クーたんとココ君のお家2

我が家の可愛いねこのブログ

僕の落書き帳ー1

2013-07-01 09:25:42 | 日記
今日から7月。早いもので今年も半分終わってしまった。今朝は爽やかな朝を迎え、クーは茶の間の座布団の上で寝始めている。仔猫の頃から良く寝るネコである。
さて、このブログを始めて7年が過ぎた。皆さんに見て戴きて書いているよりは、僕自身の日記代わりとして書いているのが正直な気持ちである。たまには変換間違えもあるが大目に見て戴きたい。
僕のメールアドレス等は、全てqooから始まる。これはやはりクーの魅力が強かった。例えば、qootan@でも10数年前は認められた。今のように、まだインターネットが普及していなかったので、数字を入れろとか字数を多くしろ等の制約は全くなかった。その前は、東京電力の無線ランを使っていたがこれは盗聴されると言われ、たまたまつつじヶ丘駅前でデモンストレーションをしていたプロバイダーに話を聞いて即決したものである。東電の光からKDDI光へと会社は変わったが、利用する分には何の問題も起きていない。固定電話とFAXも同時に光回線を使うようになった。
昼前にはクーもココも起き出してお昼ご飯をねだるだろうが、それまでは新聞をじっくり読む事にしよう。写真のカーテンの奥にはクーもいる。





クーとココはお留守番

2013-06-24 09:09:06 | 日記
今日は一日中曇りがちで気温も低いとの事だ。
昨日は家内の勤める修道院をこの春退職したKOさんとMOさんの送別パーティーが、世田谷・廻沢のMAさんのお宅で開かれた。そこで僕も同伴者と言う事で招かれた。勿論クーとココはお留守番となった。
MAさんとは50年来のお付き合い。KOさんとは久しぶりにお目にかかった。MOさんとは聖愛教会で同じ信仰者である。昨日は11人が集まり、午後4時から3時間以上楽しいホームパーティー。夫々が勝手にしゃべり合い、勝手にお酒や飲み物、お料理を食べながら。
日本酒は青梅の地酒が出ており、ワインのような飲み口で家内も美味しそうに口にしていた。お料理では旬の鰯の甘露煮が出ており、僕はそれをつまみにお酒を飲んでいた。KOさんは元々はペンキ職人だが、人柄を見込まれて修道院で男仕事をするようになったと言う。そして料理も職人なみで、特に糠漬けは絶品である。昨日も何品かを作って持参されていた。素麺も時間が経っても伸びず、汁まで自分で作られたのには驚きであった。
食べ残したお料理は夫々に分けて持ち帰った。僕は勿論鰯を頂いた。今晩が楽しみである。つつじヶ丘駅へ着くと雨が降っており、家内はクーとココが心配でたまらず、バス停からは駆けるようにして我が家に向かったのであった。もちろん、クーもココも大人しくお留守番をしていてくれたのであった。

ださい電車から

2013-03-04 09:01:44 | 日記
僕の住む街を走る京王線が、来月で開業百年を迎えると言う。50数年前、この街に移った頃は京王線に乗るのが嫌でたまらなかった。何と言っても「ださい電車」であった。小型の16メートル車の中には戦前に作られた物や、被災して応急修理されて電車も含まれていた。生まれ育った下北沢を走る小田急線には都会の雰囲気があった。「何てこんな田舎に越して来たんだろう」と思わずにはいられなかった。
それが一変したのは、5000系と言われるアイボリーの新車が入った時である。笹塚までの毎日の通学が楽しいものへと変わった。新車の来る時間を選んで乗っていた。この名車も今は京王線に走っていない。近くでは富士急行に走っている。この電車だけは京王線に残してほしかった。
50年で京王線も変わった。最近では調布付近が地下に入り、つつじヶ丘も3階建ての駅ビルになり、駅中には書店やレストランも出来た。ホームは最小限の段差で、足の悪い僕や車椅子でも安心である。
ださい電車の京王線が良くここまで変わったと思う次第である。
ねこの事は明日からまた。

