなすりつけ合い≫ならぬ≪罪の奪い合い≫をするのだが、有吉佐和子の『華岡青洲の妻』の嫁と姑を図らずも思い出してしまった。
(ちなみに林真理子氏は、有吉佐和子の大ファンだと公言している。)
花岡青洲は、手術のための麻酔を開発したことで有名な実在の医師だが、これを開発するための人体実験を、嫁と姑が買って出る。青洲が薬に手を加えて新しい試薬を作るたび、二人が率先して飲んで、競争しあう。結果は、映画でも有名なように、嫁が副作用で失明する。
酒井順子は解説で、自民党の小泉純一郎の政策担当秘書が書いた本から、「選挙は、日本でできる唯一の戦争だ」と引用していたが、「選挙」だけが戦争ではない。「嫁姑」の争いも、立派な戦争である。
戦争は、人を一種の酩酊状態にさせる。戦争は、人の精神を錯乱させる。戦争は、人の心を狂わせる。
この小説は、選挙によって人格が変わってしまった女性を描くのみならず、もともと頻発していた嫁と姑の≪紛争≫が、選挙によって≪世界大戦≫へ発展してしまう様子を描いているのだ。
「まともな」頃の主人公が指していた「あっちの世界」に自身も足を踏み入れ、同じ土俵で、「おかしく」なった者同士、今後どのような戦いを繰り広げるのだろう。
どちらかが勝つのか、自滅するのか、相討ちになるのか……。
本当の結末は描かれない。
ところで、文中に、落選した選挙事務所についてこう描写されている。
【落選が決まった選挙事務所ほどみじめなものはない。ひとが一人去り、二人去り、後は逃げるに逃げられない者だけが残る。ダルマや当選御礼の看板は速やかにどこかへ持ち去られ、空になった椅子の上でチラシが舞っている。】
私も、数年前に仕事関係で、選挙当日に選挙事務所へ行ったことがあるが、確かに一種異様なムードが漂っていた。
(そう、あれは小泉さんの正念場だった造反vs刺客の衆院選のときだ。)
私が張っていた事務所の候補者は落選したが、確かに、落選確定するとともに人がさーっといなくなり、パイプ椅子だけが乱雑に残された。マスコミの人間がいつまでも残っていて、候補者の秘書は恨めしそうに睨み付けていた。
あの空気感は今思い出しても淋しく、物哀しかった。
戦いは果てしなく続くのだ。
勝っても終わらないし、負けても終わらない。
「あっちの世界」にいる限り、呪縛のように永遠に繰り返される。
最後に、読んでいて印象的だった件を、いくつか引用しておく。
これを読むと、選挙は「戦争」というより「ゲーム」といったほうが的確な気がしてくる。
地域の経済や、住民の生活と健康、引いては生命が懸かる「政治」というものを采配する人間を決める「選挙」とは、単なるマス取りゲームに過ぎない。
++++++++++++++++
選挙っていうのは田舎じゃ大変な娯楽だからね。
++++++++++++++++
選挙にかかわって知ったいちばん大きなことは、言葉は実に意味を持たないとわかったことだ。誠実に話そうなどと思うから人は寡黙となる。ふんだんに甘味料を使って相手の気分をよくすればそれでいいのだ。言葉はそのためにあるのだ。
++++++++++++++++
人が好意を勝ち取ることは、とてもたやすいことだとわかるようになった。必要以上に腰を低くしさえすればよいのだ。
++++++++++++++++
「僕は責任を感じているんだ。ここまで君を変えさせた僕は、いったい何だろうってね。もし……今日、僕の希望がかなわなかったとしたら、君はまた元の君に戻ることが出来るんだろうか」
++++++++++++++++
自分の努力というもの以外に、この世の中には運という大きなものが存在していて、それはぐるぐると空をまわっている。自分の力ではどうにもならないそれを得るために、人間はこれほどみじめな気持ちにならなくてはならないのだろうか。
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2001年4月25日 初版発行
(1999年3月に朝日文庫として刊行)
角川文庫
【裏表紙より】
由香の夫・志郎はさえないサラリーマンだが、実は地元の河童市では名家の御曹司。
そんな志郎に、姑の春子がある日突然、河童市市長選挙に立候補しろ、と言ってきた。
姑は「政治は家業」と大はりきりだが、由香は断固反対!
