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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ケキッチ

2017-02-09 20:48:44 | 日記
1974年

「まだとても興奮している」来日初勝利を完投で飾ったケキッチは、突き出されたマイクに声をはずませた。投球数157。三振11、四球6つも荒れたピッチングではあったが、球威は最後まで落ちなかった。基にやや気を抜いた半速球をホームランされたものの、あとはつまった当たりの右前打と、内野安打3本。力でねじ伏せた完投だった。このケキッチ、初先発した南海戦では、日本の蒸し暑さにやられて「体中の塩がみんな出てしまった」の珍妙なせりふを残して降板したが、この夜は涼しさに助けられて、あまり汗もかかずにさっぱりした表情。「きょうは塩はいらなかった。でも最終回、足にちょっとこむら返りが起こって痛かった。イタイネ」と、覚えたての日本語で愛きょうをふりまいた。アメリカから日本にくるまで、二週間ほど実戦から遠ざかっていたため、調子はいま一つだそうだが「これから投げ込めばもっとよくなる。そうすればワンサイドで勝つことも出来るよ」と自信たっぷり。初勝利の喜びに加えて、十九日にはマリリン夫人と、二人の子供たちが日本にやってくる。ヤンキース在籍時代の一昨年、同僚のピーターソン投手とのスワッピングで話題になった夫人と子供たちだ。「昨年、ベネズエラ、コロンビアと南米に行ったときには、家族をアメリカに置いたままだった。今度は家族と一緒に日本を見れる。ベリー・ハッピーね」と優しい気遣いを見せていた。
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ケキッチ

2017-02-09 20:35:22 | 日記
1974年

貧打の続く後期の太平洋。初対面のスワップ野郎。ケキッチにもあっさりギブアップだった。初回二死から2四球を選んだが竹之内三振。二回は基、菊川、楠城のバットが連続で空を切る。三回は伊原の安打から3四死球で押し出し点ーとにかくノーワインドアップから投げ込む球にはコントロールのリズムがない。つまりストライクが続くかと思うと突如ボールが並ぶ、荒れるかと思うとストライクがはいる、そしてタマは「ズシンと重い」(福浦スコアラー)。ライオンズの選手たちは的がしぼれないままボールにも手を出した。「日本の投手とはタイプが違うね。みんなシュート回転してくるし重い。速いという感じはないが適当に荒れるから打ちづらいよ」後期六試合でまだノーヒットの竹之内は完全にお手上げのゼスチャア。つまった当たりの多い打球の中でただひとりスタンドアーチをかけた基はちょっと違う見方をしていた。「そう重い感じはなかった。シュートがいい、あの球にだまされるんだ」それはともかく157球を投げたケキッチに11三振も奪われて稲尾監督はおかんむり。ベンチでは前半ストライクをとられるまで待球主義の作戦を取ったり、あれやこれやと手は打ったが、結局はあれだけに幻惑されてしまったようだ。「日本に来た外人投手は来日当初で比べると一段といいようだ。スタンカやバッキーは日本でうまくなったからな、まあまずまずの投手だよ、しかしああ敵に協力しちゃ勝てんよ」つまりライオンズの選手がみなボールに手を出してケキッチを助けたというわけだ。「的をしぼりにくいこともあるが今度あったら絶対打ち崩さないかんな。いや打ち消すよ」となかば自分に言い聞かせるような口ぶり。神部、鈴木と近鉄左腕と苦手とする太平洋、またひとりのいやなやつが出て来たものだ。
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井上善夫

