光GENJI SUPER5 横浜アリーナ
「Bye-Bye for Tomorrow See You Again P.S I Love you」
1995年8月30日 スタンド東6列
1995年8月31日 立見 整理番号 50番台
1995年春~初夏??
光GENJI FCから、1通の封書が届いた。
会報ではないことは、その封書の厚みでわかった。
1枚の・・・たった1枚の青い文書。
「この夏、光GENJI 卒業」
そう大きく書いてあった気がする。
光GENJIのグッズはすべて実家にあるので(持ってこなかったらしい)
詳しい日付・内容まで覚えていませんが・・・。
これを見たときは、わかっていたけど、淋しくて一晩中泣いてた。
終わっちゃうんだって。淋しくて。
そして、それが送られてきたのは、夏のコンサートの申込を締め切ってから。
最後になるなんて・・わかっていたら、どこにでも行ったのに。
1回しか申込していなくて。
せめて・・・どうしても、横浜の最終公演だけは見たいと、まだ暗いうちから、
近所のぴ○に並んだ。一人で。高3の初夏だった。(この日はお休みでした・笑)
他に並んでる人もいたけど。
当時はそんなにすぐに打ち解けられるような性格ではなく。
薄暗い中、酔っ払いに絡まれたりした。
そしたら後ろのお姉さんが助けてくれて。
光Gの話でもりあがったっけ。
まわりにあんまりファンがいなかったから、地元にいたことが嬉しかったな。
そんなこんなで1ツアー2回以上参戦のスタートがコレです。
30日は親友のJと一緒でした。
スタンドでしたが、ちょうどよかった。
始まる前から、号泣だったもん。
なにがって、ファンの温かさが。。。
まずはあっくんのお誕生日ってことで、開場中に「Happy Birthday」を歌うファン。
そして、スタンド一番上の席、一周をかけての光Gへのメッセージ。
(誰かが作って、一文字ずつ、持ってもらったみたい)
あちこちに「ありがとう」の文字。
始まりは、メンバー一人ひとりのソロではじまる。
シングルをワンフレーズずつ、歌って。
5人揃ったところでセンターに集まってきて。
内海くんが
「この夏、僕たちは、光GENJIを卒業します。数々の想いを胸に・・・光GENJI Super5」
とコメントして、Bye-Byeを歌うんだけど。
始まった途端に終わっちゃう感じ?(笑)
メンバーの笑顔は、笑ってなかった。
「なんでだよ、もう終わりかよ」みたいな、戸惑った笑顔だった。
そりゃそうよ。あっくんなんか、22歳だよ?そこである意味失業だよ?
ずっとちやほやされてきて、持ち上げられてきて。
いきなりズドーーーーーンって落とされるようなもんだよ??
なにか引っかかるものをみんながみんな抱えたまま過ごした2時間半×2日(笑)。
終始泣きっぱなしだった2時間半×2日(笑)。
最初で最後の5人のステージは・・・光GENJIの色が足りなかった。
ローラースケートという・・・もはや時代遅れの乗り物。
すごかったんだぜ~~デビューしたときは!!
スケート履いてバック転とか、スケート履いて踊ったりとか。電気が走る衝撃だったんだから。
半分・半分のステージだった。ローラーと靴の。
ソロで印象的なのは・・・やっぱり淳くんかなぁ・・・。
「想い出がいっぱい」@H2O→古くてわかんないか?
