クーたんとココ君のお家2

我が家の可愛いねこのブログ

食欲の秋

2012-09-29 09:00:02 | ねこ
最近クーの食欲が増してきている。夕べも夜食のお代わりを3回も強請った。クーのおねだりは、僕の太ももに手を乗せて立ったまま「ニャオ~」と可愛い声を出す。この声に負けてお代わりを茶碗に入れる。食べ終わるとココを睨み付けながらパソコンラックに飛び乗り、欄間から夜空を眺めている。
一方、ココの食欲は真夏に比べると少しだけ落ちてきた。何故だか分からないが、クーの茶碗にカリカリを入れても、知らん顔で居間で寝そべっている事が多い。夕べは夜食をほとんど食べず今朝まで残っていた。5㎏を超えた体重はココの体の大きさからすると少々重も過ぎだと思っていたので、ダイエットは良い事である。でも悲しいかな早々に体重は落ちない。
今朝も2ニャンはバトルをしながら家の中を走り回っていた。適度な運動をし、適度な食欲と睡眠、これが健康を保つ秘訣なのはねこも人間も変わらないようである。
今日は地元の小学校の運動会、自治会長として最後の公式行事なので出かけて、校長に交代の挨拶をしてこようと思っている。

ねこマット

2012-09-28 08:55:54 | ねこ
昨日の午前中のこと、ココはテレビの横に敷いてあるねこマットの上で、香箱を組みマッタリとしていた。ご機嫌な顔で。カメラを取り出しその顔に向けてシャッターを切る。このマットは雑誌「ねこのきもち」の付録として付いていた物。付録とては良く出来ていてマットの厚みもある。ここで過すのはココだけだ。クーは滅多に乗らないし香箱を組む事もしない。ココの専用スペースである。ブラウン管テレビの頃はその発する熱で温かだっただろうが、薄型に買い換えてからは熱も出ていない。ココもねこだから狭いスペースが好きで、気温が下がって来るとこの場所でお昼寝をする事が増えてくる。
ただ、マットに行く前にはテレビの前をウロチョロし、画面を隠してしまう。時には抱いて床に下ろす事もある。下ろされても軽くジャンプしてテレビの前に行き、今度はマットの上でマッタリとして過す。何回も書いているが、兎に角家族の傍に居たくて仕方がないココだから、テレビの音量を上げても怒ったり、退くことはしないのである。

あと3日

2012-09-27 09:11:57 | 日記
9月もあと3日。僕の自治会長としての勤めもあと3日で終わる。右も左も全く分からないままで引受けた会長職もやっと終わる。この1年色々な勉強をした。市役所の組織、地域の組織、受持ち地域に住んでいる人々の顔。椎間板ヘルニアで痛い足を引きづりながら地区を回り、挨拶もした。回覧板も活字離れが進み、高齢者にも読んでもらえるように工夫もした。昨日は最後の回覧板「退任の挨拶」も書き終えた。
住む地区では自治会役員は1年交代。多くの人が自治会に参加し、関心を持って欲しいと、創設当時から続けている。市役所や地域組織には迷惑であろうが、この街を新鮮な目で見て問題点を発見し、改善する意義も大きい。
自治会長の仕事に時間を割かれ、クーやココと遊ぶ時間が減っていたが、来週からはもっと増えそうである。