2017-02-09 20:11:16 | 日記
1969年

西鉄から巨人に移った昨年、四試合に登板して5イニング投げただけ、以後はバッティング投手になりさがっていた井上善が好投した。第二試合の四回、2-1と広島が逆転したところでリリーフに出て、その後を1安打2四球に押え、1点差を守り切った。近鉄でコーチをしていた根本監督には西鉄のエースとしてのイメージがある。「この男はまだまだ使える」と見込み、キャンプではコーチよりも監督がつきっきりで指導、下がっていた腕をスリークォーターに戻した。広島が最後の野球生活という井上善は、監督の期待にこたえるべくフォーム固めに取り組み、一日四百ー五百球のノルマにも耐えた。体重はキャンプ・イン数日で七㌔も減った。しかし、オープン戦の中盤ごろでは、復調の見通しはまだまだ暗いものだった。十五日の阪急戦に2イニング、二十五日の南海戦に4イニング投げてともに無失点だったが被安打は6。リリーフしたばかりの五回、先頭浜村を2-2からカーブで、村上も同じカウントから内角直球でいずれも三振に仕止め、九回までをピタリと押えたのである。井上善は「インコースへ思い切って投げたのが成功したが、捕手の田中さんのリードもよかった」と新人のようにけんそんしていたが、根本監督は「まだフォームに気を使っている。もっとスピードが出るはず」と欲の深いことを言いながらも「内角で勝負できるようになったのは本物」と目を細める。第一試合で完投勝ちした安仁屋とともに広島の守りの野球にまた一つの柱ができたといえそうだ。
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ミケンツ・ボトラ

2017-02-06 00:16:40 | 日記
1959年

十四日大阪球場で行われた南海ー近鉄一回戦の試合前の練習に、ことし近鉄に入団したグレン・ロジャー・ミケンツ投手(28)とドナルド・J・ボトラ捕手(25)の二人の外人選手が姿をあらわした。十一、十三の二日間藤井寺球場で軽く二軍選手とともに練習をしていたが、ファンにお目見得するのはこれがはじめて。ボトラ捕手はフリー・バッティングを軽く十五分ほど、オーバー・フェンスはなかったが打球の速さはすばらしかった。またキャッチングからスローイングに移る際の動作は大きいが、その肩のよさには加藤(昌)捕手もあきれ顔。ミケンツ投手は十五分間バッティング投手をつとめた。はじめは直球だけの約束だったが、途中から自分でカーブ、チェンジ・アップなどと茶目っ気たっぷりに叫んでから投げた。小玉は「低目の球が沈んだり浮いたり・・・。とにかくいろいろの球を持っている」とミケンツ投手の印象をこう語った。この二人は試合には出なかったが、ベンチでみた日本のプロ野球をつぎのように語った。なお両選手は日本語が全然話せないので、近鉄は瀬口道昭さん(23)を専属通訳にやとって、試合中でもベンチにすわってもらって連絡をとることになっている。

ボトラ捕手の話「まだ一試合しかみていないのでむずかしいが、内野手の動きがいい。相手(南海のこと)チームは遊撃手が二つもエラーしたが、ウチのチームは非常に立派なプレーヤーばかりだ。小玉さんや鈴木さんの守備は軽快だった。このチームがいつも最下位だとは思えないね。南海の捕手(野村)は体が大きくていいと思った。ぼくは練習も十分やっているので、きょうはピンチ・ヒッターに出してもらうつもりでいたが、ダメだった。でも出れば第一戦には必ず本塁打を打つよ」

ミケンツ投手の話「ウチの投手では二人目に投げた人(大津)が一番うまいと思った。ことに落ちる球には感心した。八回に四球を出して代わったが、あのときのボールはストライクだった。審判はそんなにうまくないね。一般に日本の投手はスピードが余りない。だがそれだけに思いもよらぬかわった球を投げている。自分が思っていたよりレベルは上だ。とにかく早く投げてみたい」

千葉監督の話 「まだ十分に見ていないのでなんともいえないが、ボトラの肩のよさにはおどろいたはじめは代打で使ってみるつもりだが、ゆくゆくは四番をと思っている。ミケンツ投手は多くの球質を持っているしまあ二人ともやれそうな選手なので安心した」
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妹尾幸一