ジジ・ババからのプレゼント

2013-02-03 09:18:02 | 日記
今日は節分。世間では恵方巻きなる物が、コンビニやスーパーマーケットの宣伝もあり流行っているが、キリスト教徒の我が家は無関係だ。
ところで、今日のブログには、ねこはほとんど登場しない。孫が主役である。
早いもので、孫のコーも4月には小学生になる。最初のブログを始めた年の9月に生まれた。その時の喜びは「クーたんとココ君のお家」に綴ってある。興味がある方は、2006年9月のブログをご覧戴きたい。去年の10月、僕と家内はコーに「ランドセルはプレゼントするから」と約束した。息子達は、一駅先のホームセンターで予約をし、その品が昨日届いた。テレビでコマーシャルを流している大手メーカーの品物。僕達が予想していたよりも金額が張ったが、6年間使うので品質の優れた物が良いだろう。そして夕方彼らが見せにやって来た。コーはご機嫌で背負って見せてくれた。嫌みのない青のランドセルで大変軽い。僕が小学校に上がる時は、近所のカバン店の手作りだったが、大変重かったのは今も覚えている。背負って帰る時、隣の1年生が見てしまい、彼もこの青のランドセルが欲しかったらしいのだが、すでに売れ切れで黒で我慢し、昨日は母親の胸でべそをかいていたと言う。
ところで、彼らが我が家に入ると、クーは冷蔵庫の上に、ココは風呂場へと避難していた。
再来年には下の孫のマーも小学生になる。これから少しづつ貯金を始めなくてはと思ったしだいである。

高齢者となって

2012-12-02 09:01:56 | 日記
今日12月2日は僕の65歳の誕生日。ついに高齢者の仲間入りだ。嬉しくもあり、早産の虚弱な子供がこの年まで生きてこられた事を神に感謝したい。また、家族にも感謝である。今の僕を慰めてくれるのは、クーとココの2ニャン。今、ラックの上からクーが僕の手元を見ているし、椅子に寝そべっているのはココだ。生きる力を与えてくれる。
誕生日を前に昨日は市役所と年金事務所から手紙が届いた。市役所からは、介護保険証。年金機構からは、年金請求の申請書。これを出さぬと、老齢年金が受け取れぬと書いてあった。役所で分かっているのら、自動的に手続きをしてくれても良いと思うのだが、それをしないのが役所らしさか。国民年金も今日から加算される。あほらしいが請求書を書いた。
そして、二人の孫がお祝いに来てくれるだろう。嫁は毎年誕生日を祝ってくれる。もうこの年になると、嬉しさも半減する。子供の頃は、母が赤飯を炊いて祝ってくれたが。
今日ものんびりとマラソンでも見て過ごそう。

庭の秋

2012-11-05 09:42:44 | 日記
昨日の日中は秋らしい天気に恵まれた。庭に出ると、柿の葉もオレンジに色付き、その実も沢山実っていた。今年は夏に晴天が続き甘みも増している。1個剥いて家内と二人で食べてみたが、何時もの年よりも甘みが強かった。ざるに入れて台所に置くと、クーとココが調理台に上がっては匂いをかいでいた。ココはむいた柿の入ったガラス鉢に顔を入れて珍しげにその実を眺めた。
南天も赤い実を付け、秋に入った事を教えてくれる。近々庭師に来てもらい、木の剪定をしようと思っている。冬に入る前の毎年の恒例行事だ。近所のお宅でも剪定を頼むお宅が多くなってきた。
高いところの柿の実は庭師に取って貰い、天辺のいくつかは小鳥にプレゼントと残そうかと思っている我が家の秋である。

あと3日

2012-09-27 09:11:57 | 日記
9月もあと3日。僕の自治会長としての勤めもあと3日で終わる。右も左も全く分からないままで引受けた会長職もやっと終わる。この1年色々な勉強をした。市役所の組織、地域の組織、受持ち地域に住んでいる人々の顔。椎間板ヘルニアで痛い足を引きづりながら地区を回り、挨拶もした。回覧板も活字離れが進み、高齢者にも読んでもらえるように工夫もした。昨日は最後の回覧板「退任の挨拶」も書き終えた。
住む地区では自治会役員は1年交代。多くの人が自治会に参加し、関心を持って欲しいと、創設当時から続けている。市役所や地域組織には迷惑であろうが、この街を新鮮な目で見て問題点を発見し、改善する意義も大きい。
自治会長の仕事に時間を割かれ、クーやココと遊ぶ時間が減っていたが、来週からはもっと増えそうである。

