推し活日記~ジャニヲタ36年目いつまで続けるんだか~

なんやかんやでスノ沼・宮舘の泉に華麗にダイブしましたw
ヲタ活・推し活日記、気ままに備忘録的に。

光GENJI 卒業コンサート(10&11/275)

2010-10-20 21:38:58 | ライブ参戦記録
光GENJI SUPER5 横浜アリーナ
「Bye-Bye for Tomorrow See You Again P.S I Love you」

1995年8月30日 スタンド東6列
1995年8月31日 立見 整理番号 50番台



1995年春~初夏??

光GENJI FCから、1通の封書が届いた。

会報ではないことは、その封書の厚みでわかった。
1枚の・・・たった1枚の青い文書。

「この夏、光GENJI 卒業」

そう大きく書いてあった気がする。

光GENJIのグッズはすべて実家にあるので(持ってこなかったらしい)
詳しい日付・内容まで覚えていませんが・・・。

これを見たときは、わかっていたけど、淋しくて一晩中泣いてた。
終わっちゃうんだって。淋しくて。

そして、それが送られてきたのは、夏のコンサートの申込を締め切ってから。

最後になるなんて・・わかっていたら、どこにでも行ったのに。

1回しか申込していなくて。
せめて・・・どうしても、横浜の最終公演だけは見たいと、まだ暗いうちから、
近所のぴ○に並んだ。一人で。高3の初夏だった。(この日はお休みでした・笑)

他に並んでる人もいたけど。
当時はそんなにすぐに打ち解けられるような性格ではなく。

薄暗い中、酔っ払いに絡まれたりした。
そしたら後ろのお姉さんが助けてくれて。
光Gの話でもりあがったっけ。

まわりにあんまりファンがいなかったから、地元にいたことが嬉しかったな。

そんなこんなで1ツアー2回以上参戦のスタートがコレです。

30日は親友のJと一緒でした。

スタンドでしたが、ちょうどよかった。
始まる前から、号泣だったもん。

なにがって、ファンの温かさが。。。

まずはあっくんのお誕生日ってことで、開場中に「Happy Birthday」を歌うファン。
そして、スタンド一番上の席、一周をかけての光Gへのメッセージ。
(誰かが作って、一文字ずつ、持ってもらったみたい)

あちこちに「ありがとう」の文字。

始まりは、メンバー一人ひとりのソロではじまる。
シングルをワンフレーズずつ、歌って。

5人揃ったところでセンターに集まってきて。

内海くんが
「この夏、僕たちは、光GENJIを卒業します。数々の想いを胸に・・・光GENJI Super5」

とコメントして、Bye-Byeを歌うんだけど。
始まった途端に終わっちゃう感じ?(笑)

メンバーの笑顔は、笑ってなかった。
「なんでだよ、もう終わりかよ」みたいな、戸惑った笑顔だった。

そりゃそうよ。あっくんなんか、22歳だよ?そこである意味失業だよ?
ずっとちやほやされてきて、持ち上げられてきて。
いきなりズドーーーーーンって落とされるようなもんだよ??

なにか引っかかるものをみんながみんな抱えたまま過ごした2時間半×2日(笑)。

終始泣きっぱなしだった2時間半×2日(笑)。


最初で最後の5人のステージは・・・光GENJIの色が足りなかった。
ローラースケートという・・・もはや時代遅れの乗り物。
すごかったんだぜ~~デビューしたときは!!
スケート履いてバック転とか、スケート履いて踊ったりとか。電気が走る衝撃だったんだから。


半分・半分のステージだった。ローラーと靴の。

ソロで印象的なのは・・・やっぱり淳くんかなぁ・・・。
「想い出がいっぱい」@H2O→古くてわかんないか?
最終公演では泣いちゃったんだよね。

かーくんも、あんな性格だけど。
最後は、メンバーへの感謝を綴った、光Gの曲の替え歌だった。

あれ?あっくんはなんだっけ?晃君は・・・思い出せない(笑)
今度ビデオ見ようっと。

MCもかみ合わなくてね。
ぐだぐだだったんだけど。みんな頑張ってるって感じでね。
晃君がお茶目な姿を見せてくれたのもこれが最初で最後でした。

そうそう、最後は内海君に歌をプレゼントしたんだ、かーくんが。

♪内海光司 あだ名はキノッピ 流れ流され 27年♪

に始まり、

♪あなたに言いたいことがある それは ほせーな!!♪

なんともまぁ・・・中身のない歌(爆)