2017-02-05 22:03:19 | 日記
1965年

殺人未遂の疑いで大阪府警から指名手配中の元南海二軍選手妹尾幸一(21)は六日朝、立ちまわりさきの川崎市丸子通り、若草荘アパートで逮捕された。手配書によると妹尾は昨年五月十二日、大阪で会社員中村弘さん(18)を刃物で刺し重傷を負わせた疑い。
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巽一・赤木健一

2017-02-05 21:47:52 | 日記
1958年

去就を注目されていた慶大野球部の巽一投手(22)と赤木健一外野手(22)は国鉄スワローズに入団が決定、十八日午後四時東京丸ノ内の同球団事務所で今泉球団代表取締役、森代表、宇野監督立ち会いのもとに正式契約をした。巽投手は今季六大学ベストナインの投手に選ばれた左腕投手、秋は不調に悩んだが、鋭いドロップと内角に食い込む速球が武器、中日もさかんに勧誘していた。1㍍73、68㌔、四日市高出身、左投左打。また赤木外野手は春、秋ともにベストナインに選ばれ、特に今春は首位打者となった。大学時代の通算打率296、1㍍73、71㌔、慶応高出身、左投左打。

巽選手「国鉄を選んだのは先輩である宇野さんがいるからだ。投手の生命はコントロールだと思うのでコントロールをつけるよう努力する。金田さんという立派な手本がいるので幸だ。」

赤木選手「スランプだったときでも宇野さんが親切にアドバイスしてくれたのでリーグ戦中から国鉄に入ろうと思っていた」
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吉沢岳男

2017-02-05 20:22:02 | 日記
1960年

きのう(五日)村山から勝越しのホームランを放って、中日を勝利にみちびいた吉沢が、この日も大活躍で連続殊勲者となった。ゲームが終って5連勝にわきあがる中日のダッグアウトで吉沢はゆっくりとマスクをとり、そしてプロテクターをはずした。その顔はうれしさでみなぎっている。「たまに打ったからといってひやかさんでくださいよ」と吉沢の好打をほめたたえる僚友にテレながらもはっきりとした言葉で質問されたことをていねいに返事する。二回本多を二塁に置いて打った小山の足もとを抜く中前安打は「カーブだった。すこし低かったように思う。コースは真ん中です」とのこと。六回決勝点となった江藤を迎え入れる左前タイムリーは「真ん中のスライダー」という。「きのうのホームランで自信をつけたのか」という質問に「打てる自信とまではいきませんね。どうもついているといったほうがよさそうですよ。特別に当っているとかボールがよく見えるとかいうことでなくて、なんとかして打ちたいという気持ちです。きのうやきょう(六日)の当たりはまぐれですよ」という。しかし村山、小山という一流の投手を打ちこんだのだからまぐれとはいえない。この吉沢が打つことによって中日の下位打線はぐんとひきしまっている。
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坂本文次郎

2017-02-05 19:47:22 | 日記
1961年

ゲームが大詰めに近づいたころ、ネット裏の記者席では「このゲームのヒーローはだれかナ」としきりにささやかれていた。「小野? 5点も取られていては・・・。それにきょうはよくないヨ」河合に3ランを打たれた直後だからこれで小野は失格。「それじゃあ、だれだ?」といったとき、ベテラン坂本の一発が左翼席に飛び込んだ。「これだ、これだ」ゲームはこの一発で決まったし、ヒーローも坂本に決まった。それに六回の大毎追加点も坂本の二塁打が口火だし、おまけに七、八回のピンチではキャンパスよりの難ゴロを二つもさばいて小野を助けている。九回表、仰木の2ランが出たが、大毎は1点差で辛勝。こうなると坂本の一発はますます光ってくる。宇野監督も「坂本はこのゲームで攻守にわたって貴重な存在だった」と言葉少なながらほめていたが、それにふさわしいベテラン坂本のいぶし銀にもにた攻守、巧打だった。「ホームラン?ストレートだったナ。七、八回のファインプレーだって?グローブにうまくはいっただけサ。キャンプも仕上げにはいったころ、打球を左わきバラに受けてダメだった。これからはボツボツやらねば・・・」と坂本はいう。このゲームでショートを守り切った坂本だが、これは今季初めてのこと。大毎の内野、ことに三遊間がとやかく批判されているときだけに、この坂本は宇野監督のいうように実に貴重な存在だ。「このゲームでは三回トップバッターをやったヨ」といって笑う坂本だが、このゲームでは不思議と西鉄の投手交代がこの坂本から行われたのだ。ベテラン坂本を前にしては西鉄の若手投手たちもさぞや投げにくかったに違いない。
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斎藤達雄