大人も子供も

2012-09-23 06:47:19 | 日記
昨日の午前中、地域の防災訓練を行った。定刻になると多くの人々が児童公園に集まって来た。勿論子供達も沢山いた。可搬ポンプを使っての消火模擬実演では、若いお父さんにホースの筒先を持ってどのくらいの圧力かを実感してもらった。公園内の地下には40㌧の防火水槽が設置されており、いざと言う時に備えている。
次に消火器訓練。模擬消火器で3㍍ほど離れた的に向かって消す動作を体験する。女性や年金生活の「ご隠居さん」も参加して的へ放水する。消防士から習った消火器の正しい持ち方や放水の仕方が出来ている方は少なかった。
消防署の粋な計らいで、子供用の消火器も用意されてあり、子供も体験した。幼稚園の年長の我が孫や、小学校低学年の子供達は、消防士の話しを良く聞いており、消火器ホースの持ち方など、大人よりも上手であった。
今回感じたことは、幼稚園年長や小学生でも正しい消火器の扱いを教えれば、いざと言う時戦力になると言う事であった。最後に消火器の簡単な点検方法を習ったが、我が家の消火器は不合格で早速買い換えるとしよう。
このブログをご覧のみなさん、消防署は気軽に講習を開催してくれます。町会長・自治会長に強く働きかけ、防災訓練を行う事をお奨めします。
40年間火事のない我が街、これから寒くなるので火災発生には充分に心したいものである。

酔っぱらっただ~

2012-09-10 08:57:19 | 日記
昨日は小学校のクラス会。中には卒業以来の顔や、大学の教授も。10数人が集まった。リタイヤし年金生活は、僕を含めて3人位。結婚の遅かった1人は、子供さんがまだ大学生。
僕の生まれた町に今も住んでいるのは2人だけだと聞いた。その小学校は小田急から見え、鉄筋校舎に変わっている。
昔話に花が咲き、ついついお酒の量が増えてゆく。気が付けば晩酌の倍の量に。そんなに飲んでも乱れないのは、勤め人時代の賜物。みんな良く見れば子供の頃の面影を残している。最後に集合写真を撮った。これは出席した全員に配るとともに、埼玉・寄居にご存命の恩師にもポストカードに印刷して贈ろうと思っている。今日は朝刊が休みなので、トリミングや印刷をする時間はある。
我が家に帰り着くと急に酔いが出て、「酔っぱらっただ」となってしまったが、夕食の前には何時ものように、チュウハイを飲んでしまった酒好きなおやじであった。
食事中ココが足元にじゃれて来たので、お返しにあごの下を撫ぜたのであった。

酔っぱらっただ~

2012-09-10 08:57:19 | 日記
昨日は小学校のクラス会。中には卒業以来の顔や、大学の教授も。10数人が集まった。リタイヤし年金生活は、僕を含めて3人位。結婚の遅かった1人は、子供さんがまだ大学生。
僕の生まれた町に今も住んでいるのは2人だけだと聞いた。その小学校は小田急から見え、鉄筋校舎に変わっている。
昔話に花が咲き、ついついお酒の量が増えてゆく。気が付けば晩酌の倍の量に。そんなに飲んでも乱れないのは、勤め人時代の賜物。みんな良く見れば子供の頃の面影を残している。最後に集合写真を撮った。これは出席した全員に配るとともに、埼玉・寄居にご存命の恩師にもポストカードに印刷して贈ろうと思っている。今日は朝刊が休みなので、トリミングや印刷をする時間はある。
我が家に帰り着くと急に酔いが出て、「酔っぱらっただ」となってしまったが、夕食の前には何時ものように、チュウハイを飲んでしまった酒好きなおやじであった。
食事中ココが足元にじゃれて来たので、お返しにあごの下を撫ぜたのであった。

調布駅は

2012-08-20 09:18:27 | 日記
昨日の朝、9時半につつじヶ丘の駅で、調布地下線を走る電車を待った。駅前には電車代行のバスが数台が、新宿からつつじヶ丘で折り返す電車を待っていた。新線への切り替え工事で、この先飛田給と稲田堤までは不通。甲州街道も普段の日曜日よりも混雑していた。
40分過ぎには、上りの新線区間を走って来た試運転電車が折り返して、下り方面に走り去った。開通も近い。慣れない事で指令所との連絡が悪く、駅のアナウンスも混乱気味。暫く待つと高尾山口行き各駅停車が到着し、続いて橋本行き急行も。急行は満員。僕は各駅停車に乗車。
柴崎を発車し、野川の鉄橋を渡り、都営団地の横から線路は下りに。ここは線路の切り替え場所。仮の状態で徐行。トンネルに入ると真新しい壁が。50年前の初台と新宿間の地下線化の時を思い出した。運転席の真後ろは撮り鐵の若者がカメラを回す。運転席には何人もの指導員や保線区員も乗っており、ビデオは撮れただろうか。人の頭しか写ってないのでは。僕は写真を撮るのを止めた。この景色は心に撮っておこう。
調布の駅は地下に移り、出口も矢印がなければ分からない。大勢の社員が出て案内を行っていた。出たのは数年前まで駅前交番のあった場所だった。踏切には柵が立てられていたが、ポイントは夏の日差しで光っていた。9時間半前まで電車が走っていたのだから納得である。駅の近くには大勢の工事人や工事事務所の社員が話しをしながら歩き、仮駅舎は取り壊しが始まっていた。仮線の跡には来年に駅ビルが建てられると聞くが、どんな物が出来るのか楽しみである。
写真は調布の新しいホームに進入する相模原線橋本行き電車。