最終公演では泣いちゃったんだよね。
かーくんも、あんな性格だけど。
最後は、メンバーへの感謝を綴った、光Gの曲の替え歌だった。
あれ?あっくんはなんだっけ?晃君は・・・思い出せない(笑)
今度ビデオ見ようっと。
MCもかみ合わなくてね。
ぐだぐだだったんだけど。みんな頑張ってるって感じでね。
晃君がお茶目な姿を見せてくれたのもこれが最初で最後でした。
そうそう、最後は内海君に歌をプレゼントしたんだ、かーくんが。
♪内海光司 あだ名はキノッピ 流れ流され 27年♪
に始まり、
♪あなたに言いたいことがある それは ほせーな!!♪
なんともまぁ・・・中身のない歌(爆)
27歳で、高齢だったんだから、あの頃、ジャニーズは(爆)
その後の世代がどれだけ頑張ったか、わかるなぁ。。。
このライブの締め括り(本編)は
「Graduation」
あの、イントロで、会場全体が号泣に包まれました。
一人ひとりが、ファンやスタッフへのメッセージを伝えた後。
彼らは・・・
ローラースケートを・・・
ステージの上に脱ぎ、並べて・・・
ステージを去りました。
これで、光GENJIが終わったんだ。
アンコールに、スケートを履くことはありませんでした。
最後は「また会おう」で終わったと思うけど。。。
ビデオに残ってるメッセージは、最後ということもあり・・・
号泣モノで。
あっくんなんか
「始まる前、このステージが終わったら、光GENJIが終わるんだって思ったら、
だったら、やりたくないなって思って」なんて声詰まらせて。
晃君は、多くを語らない人。だからこそ、彼の言葉は重かった。
「今日はほんとにありがとうございました・・・・8年間あっという間でした。ホントに…楽しかったです」
この楽しかったのひと言が全てでした。
かーくん
「今まで支えてくれたファンの皆さま、スタッフの皆さま、
内海君、山本君、晃、敦啓、そして今日ここにはいませんが、大沢君、佐藤寛之くんに
感謝します。
……言いたい気持ちはたくさんありますが・・・みなさま永い間、本当にどうもありがとうございました」
あれこれ多くを語るかーくんの、この簡潔なメッセージは何よりも心に響きました。
他2名は忘れちゃったんだけど(爆)
内海君はたしか最後に
「ここにいるみんな一人残らず、また再会できる日を楽しみにしています」
って言ってたかな?
オーラスはステージにメンバーが落書きしてね。
その間、ファンはカラオケ大会で(笑)
最後は涙と笑顔に溢れた、卒業でした。
1995年9月3日- 光GENJI卒業。
そのあとの話。
最終公演が終わり、名古屋から東京に戻った5人。
そこで待っていたのは、ファン数千人。
改札口から、メンバーが乗る車の出口まで、ファン同士が整理して、
花道を作って、拍手で彼らを送ったという。
マナーを乱すものはいなかったと。
その話を聞いて、また泣いた。
キレイな思い出は、キレイに終わらせたい。というファンの願い。
彗星のごとく現れたアイドル。
わずか数年で、落ちこぼれ的に扱われた。
たった8年の短い期間だったけど。
小学4年の夏から高校3年の秋まで。。。ずっと大好きだった。
初めて、アイドルに夢中になったこと。
テレビでその姿を見たときの衝撃と感動。
その翌日の学校の温度の違い。みんな光GENJIが好きだった。
忘れない。たった3曲で「もういいよ、光Gは」と言われた熱しやすく冷めやすい
日本人の特質(笑)
それでも、私は好きだった。
私の中の、永遠のアイドルは7人の光GENJI。
青春というには、終わりが早すぎたけど(爆)
今はジャニーズもだーーーいぶ変わって。
いい方にも悪いほうにも。
間違いなく、今の方がいいことは確かだけど。
そこには、光GENJIの卒業(解散)が大きく影響してることは、間違いない。
その卒業を見てきた後輩達は後にこう言った。
「先輩が卒業する姿を見て、それを見て悲しむファンを見てすごく辛かった。
だから、そういう日が来ることがないように精一杯頑張る」と。
それが、今までのTOKIOやSMAPやKinkiやV6のカタチ。
光Gの卒業を目の当たりにした後輩は、この4グループくらい。
ご法度(?)だった、カッコ悪い路線にも進んで入ったTOKIO。
そう。
光GのようなアイドルにはなれなかったTOKIO(笑)⇒まずバンドってことがムリじゃね?
そうやって人間味のあるアイドルになっていった。
昔より身近な存在に感じられるようになった。温度があった。
そこから、いろんなグループが出てきて。
あの頃は、歌番組に1ヶ月以上出続けられたけど。。。
今となっては、同じ事務所で取り合いですもんね(笑)
会場にしても番組にしても。
SMAPは別物と考えても、Jフレは、光Gの背中を見て育ってきたグループ。
V6なんか入れ替わりデビューだから、生まれ変わりとも言われたよね。
どこかで受け継がれているんだな、と、ずっとジャニヲタやってて思います。
ここから、元光Gのメンバーを拠点に・・・どんどんハマっていきます(笑)
ジャニヲタ暴走の始まりです!!
