路傍の露草 ~徒然なる儘、読書日記。時々、映画。~

“夏の朝の野に咲く、清廉な縹色の小花”
そう言うに値する小説や映画等の作品評。
及び生活の単なる備忘録。

唯川恵『愛なんか』

2007年08月20日 | Book[小説]
唯川恵『愛なんか』
2002年4月25日初版発行
幻冬舎文庫

【裏表紙より】
平凡な結婚を控えた公美は、偶然出会った男とのセックスで快楽に目覚め、全てを捨てて彼の元へゆき水商売を始める。一年後、かつての婚約者と再会するが……(「ただ狂おしく」)。仕事にも結婚にも答えを見つけられない女たち。人生という長い旅の幸福な結末を求め、覚悟を決めて歩き出す彼女たちの、孤独と痛みを描ききる、ビターな恋愛小説集。

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直木賞受賞作の「肩ごしの恋人」が今テレビドラマ化されている唯川恵。
私と同世代、いわゆる“アラサー”の女性たちに、とても人気がある作家らしい。
『肩ごしの恋人』は読んでいないし、周囲に原作も読んでドラマも見たという人もいなかったので
ドラマが原作にどれだけ忠実だったのかわからないが、
最初のほうの放送を1度だけ見て、なにか痛々しさを感じた。
ストーリーはもちろん、キャスティングが…。

米倉涼子はともかく、
ブラウン管(今は液晶だけれど)通しても隠し切れない目の周りの小ジワと
顔面全体の張りがなく、天然のヒアルロン酸喪失が目立つ高岡早紀が27歳役というのは無理があると思う。
年齢はさておき、高岡早紀って、正直どうなのか?
一応、今、旬な女優ということなんだろうか。
ゴシップで目立っているだけのように思えるのだが…。
(あれを天然のコケットリーと見るか?計画的犯行か!?)



閑話休題。
唯川恵の、もう6年も前(単行本としては9年前!)の作品『愛なんか』について。

これは半月ほど前、何か文庫本を買いたくてふらりと小さな書店に入った時、
ただでさえ小さな店舗の、さらに僅かなスペースしかない文庫コーナーに並ぶ本のタイトルをすべて見て、書棚を数回往復しても、欲しいと思える作家の小説がまったくなく、
「じゃぁ、唯川恵を久しぶりに読んでみるか」ぐらいのノリで購入したもの。

だから、裏表紙のあらすじを読んだ時点であまり期待はしていなかったのだが、
実際に読んでみても、面白いとは思えなかった。
難しい文面ではないので、短時間でさらりと読めるのが救い?
(魅力がない上にくどくどしていたら最低である。)
そして、満員の通勤電車で読むには向かない性描写。。

こういうものが好きな人もいるだろうし、要するに相性なのだろう。
申し訳ないが私の場合、12話から成る物語すべて、
読後に「…だから何?」と頭の中で呟いてしまった。

“孤独で痛みを抱える女たち”・・・確かにそうだが、
こういうのが「都会的」かといえば、まるで違うと感じる。


こういう小説を喜んで読む人というのは、どういう種類の女性なんだろう。
やっぱり、ドラマの『肩ごしの恋人』を夢中で見るような人だろうか。





唯川恵は、私が小学生だった時分に、現役のコバルト作家だった、
と記憶している。

小学生の頃は、歴史の本のほか、コバルト文庫やらティーンズハート(確かそのような名前だった…)といったローティーン向けの小説も読んでいた。
「唯川恵」という作家名も、その中の一人として記憶している。作品は覚えていないが…。

それから歳月が経ち、とうの昔にコバルト文庫から卒業した私は、偶然、書店の一般小説のコーナーに「唯川恵」という名前を発見して、驚いたものだった。
「あれ?この人確か・・・」

それから更に歳月を経て、“直木賞作家”となって世間を驚かせた。
すばらしいステップアップである。


唯川恵が“大人の世界”へ宗旨替えしてからの作品を読むのは実は『愛なんか』が初めてなのでは…と思いながら読んでいたのだが、著者紹介の欄に近年の代表作として『病む月』という書名が書かれているのが目に止まった。
5年ほど前か?覚えていないが、もう随分前に読んだ記憶がある。

その頃私は、嵌っていた山田詠美の著作を読み尽くし、そして、山田詠美ほど悟り切っていない恋愛小説…ちょうど絵國香織やら山本文緒といった“ちょっとビターな大人の女性の恋愛小説”を読みたい時期だったらしい。
その流れで、唯川恵の『病む月』を手に取ったのだと思う。
が、そのときの読後の感想は「この人、何か、暗いな・・・」


著者の性格が反映されているのだろうか?
(インタビューやエッセイを読んだことがないので、知らないけれど。)
シビアな話を書いていても、なぜかカラッとしていてそれほど重さを感じさせない人(たとえば林真理子)もいるが、
この人の場合、本当に“重い”のだ。
読んだ後、何かがどろっとまとわりついてくるように、重い。


コバルト文庫の頃(もう20年も前…)に、爽やかな青春小説を書いていた人と同人物とは思えない。当時、自分の本質とはまるで異なる小説を「仕事」として書いていただけなのかもしれない。もちろん、20年という月日に性格や考え方が変わることもあるだろう。そのあたりは、コバルト文庫を読んでみないとわからないが。(持っていないし、小学生の頃に読んでいるのかいないかすら、あやうい。たぶん絶版。。)

しかし、やはりこの人の作品を読むことは当分ないだろう。
また5年ぐらい後に思い出したように購入するかもしれないけれど。
「愛なんか!」と、やさぐれたくなったら、読むといいかもしれない。

「愛なんて」じゃなくて「愛なんか」だから、相当だ。


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