プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

川端英文

2016-10-22 21:50:38 | 日記
1963年

「これで巨人の選手? うそだあい」小さな子供までが信用しないそうだ。無理もない。昭和二十三年三月生まれの川端英文君(15)。面長の顔がまだあどけない少年だ。身長はあっても(1㍍78)体重はまだまだ(67㌔)。「十日に一度は必ずはかってみるんですが・・」なかなかふえないのが悩みだという。茶畑と温泉の町、伊東南中学を卒業したばかり。野球を本格的にやりだしたのも中学にはいってからだった。「ピッチャーをやらせて下さい」となんども先生に頼んだが、バッティングにほれられたおかげでダメ。三年生になったときは不動の四番でセンターを守っていた。これがちょうど近くの稲取に静養にきていた巨人・荒川コーチの目にとまった。昨年十二月のこと。同コーチは地元の知人のすすめもあってさっそく旅館であってみた。「雨が降っていたんでテストは部屋の中でした。素振りとピッチング・フォームをやってみせました」外野手のくせに堂々とシャドー・ピッチングをやったというから相当心臓は強い。「どうしても投手になりたかったから」と理由は単純だ。その度胸が認められたのかも知れない。合宿にころがりこんだのは三月末。七時半起床。朝のランニングはみんなといっしょだが午前中の自由時間は学校の予習復習が待っている。近くの東京高校定時制へ通っているからだ。午後からの練習もきついが現在はまだお手伝いさん的存在。ボールを集めたりバットを整理したり。しかし楽しみもある。「毎日三百球ブルペンで投げさせてもらえるんです」二日は来あわせた中尾コーチがつきっきりでみてくれた。まだ欠点だらけ。「女子野球にもノックアウトされるだろう」(武宮コーチ)だれもが笑って認めている。川端君も「いまはからだづくりの最中。しかたないですよ」と頭をかいているが「三年後には巨人の選手になれるかどうかをはっきりきめる」この荒川コーチのことばを胸にしまって、根気よくからだづくりにはげんでいる。

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