「Bye-Bye for Tomorrow See You Again P.S I Love you」
1995年8月30日 スタンド東6列
1995年8月31日 立見 整理番号 50番台
1995年春~初夏??
光GENJI FCから、1通の封書が届いた。
会報ではないことは、その封書の厚みでわかった。
1枚の・・・たった1枚の青い文書。
「この夏、光GENJI 卒業」
そう大きく書いてあった気がする。
光GENJIのグッズはすべて実家にあるので(持ってこなかったらしい)
詳しい日付・内容まで覚えていませんが・・・。
これを見たときは、わかっていたけど、淋しくて一晩中泣いてた。
終わっちゃうんだって。淋しくて。
そして、それが送られてきたのは、夏のコンサートの申込を締め切ってから。
最後になるなんて・・わかっていたら、どこにでも行ったのに。
1回しか申込していなくて。
せめて・・・どうしても、横浜の最終公演だけは見たいと、まだ暗いうちから、
近所のぴ○に並んだ。一人で。高3の初夏だった。(この日はお休みでした・笑)
他に並んでる人もいたけど。
当時はそんなにすぐに打ち解けられるような性格ではなく。
薄暗い中、酔っ払いに絡まれたりした。
そしたら後ろのお姉さんが助けてくれて。
光Gの話でもりあがったっけ。
まわりにあんまりファンがいなかったから、地元にいたことが嬉しかったな。
そんなこんなで1ツアー2回以上参戦のスタートがコレです。
30日は親友のJと一緒でした。
スタンドでしたが、ちょうどよかった。
始まる前から、号泣だったもん。
なにがって、ファンの温かさが。。。
まずはあっくんのお誕生日ってことで、開場中に「Happy Birthday」を歌うファン。
そして、スタンド一番上の席、一周をかけての光Gへのメッセージ。
(誰かが作って、一文字ずつ、持ってもらったみたい)
あちこちに「ありがとう」の文字。
始まりは、メンバー一人ひとりのソロではじまる。
シングルをワンフレーズずつ、歌って。
5人揃ったところでセンターに集まってきて。
内海くんが
「この夏、僕たちは、光GENJIを卒業します。数々の想いを胸に・・・光GENJI Super5」
とコメントして、Bye-Byeを歌うんだけど。
始まった途端に終わっちゃう感じ?(笑)
メンバーの笑顔は、笑ってなかった。
「なんでだよ、もう終わりかよ」みたいな、戸惑った笑顔だった。
そりゃそうよ。あっくんなんか、22歳だよ?そこである意味失業だよ?
ずっとちやほやされてきて、持ち上げられてきて。
いきなりズドーーーーーンって落とされるようなもんだよ??
なにか引っかかるものをみんながみんな抱えたまま過ごした2時間半×2日(笑)。
終始泣きっぱなしだった2時間半×2日(笑)。
最初で最後の5人のステージは・・・光GENJIの色が足りなかった。
ローラースケートという・・・もはや時代遅れの乗り物。
すごかったんだぜ~~デビューしたときは!!
スケート履いてバック転とか、スケート履いて踊ったりとか。電気が走る衝撃だったんだから。
半分・半分のステージだった。ローラーと靴の。
ソロで印象的なのは・・・やっぱり淳くんかなぁ・・・。
「想い出がいっぱい」@H2O→古くてわかんないか?