今日でお別れ…明日からは

2012-08-18 09:01:55 | 日記
昨日の夕食時の7時過ぎ、我が街は突然の停電。数分で回復したが、家の中は真っ暗に。この停電で一番被害を受けたのが京王線。我が家から南に2㎞程の電力指令所も停電し、9時頃までの2時間電車の運転が出来なくなったようだ。
その京王線の調布付近の地下化工事が完了し、明日の昼前には新しい線路で運転が始まる。写真のように地上を走るのも今日でお仕舞い。相模原線の急行に乗っていると、調布駅に入れず、開通待ちも度々あったのも、地下駅になると解消されると言う。また、鉄道で分断されていた駅前広場も、大きな踏切がなくなり、一体化される。国領の世田谷通りの踏み切りもなくなり、渋滞も解消されるだろう。布田(ふだ)横のカーブに作られ、自転車やバイクでは難儀した踏み切りも、路面がフラットになり、走りやすくなるだろう。
電車は地下に潜るが、駅の建物工事や、線路の解体はこれからも続くと言う。世田谷通りや鶴川街道を通行していた車には朗報。勤めていた会社のトラックも、踏み切り待ちが減り、運転士のイライラが多少改善し、安全輸送に繋がるだろう。
明日は、この新線への直通1番電車に乗ってこよう。

27年目の夏

2012-08-12 07:07:06 | 日記
今日はニャンブログではない
今から27年前の今日の夕方、僕達家族は長時間車に揺られ、うんざりとしていた。この日は家内の実家の塩尻から東京へ戻る途中。高速道路も、甲州街道も大混雑。疲れた体で大垂水峠は避けたいと、相模湖インターから高速道路に上がり、助走道路を上がり終え、本線と合流する寸前、目の前の小仏峠の真上にジャンボ機が。僕と家内は飛行機に釘付け。今まで1回も見た事のない光景。横田に着陸するのにも低空過ぎ「何でこんな場所にジャンボがと?」がと幾つも僕の中で点滅する。1分もたたない内にジャンボは北の方角に姿を消した。
小仏の渋滞が終わり、元八王子のバス停を通過したのは、午後7時少し前。先ほどのジャンボの事が気になり、ラジオをつけた。ニュースの冒頭で「日航機が行方不明になり、通信も途絶えた」アナウンサーは繰り返す。
自宅に戻り、テレビを点けると「ジャンボ機の墜落」が伝えられていた。僕達家族が見たのは、墜落前の最後の姿であったのだろう。機内は乗客がパニックになっていただろうし、操縦室では機体の立直しに懸命の作業が続けられていたと想像する。
犠牲となられた方々の魂の平安を心からお祈りするものである。
僕達夫婦にとっては生涯忘れる事が出来ない旅となった。
「主よ犠牲者の魂御元にあって安らかに憩わん事を アーメン」

多忙な日々

2012-08-02 06:49:52 | 日記
定年退職し、のんびりとした日常が待っているはずだった。クーとココと戯れての。しかし、神様はそれを許さず、僕に自治会長を押し付けた。前任者の話を聞くとそれ程忙しくはなさそうと言う事で、引き受けたのが大きな間違え。110軒、140世帯の住む団地には、色々な問題が発生していた。簡単に解決出来るものもあったが、これから数年は掛かる問題も。歴代の会長は避けて来た。見過ごせず問題提起。言い出しっぺは解決まで委員長を引き受けた。
自治会長はあと2ヶ月で交代。多忙な自治会長は1年交代が妥当。勿論良い事も。改めて我が住む街を見渡し、勤め人時代に接触のなかった人や、市役所の幹部と接触も出来た。
昨日は住宅案内図の訂正に立会い、防災意識調査の集計をこなした。老齢化はこの住宅地でも確実に進んでいる。次の役員には、対策方法の検討を引き継がねば。田舎だけの問題と傍観してきたが、いよいよ我が身に迫って来た高齢社会の問題。切実である。