2017-02-05 19:07:39 | 日記
1960年

「サイトウ? 」みんなが首をかしげる。知らない人が多いはずだ。その変わった経歴から紹介しよう。静清工高(静岡)から軟式野球の鈴南港湾(清水港)に入社、投手をやっていた。腕に自信のあるものの共通した心理だが、だんだん夢が大きくなって大阪は富田林のPL教団野球部にはいった。ここで約七か月三塁を守ってピンチにマウンドをふんで活躍、国体にも出場した。大物だったといわれてこんどはプロをねらってまんまと広島入りした。一昨年十月のことだ。PL教団の綱島監督は元松竹ロビンス出身、この人の紹介をもって広島へとび、白石監督のテストをうけて合格したわけだ。広島を選んだ理由を「野手の少ないチームは広島しかなかった」といい切るあたり立派な心臓である。この日は四回大和田を二塁において中堅へ3点目の二塁打を放ち、五回には中堅左へ勝越し二塁打。最初の伊藤さんのは真っすぐ、安原さんのはシュートだったかな。いやおぼえていませんよハハ気持ちよい笑い声が通路にはね返った。一年間二軍で練習したおかげでことしは一軍、しかし阪神戦でやっと公式戦に出れたと思ったら、最初のゴロをエラーした。すぐ代えられたときにもっと練習しておけばよかったと思いましたよよほど気になったらしい。監督さんにハッパをかけられました。打つ方は前日別所さんから二塁打したとき自信ができましてね。相手は大投手です。しかし守備があぶなくてハハハ初めてインタビューされるうれしさか、巨人に勝ったうれしさか、笑ってばかりいる斎藤だった。
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梶本隆夫

2017-02-05 18:38:16 | 日記
1961年

長身の梶本はナインに囲まれてもまだ首から上が出てしまう。ベンチへ向かった梶本は笑っていた。一打同点のピンチに追い込まれながらよく東映の追撃を押えた。「山本八にはインローを打たれた。低めならホームランされる心配はないからー。きょうのピッチング?何がよかったかわからん。カーブを多く投げたこととタマが速かったこと、ドロップもよく落ちた。しかし何がよかったかはやっぱりわからん」と、こんなことをいってまた笑った。開幕二試合目の対南海戦で、シュートを投げたとき腰を痛めてしばらくはチームから離れていたが、十八日の南海戦から合流、この日は敗戦投手になったが、二十三日の対近鉄二回戦で今シーズン初勝利をあげた。これが梶本にとって契機になったのかも知れない。この日はサイドハンドからカーブとシュートで両サイドを攻め、好調を誇る東映打線をよく押えた。梶本は阪急で今シーズン初めての完投勝利投手となった。
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島田幸雄