6歳になった孫

2012-09-26 08:58:55 | ねこ
昨日は孫のコーの6歳の誕生日。来年は早くも小学生。そして、ココも11月には6歳の誕生日だ。昨日の夕方はママが勤めの都合で遅くなると言うので、2時間ほど我が家で弟のマーと共に過した。彼ら兄弟の姿を見たココはさっさと台所のテーブルの下へ身を隠した。ココは甘えん坊のくせに、何をされるのか分からないこの兄弟が苦手だ。特に分からん人のマーが怖いようだ。
しかし、6歳になると分別も出来るようになり、その成長を感ずる。先日の防災訓練でも、消防士の話しを守って消火器の扱いも、大人より上手に出来ていた。
彼らはこの住宅地の4代目。3代目の息子と共にこの地の生まれ。我が家も江戸っ子の仲間入りが出来た。「江戸っ子」と呼ばれるのには3代以上続けて東京生まれではならないと物の本に書いてあった。僕も世田谷生まれだし、息子と孫はこの地の生まれ。外様であったこの住宅地に住む子供・孫達も「土地っ子」になってきた。やはり50年の歳月は長い。
我が家はこの地に住み続け、孫達もこの地を愛し、大切にしていて欲しいと願うものである。

可愛い坊主

2012-09-25 09:06:13 | ねこ
今朝は室温23度と低く、半袖では寒さを感じる。
ココは我がままだけれど可愛い坊主。最初にブログに載ったチビ介の頃と変わらぬ。一寸成長したのは、人見知りをするようになったくらいだ。日中はクーより格段に睡眠時間が短く、起きていればじゃれ付いて遊びを強請る事も多い。顔も童顔だ。首を振りながら「ぶぶぶぶ」と言っている時は機嫌が良い証拠。クーよりも返事は返さないが、呼ばれれば振り向く。
今は台所で寝ているが、目を覚ませば「おやっー」と足元にじゃれるだろう。人の言葉はしゃべれぬが仕草は可愛い坊主である。

9年目の夜

2012-09-24 09:01:37 | ねこ
昨日はクーを家に入れて9年の我が家の記念日。その夕方、クーは何時ものように冷蔵庫の天井から、家内の台所仕事を見ていた。その顔は穏やか。クーが冷蔵庫の上に上がれるようになったのは、我が家に来て4~5ヶ月経った頃のことだ。クーは「お母さんが大好き」なねこ。起きている時は、家内の後ろを付いて回る。9年経った今でも変わらない。
抱かれて家に入ったら直ぐにソファーの座布団で寝てしまったと言う。さもありなん、家の中に入りたくて一晩中泣き明かしたのだから。その間に家内はねこ好きな知人に電話をして、食べ物・トイレ・寝床の事などの情報収集をし、近所のドラッグストアーまでこれらの品物を買いに走ったという。ねこ好きな嫁の姉妹が見に来て、姉の当時動物看護師が「この子は生後2ヶ月半から3ヶ月」言われた。
一晩中泣き明かしたところを見ると、家ねこの子供だったろうと推測する。最初の晩は小さな箱に洗い晒しのタオルを敷いた寝床で寝た。翌朝僕が居間に入ると、寝床から出て、膝に乗り喉を鳴らした。その音を聞いたのは初めてで、気味悪かったのを9年経った今も思い出す。今となっては笑い話だが。
クーは夕べも寝室の棚の上で寝ていた。手洗いに起きた時に頭を撫ぜると、最初の朝と同じように大きな音で喉を鳴らしたのであった。

大人も子供も

2012-09-23 06:47:19 | 日記
昨日の午前中、地域の防災訓練を行った。定刻になると多くの人々が児童公園に集まって来た。勿論子供達も沢山いた。可搬ポンプを使っての消火模擬実演では、若いお父さんにホースの筒先を持ってどのくらいの圧力かを実感してもらった。公園内の地下には40㌧の防火水槽が設置されており、いざと言う時に備えている。
次に消火器訓練。模擬消火器で3㍍ほど離れた的に向かって消す動作を体験する。女性や年金生活の「ご隠居さん」も参加して的へ放水する。消防士から習った消火器の正しい持ち方や放水の仕方が出来ている方は少なかった。
消防署の粋な計らいで、子供用の消火器も用意されてあり、子供も体験した。幼稚園の年長の我が孫や、小学校低学年の子供達は、消防士の話しを良く聞いており、消火器ホースの持ち方など、大人よりも上手であった。
今回感じたことは、幼稚園年長や小学生でも正しい消火器の扱いを教えれば、いざと言う時戦力になると言う事であった。最後に消火器の簡単な点検方法を習ったが、我が家の消火器は不合格で早速買い換えるとしよう。
このブログをご覧のみなさん、消防署は気軽に講習を開催してくれます。町会長・自治会長に強く働きかけ、防災訓練を行う事をお奨めします。
40年間火事のない我が街、これから寒くなるので火災発生には充分に心したいものである。