やがて3人は選挙の渦に巻き込まれて……。
地方都市の選挙をめぐり、嫁姑が奮闘するユーモア選挙小説。
*************************************
タイトルと裏表紙のあらすじを読んで、ほのぼのコミカル系かな?と思って読んだら大間違いだった。
理知的な女性が、夫の選挙を通して徐々に壊れていく過程を描いた“ガチ”(真剣)な物語だった。意外で、驚いた。
むしろ、裏表紙のあらすじは、ヘン。
これは、「ユーモア小説」じゃなくて、解説で酒井順子も書いているように「サイコホラーの類」だと思う。
(角川書店の編集者さん、ちゃんと内容を読んで理解してください。。。)
ところで、主人公はだんだん精神的に壊れていくのだが、その「おかしく」なっていく様子が、読み手も納得できるように書かれているので(人が狂う小説は、作者の思い込みや感情が先走りしすぎて、読み手がついていけないことが多々あるが)、林真理子という作家の表現力や力量を非常に感じた作品でもあった。
前回の日記(1月29日/葡萄が目にしみる)で心配していたこと(“性的感性”笑)も杞憂で、珍しく、性的感情やセックスの描写もなかったし。
林真理子はこういう作品も書けるんだなーと。
こういう類の作品は、稀なんじゃないでしょうか。
ワンパターンの物語しか書けない作家も多い中で、さすが。
序盤、主人公が、選挙に嫌悪感を示す「まとも」な精神の頃は、物語にあまり吸引力がなく、なかなか入り込めなくて、何度も読書が中断したが、中盤、主人公が徐々に「おかしく」なっていくあたりから、作品世界にのめり込んで、今夜一気に読み切った。
初めは【嫁姑の対立】といい、【平凡なサラリーマンが市長選に立候補!?】というドタバタといい、何となく喜劇仕立て(文庫裏の作品紹介に書かれている通りの“ユーモア選挙小説”)で、(悪い意味で)昼ドラにぴったりの話だと思いながら読んでいた。
それが次第に、少しずつ「ん?なんか違うぞ……?」と感じ始め、最終的には「こ…これは恐ろしい…サイコホラーじゃん!!」とびっくりしつつ、すっかり心を掴まれてしまう。
この流れ、何かによく似ているなぁと思ったら、数年前に大ヒットした『anego』と同じなのだ。
(小説『anego』は、篠原涼子と赤西仁が演じたドラマのような恋愛物とは、まったく内容が違う。結末が恐ろしい。)
“女性”という生物の本性が描かれているという意味で「ホラー小説」である。
そう、その恐ろしいラスト、嫁と姑が、夫(息子)への愛のため、≪罪のなすりつけ合い≫ならぬ≪罪の奪い合い≫をするのだが、有吉佐和子の『華岡青洲の妻』の嫁と姑を図らずも思い出してしまった。
(ちなみに林真理子氏は、有吉佐和子の大ファンだと公言している。)
花岡青洲は、手術のための麻酔を開発したことで有名な実在の医師だが、これを開発するための人体実験を、嫁と姑が買って出る。青洲が薬に手を加えて新しい試薬を作るたび、二人が率先して飲んで、競争しあう。結果は、映画でも有名なように、嫁が副作用で失明する。
酒井順子は解説で、自民党の小泉純一郎の政策担当秘書が書いた本から、「選挙は、日本でできる唯一の戦争だ」と引用していたが、「選挙」だけが戦争ではない。「嫁姑」の争いも、立派な戦争である。
戦争は、人を一種の酩酊状態にさせる。戦争は、人の精神を錯乱させる。戦争は、人の心を狂わせる。
この小説は、選挙によって人格が変わってしまった女性を描くのみならず、もともと頻発していた嫁と姑の≪紛争≫が、選挙によって≪世界大戦≫へ発展してしまう様子を描いているのだ。
「まともな」頃の主人公が指していた「あっちの世界」に自身も足を踏み入れ、同じ土俵で、「おかしく」なった者同士、今後どのような戦いを繰り広げるのだろう。
どちらかが勝つのか、自滅するのか、相討ちになるのか……。
本当の結末は描かれない。
ところで、文中に、落選した選挙事務所についてこう描写されている。
【落選が決まった選挙事務所ほどみじめなものはない。ひとが一人去り、二人去り、後は逃げるに逃げられない者だけが残る。ダルマや当選御礼の看板は速やかにどこかへ持ち去られ、空になった椅子の上でチラシが舞っている。】
私も、数年前に仕事関係で、選挙当日に選挙事務所へ行ったことがあるが、確かに一種異様なムードが漂っていた。
(そう、あれは小泉さんの正念場だった造反vs刺客の衆院選のときだ。)
私が張っていた事務所の候補者は落選したが、確かに、落選確定するとともに人がさーっといなくなり、パイプ椅子だけが乱雑に残された。マスコミの人間がいつまでも残っていて、候補者の秘書は恨めしそうに睨み付けていた。
あの空気感は今思い出しても淋しく、物哀しかった。
戦いは果てしなく続くのだ。
勝っても終わらないし、負けても終わらない。
「あっちの世界」にいる限り、呪縛のように永遠に繰り返される。
最後に、読んでいて印象的だった件を、いくつか引用しておく。
これを読むと、選挙は「戦争」というより「ゲーム」といったほうが的確な気がしてくる。
地域の経済や、住民の生活と健康、引いては生命が懸かる「政治」というものを采配する人間を決める「選挙」とは、単なるマス取りゲームに過ぎない。
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選挙っていうのは田舎じゃ大変な娯楽だからね。
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選挙にかかわって知ったいちばん大きなことは、言葉は実に意味を持たないとわかったことだ。誠実に話そうなどと思うから人は寡黙となる。ふんだんに甘味料を使って相手の気分をよくすればそれでいいのだ。言葉はそのためにあるのだ。
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人が好意を勝ち取ることは、とてもたやすいことだとわかるようになった。必要以上に腰を低くしさえすればよいのだ。
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「僕は責任を感じているんだ。ここまで君を変えさせた僕は、いったい何だろうってね。もし……今日、僕の希望がかなわなかったとしたら、君はまた元の君に戻ることが出来るんだろうか」
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自分の努力というもの以外に、この世の中には運という大きなものが存在していて、それはぐるぐると空をまわっている。自分の力ではどうにもならないそれを得るために、人間はこれほどみじめな気持ちにならなくてはならないのだろうか。
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