2017-02-05 18:01:20 | 日記
1960年

五回長谷川投手から逆転の三塁打を奪った島田幸は、外野の速球を三塁手興津が後ろにそらすうちに一挙ホームをおとしいれた。だがその足はもうヨタヨタだった。「レギュラーでいつも出ていないからスタミナがないのですよ。すっかりカンが鈍っている。ランナーに出ると刺されてはしまいかと心配でたまらない」と島田は言う。・・・この日は桑田を継いで一塁を守ったが、桑田は足が悪いしもしリードしたらピンチヒッターに出してもらえると期待してたそうだ。「打ったのは外角カーブ。カーブがくると思って前に出て立っていた。ボクは長谷川は案外打っていますよ。あの人はごまかすのがうまい。だがボクは前に出るからごまかされないのです」と長谷川の型の投手には自信をもっている。「広島戦には出るチャンスが多い。右の投手が多いですからね」とゲームの途中で近藤和に一塁を譲り、控室でアンダーシャツの汗をしぼっていた。このところ大洋はレギュラー以外の選手が活躍することが多い。まだ広島戦は五つも残している。連戦に備え貴重な左バッターだろう。
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大石清

2017-02-05 17:50:26 | 日記
1960年

大石は長嶋にあまり打たれていない。白石監督は「ウチが巨人によい成績を残しているのは、大石が好投するからだ。はじめは河村を巨人あるいは中日あたりにおもに使う考えだったが、河村が負傷したので大石を使った。大石の成功は長嶋に打たれていないことだ。もちろん四球で歩かせることもあるが・・・」と言う。巨人打線は長嶋一人がささえた。長嶋に打たれなければそう心配はいらない。「長嶋さんの場合はシュートをインコースにはずしておいて、スライダーで勝負する。またそれをいつも振ってくれるから助かります。こわくはないが、とくにカモにしているわけでもないのです。ついているのですよ」と大石は笑っている。大石のよさはどんなときでも真っ向から勝負をいどむことだ。ピンチにも決して動揺の色を見せない。「あいつはどんなときでも真正面から勝負するからりっぱなのだ。速球があるからこそ、スライダーもフォークボールも生きてくる。堀本につぐ心臓男だよ」と評論家の苅田久徳氏はほめている。好投したときに、本人に「どんな球がよかったのか」と聞くときまって「公式通り投げたからよかったのですよ」と答える。ことしの大石の目標は15勝だった。それがいまや20勝をあげ、堀本の23勝を追っている。若いカープのエースだ。備前、河村の故障から白石監督は大石に連投させなければならない。大石はそんな登板の環境にも恵まれた。そしていつの間にか目標の15勝を突破してしまった。これには白石監督のかげの力も大きく働いている。昨シーズン、大石は後半でピッチが落ちた。ヤセ型のからだのうえに夏場、お茶づけしかのどに通らないという食欲不振に襲われたからだ。だから白石監督は「イシ、油ものを食え、おまえは夏に勝てる体力を作ることがカギだ」とキャンプ時代から再三注意した。オールスター前、大石は連投からやや疲れが見えたが、食事を切り替えて元気になった。そして十五日の対巨人戦で、七回半ば備前にマウンドを譲ったが20勝をあげた。「堀本さんを抜いて最多勝投手になろうなんておこがましい考えはない。巨人さんからは、まだまだいただかなければ・・・」とさすがは巨人キラーらしいところをちょっぴり。十六日現在、奪三振は百五十三で四位。20勝8敗で勝率はトップ。失点が比較的多く防御率は2・41だが、いまや広島を人気を一人でかっさらっている。優勝なんかどうでもよい。巨人や阪神の優勝チームを、この目の前でやっつけてくれればいいのだそんな広島人気質にアピールして長谷川、大和田につづいてファンをわかせている広島のヒーローだ。
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西尾慈高