直ったど~

2012-09-22 06:32:06 | ねこ
一昨日の深夜、ブログが突然ログイン出来なくなってしまった。前の時と同じ現象。パスワードを入力するとワンモァの表示とともにパスワードだけが空欄となってしまう。理由がさっぱりと分からぬ。
昨日の日中は、自治会の引継ぎ書の推敲と手直し・追加に追われ、ブログはほっておいた。2ニャンに夜食を食べさせてからブログと格闘。痺れを切らし・諦めた頃、パスワード変更の画面が出た。早速画面にしたがって必要項目を入力するとログインが出来た。思わず「直ったど~」と叫んでしまった。
今日は地区の防災訓練。自治会長として僕が考え関係機関と折衝してきた。この地区は40年以上火災が発生していない。しかし、住民の高齢化が進み、70歳以上の世帯が40%以上となった。各言う僕も高齢者の仲間入り。一度火災が発生すれば死者も出かねない。大地震よりも怖い。今日は消火器訓練を重点に行う。習った事がある人でも再教育し頭の中に仕舞ってほしい。防災訓練の挨拶は頭の中で出来上がった。そして、ブログも直りやれやれだ。

デジカメのなかった頃

2012-09-20 08:58:54 | ねこ
9年前の我が家にはデジタルカメラはなかった。もっともデジカメ自体開発途上でまだそんなには普及していなかった。クーを家に入れ、子供として育て始めると写真を多く撮るようになった。カメラは富士フィルムのフィルムカメラ。これを現像して見ていた。ただこの時代CDロムに焼き付ける技術はあり、僕はプリントと同時にCDロムも頼んでいた。これが正解。CDロムの画像をパソコンに取り込み、今も保存している。当時写した写真だけで50枚以上あり、時折パソコンに出しては懐かしんでいる。
幼いクーは直ぐに家族に懐き「クーちゃん」と言えば「アーい」と返事が返り、その返事が嬉しくてちょくちょく名前を呼んだものである。今も夫婦と会話が出来、返事が返ってくるのも、この時の経験がクーの中に生かされているのだろう。
しかし、9年と言う時間は短いようであるが、技術の進歩は大きく、現在使っているカメラの解像度は当時とは比べられぬ程多いし、パソコンも小型軽量になり、価格も95の半分になった。クーもまだまだ元気で若いココと対等にバトルをしている。あの頃のチビクーが懐かしい僕である。

季節の変わり目

2012-09-19 08:52:25 | ねこ
9月も3週になり、いよいよ季節の変わり目が感じられ、天気図を見ても大陸の冷たい空気が徐々に下りて来ている。昨夜の街は物凄い雷雨に見舞われ、雷鳴と雨音で目が覚めた。棚の上で寝ていたクーも座り込んでキョロキョロと。雷の音が怖くなったのかココも僕の布団の上に乗って来た。
居間に入りカーテンを細く開け、ガラス戸越しに庭を見ると、樋から雨水があふれて、息子一家の台所の窓には滝のように水が落ちていた。40分位すると強い雨も収まり、ねこたちも落ち着いて夜食を食べ始めた。流石のココも雷鳴がとどろいていては食欲も止まってしまったようだ。
今朝も不安定な天気で雨と晴れが繰り返している。クーは和室の棚の上で熟睡しており、僕の足音程度では起きる気配は全くない。ココは何時ものように僕の側で居眠りをしている。少しでも早く気温が下がって欲しい。クーを家の中に入れたのは、9年前の彼岸の中日だった。この年はその3日前に台風が東京を通った。その頃からクーはこの付近をウロウロとしていたらしい。彼岸の中日はクーたん記念日でもある。