最終公演では泣いちゃったんだよね。
かーくんも、あんな性格だけど。
最後は、メンバーへの感謝を綴った、光Gの曲の替え歌だった。
あれ?あっくんはなんだっけ?晃君は・・・思い出せない(笑)
今度ビデオ見ようっと。
MCもかみ合わなくてね。
ぐだぐだだったんだけど。みんな頑張ってるって感じでね。
晃君がお茶目な姿を見せてくれたのもこれが最初で最後でした。
そうそう、最後は内海君に歌をプレゼントしたんだ、かーくんが。
♪内海光司 あだ名はキノッピ 流れ流され 27年♪
に始まり、
♪あなたに言いたいことがある それは ほせーな!!♪
なんともまぁ・・・中身のない歌(爆)
27歳で、高齢だったんだから、あの頃、ジャニーズは(爆)
その後の世代がどれだけ頑張ったか、わかるなぁ。。。
このライブの締め括り(本編)は
「Graduation」
あの、イントロで、会場全体が号泣に包まれました。
一人ひとりが、ファンやスタッフへのメッセージを伝えた後。
彼らは・・・
ローラースケートを・・・
ステージの上に脱ぎ、並べて・・・
ステージを去りました。
これで、光GENJIが終わったんだ。
アンコールに、スケートを履くことはありませんでした。
最後は「また会おう」で終わったと思うけど。。。
ビデオに残ってるメッセージは、最後ということもあり・・・
号泣モノで。
あっくんなんか
「始まる前、このステージが終わったら、光GENJIが終わるんだって思ったら、
だったら、やりたくないなって思って」なんて声詰まらせて。
晃君は、多くを語らない人。だからこそ、彼の言葉は重かった。
「今日はほんとにありがとうございました・・・・8年間あっという間でした。ホントに…楽しかったです」
この楽しかったのひと言が全てでした。
かーくん
「今まで支えてくれたファンの皆さま、スタッフの皆さま、
内海君、山本君、晃、敦啓、そして今日ここにはいませんが、大沢君、佐藤寛之くんに
感謝します。
……言いたい気持ちはたくさんありますが・・・みなさま永い間、本当にどうもありがとうございました」
あれこれ多くを語るかーくんの、この簡潔なメッセージは何よりも心に響きました。
他2名は忘れちゃったんだけど(爆)
内海君はたしか最後に
「ここにいるみんな一人残らず、また再会できる日を楽しみにしています」
って言ってたかな?
オーラスはステージにメンバーが落書きしてね。
その間、ファンはカラオケ大会で(笑)
最後は涙と笑顔に溢れた、卒業でした。
1995年9月3日- 光GENJI卒業。
そのあとの話。
最終公演が終わり、名古屋から東京に戻った5人。
そこで待っていたのは、ファン数千人。
改札口から、メンバーが乗る車の出口まで、ファン同士が整理して、
花道を作って、拍手で彼らを送ったという。
マナーを乱すものはいなかったと。
その話を聞いて、また泣いた。
キレイな思い出は、キレイに終わらせたい。というファンの願い。
彗星のごとく現れたアイドル。
わずか数年で、落ちこぼれ的に扱われた。
たった8年の短い期間だったけど。
小学4年の夏から高校3年の秋まで。。。ずっと大好きだった。
初めて、アイドルに夢中になったこと。
テレビでその姿を見たときの衝撃と感動。
その翌日の学校の温度の違い。みんな光GENJIが好きだった。
忘れない。たった3曲で「もういいよ、光Gは」と言われた熱しやすく冷めやすい
日本人の特質(笑)
それでも、私は好きだった。
私の中の、永遠のアイドルは7人の光GENJI。
青春というには、終わりが早すぎたけど(爆)
今はジャニーズもだーーーいぶ変わって。
いい方にも悪いほうにも。
間違いなく、今の方がいいことは確かだけど。
そこには、光GENJIの卒業(解散)が大きく影響してることは、間違いない。
その卒業を見てきた後輩達は後にこう言った。
「先輩が卒業する姿を見て、それを見て悲しむファンを見てすごく辛かった。
だから、そういう日が来ることがないように精一杯頑張る」と。
それが、今までのTOKIOやSMAPやKinkiやV6のカタチ。
光Gの卒業を目の当たりにした後輩は、この4グループくらい。
ご法度(?)だった、カッコ悪い路線にも進んで入ったTOKIO。
そう。
光GのようなアイドルにはなれなかったTOKIO(笑)⇒まずバンドってことがムリじゃね?
そうやって人間味のあるアイドルになっていった。
昔より身近な存在に感じられるようになった。温度があった。
そこから、いろんなグループが出てきて。
あの頃は、歌番組に1ヶ月以上出続けられたけど。。。
今となっては、同じ事務所で取り合いですもんね(笑)
会場にしても番組にしても。
SMAPは別物と考えても、Jフレは、光Gの背中を見て育ってきたグループ。
V6なんか入れ替わりデビューだから、生まれ変わりとも言われたよね。
どこかで受け継がれているんだな、と、ずっとジャニヲタやってて思います。
ここから、元光Gのメンバーを拠点に・・・どんどんハマっていきます(笑)
ジャニヲタ暴走の始まりです!!