2017-02-05 16:54:40 | 日記
1960年

金田は阪神をにが手としないまでもいつもよく打たれる。この日の金田は前半はほとんど速いタマを使わず、ゆるいカーブで打たせてとるピッチング。だから阪神としては金田に対する日ごろの自信もあってつけ入るスキが十分にあったわけだ。二回横山の第三号ホーマーを含む長短打の集中攻撃で2点の先手をとり、この優位を西尾がよく守り、終盤で藤本が3ランして完全にダメ押した。七回西尾は復調著しい町田に一発ホームランをくったが総合点では金田を上回るできばえだった。
ー二回一、三塁のチャンスのとき、つぎの中村と勝負したのはどんなタマか。
西尾 フォーク・ボールだ。低目のタマでダブろうと思っていたがうまくいった。
ーおもに使ったタマは?
西尾 ストレートを全体の半分、あとはシュート、カーブ、フォーク・ボールだ。高低、両サイドとも大体思うとおりにタマが散った。
ー町田にホームランを打たれたタマは?
西尾 内角のカーブでうまく巻き込まれた。いつも町田さんには初球をカーブで攻めることにしているのでついカーブを投げた。失敗だったね。
西尾はこれで国鉄に2勝。そして今シーズンは3連勝という好調のスタートである。
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高野一彦

2017-02-05 16:36:27 | 日記
1960年

近鉄戦に続いて二度目の完投勝利。飯尾のぬけたアナをうめる働きは完全にやっている。
-きょうはとても調子がよかったね。
高野 ええ、シュートとカーブが内外角の低目にうまく割れたので自分でも会心の出来ばえでした。きょうは慎重に投げようと思ったが、気持ちがいいようにタマが自由になり、高目にはほとんどいかなかった。
ー雨は困らなかったか。
高野 七回までは非常によかった。八回、ちょっとつかれてきたがまず上出来だと思います。
ーいまの調子は。
高野 どこも悪いところはない。ことしこそは一本立ちしようと思って張り切っています。

ことしで三年目、昨年後半からオーソドックスな投手として注目されてきたがこの調子では土橋につぐエースは間違いない。昨年わずか4勝だがこのペースでは10勝ラインは軽いだろう。シャットアウトは昨年十月二十日平和台の対西鉄24回戦で延長14回稲尾投手に投げ勝って以来、プロ入り二度目のもの。この日も張本が先制ホーマーを放っており高野、張本のコンビは快調東映の看板になりつつある。福岡京都高出身、右投げ右打ち、1㍍80、72㌔、20歳。
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広島衛

2017-02-05 16:27:50 | 日記
1960年

ことしは思いがけない投手が働く。青木(巨人)石川緑、広島(中日)と。石川緑が巨人を1安打に完封したのについで、こんどは広島がプロ入り初のシャット・アウト勝ちを飾った。試合を終えてベンチに帰ってきた広島は「いままでの試合で一番調子が悪かった。国鉄がカーブをねらってきたので、直球と落ちるタマを多く投げたが、まん中へ投げても打たれない自信を持ったのが成功した。五回を切り抜けたとき完投できると思った。石川さんが完封勝ちをしたあとだけに自分でもやってみたいと思っていた」そうだ。これで児玉、伊奈、中山、大矢根に期待していた杉下監督の投手起用法は変わってくるかもしれない。焦点同人の服部受弘氏は彼のピッチングをこう説明する。「広島が凡打に打ちとったのはほとんどシュート。スピードはなくてもボールが両サイドによく散っていた。下手投げ投手としての間のとり方や足のあげ方も板についてきた」普通、投法を変えて成功した投手は少ないが、その数少ない成功組の一人が広島である。彼がプロに投じたころは純粋の上手投げでスピードもあったが、エース杉下と四天王が健在で登板のチャンスに恵まれなかった。二年目は胸をやんで入院、カムバックしたらスピードが劣えていた。そんな彼に昨年九月末近藤コーチがアドバイスして下手投げに変えさせ広島も再起を誓ってことしのキャンプで練習に励んだ。そして四度救援に起用されて3勝をあげ、完全にローテーションの中にはいり三度目の先発で完投勝利を飾ったわけである。「初めて下手投げに変えて肩をこわなさいかと心配した。昨年の対国鉄25回戦に勝ってどうやらいけるなと思った」という。先輩の助言と自分の努力で五年目に春を迎えた広島である。
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