ねこの寝顔

2012-09-18 08:44:06 | ねこ
ご飯を食べ一遊びしたクーとココは、廊下の上と下で寝始めた。その顔は無心で何の憂いもなさそうに見える。寝ている体は、秋の日差しに照らされて、濃い色の毛は反射光で光っている。クーは午前中一杯、ココもあと2時間くらい寝ているだろう。
夕べは深夜3時半過ぎまで自治会の総まとめをしていたが、ココも僕に付き合って起きていた。だから今朝は眠いのだろう。そう言う僕も眠い。さっきから生あくびの連発だ。明後日までに引継ぎ書を仕上げればならないから、暢気な事は言っていられない。
ねこの寝顔に癒されながら、今日も仕事を進めねばならない。

のんびり行こう

2012-09-17 08:56:43 | ねこ
ねこと暮らすようになって9年、彼らの生き方はあくせくせず、季節の移ろいに身を任せて、のんびりと過しているように見える。小学校入学以来「団塊の世代」と言われ激しい競争の中で生き抜いて来た。ストレスは毎日溜まってゆき、少々の事ではへこたれぬ精神を作ってしまった。だが、本音は「のんびりと過す」日々。還暦を迎えた時、定年で会社を卒業する事を決心した。理由はあった。頚椎・椎間板のヘルニアが悪化し始めたからだ。それは表向きの理由。心の芯には「のんびり」とねこと遊びながらの生活を望んでいた。
僕の父は還暦後まもなく天に召された。生涯家族のために働き続けた。僕もあと何年生きられるのか分からないが、競争社会から離れ自分ために時間を使いたかった。幸いにも息子も独立し、夫婦だけなら年金で暮らしてゆけそうだと分かり、家内に宣言した。
今日は敬老の日の祝日。1947年・昭和22年生まれの僕たちも、とうとう高齢者の仲間入り。自治会長の任務が終わればまた静かな生活に戻れるだろう。

家族仲良く

2012-09-16 08:50:46 | ねこ
金魚の糞のココは、クーが起きていると常にあとを付いて回る。大勢のねこ家族の中で育ち、末っ子として甘やかされたので、クーを本当の「お姉ちゃん」慕っている。廊下でお昼寝をする時もクーの下にはココが寝ている。朝になってお腹がすくと、クーが寝ている和室に入り朝の挨拶。そしてわめく「お腹が空いたよ。起きてよ」と。クーが動き始めるまでは、僕の布団の上でゴロンゴロン。台所へはクーと一緒にはいる。少々煩わしい弟だが、5年も一緒に過ごせば、その性格も飲み込め、機嫌の良い時はココと一緒にいても怒らない。家族仲良くこれからも楽しく暮らしたい。

ねこ踏んじゃった…でも

2012-09-15 08:49:15 | ねこ
今朝も強い日差しが居間や廊下の奥迄届き、その中でクーとココはお昼寝を始めた。彼らの顔は何の心配事もないように、天真爛漫だ。
昼間のココは、居間の真ん中や居間のテーブルの下で寝ている事が多い。台所に行く時やソファーに座ろうとする時に、注意していても彼の足や尻尾を踏んずけてしまう事がちょくちょくある。用心深いクーは、踏み付けられそうな場所では寝ないが、そんな事を全く考えないココは、何処ででもゴロンとしている。
ねこ踏んじゃったとなっても、怒り出さないのがココの良いところ。軽く踏まれると遊んでくれると勘違いして、その足元に擦り寄って来るし、台所に行く時は隣に付いて一緒に行く。彼の狙いはお八つを少し貰う事だが、その仕草に負けて一寸多めにカリカリを茶碗に入れることになるのである。