27歳で、高齢だったんだから、あの頃、ジャニーズは(爆)


その後の世代がどれだけ頑張ったか、わかるなぁ。。。


このライブの締め括り(本編)は

「Graduation」

あの、イントロで、会場全体が号泣に包まれました。

一人ひとりが、ファンやスタッフへのメッセージを伝えた後。

彼らは・・・

ローラースケートを・・・

ステージの上に脱ぎ、並べて・・・

ステージを去りました。


これで、光GENJIが終わったんだ。

アンコールに、スケートを履くことはありませんでした。

最後は「また会おう」で終わったと思うけど。。。


ビデオに残ってるメッセージは、最後ということもあり・・・

号泣モノで。


あっくんなんか
「始まる前、このステージが終わったら、光GENJIが終わるんだって思ったら、
だったら、やりたくないなって思って」なんて声詰まらせて。


晃君は、多くを語らない人。だからこそ、彼の言葉は重かった。
「今日はほんとにありがとうございました・・・・8年間あっという間でした。ホントに…楽しかったです」
この楽しかったのひと言が全てでした。

かーくん
「今まで支えてくれたファンの皆さま、スタッフの皆さま、
内海君、山本君、晃、敦啓、そして今日ここにはいませんが、大沢君、佐藤寛之くんに
感謝します。
……言いたい気持ちはたくさんありますが・・・みなさま永い間、本当にどうもありがとうございました」
あれこれ多くを語るかーくんの、この簡潔なメッセージは何よりも心に響きました。

他2名は忘れちゃったんだけど(爆)

内海君はたしか最後に
「ここにいるみんな一人残らず、また再会できる日を楽しみにしています」
って言ってたかな?

オーラスはステージにメンバーが落書きしてね。
その間、ファンはカラオケ大会で(笑)

最後は涙と笑顔に溢れた、卒業でした。

1995年9月3日- 光GENJI卒業。


そのあとの話。

最終公演が終わり、名古屋から東京に戻った5人。
そこで待っていたのは、ファン数千人。

改札口から、メンバーが乗る車の出口まで、ファン同士が整理して、
花道を作って、拍手で彼らを送ったという。
マナーを乱すものはいなかったと。

その話を聞いて、また泣いた。

キレイな思い出は、キレイに終わらせたい。というファンの願い。

彗星のごとく現れたアイドル。
わずか数年で、落ちこぼれ的に扱われた。
たった8年の短い期間だったけど。

小学4年の夏から高校3年の秋まで。。。ずっと大好きだった。

初めて、アイドルに夢中になったこと。
テレビでその姿を見たときの衝撃と感動。
その翌日の学校の温度の違い。みんな光GENJIが好きだった。

忘れない。たった3曲で「もういいよ、光Gは」と言われた熱しやすく冷めやすい
日本人の特質(笑)

それでも、私は好きだった。
私の中の、永遠のアイドルは7人の光GENJI。
青春というには、終わりが早すぎたけど(爆)

今はジャニーズもだーーーいぶ変わって。
いい方にも悪いほうにも。

間違いなく、今の方がいいことは確かだけど。
そこには、光GENJIの卒業(解散)が大きく影響してることは、間違いない。

その卒業を見てきた後輩達は後にこう言った。

「先輩が卒業する姿を見て、それを見て悲しむファンを見てすごく辛かった。
だから、そういう日が来ることがないように精一杯頑張る」と。


それが、今までのTOKIOやSMAPやKinkiやV6のカタチ。
光Gの卒業を目の当たりにした後輩は、この4グループくらい。
ご法度(?)だった、カッコ悪い路線にも進んで入ったTOKIO。
そう。
光GのようなアイドルにはなれなかったTOKIO(笑)⇒まずバンドってことがムリじゃね?
そうやって人間味のあるアイドルになっていった。
昔より身近な存在に感じられるようになった。温度があった。
そこから、いろんなグループが出てきて。

あの頃は、歌番組に1ヶ月以上出続けられたけど。。。
今となっては、同じ事務所で取り合いですもんね(笑)
会場にしても番組にしても。

SMAPは別物と考えても、Jフレは、光Gの背中を見て育ってきたグループ。
V6なんか入れ替わりデビューだから、生まれ変わりとも言われたよね。

どこかで受け継がれているんだな、と、ずっとジャニヲタやってて思います。

ここから、元光Gのメンバーを拠点に・・・どんどんハマっていきます(笑)

ジャニヲタ暴走の始まりです!!

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