1968年
東京・川藤がプロ入り三年目で近鉄を2安打完封。プロ入り初勝利を飾った。「ブルペンでの力がゲームに出せるか不安でしたが、りきんで投げた球がボールになってくれたから、打たれませんでした。シュートがよく切れて…」と無口男を返上する話しぶり。「みんな、みたか。ワシは川藤がこれくらい投げれると思っておった」と感激した永田オーナーはロッカーにまで足を運んでナインへのハッパをかけるやら川藤をねぎらうやら大喜びだった。
1970年
川藤にはクセのあるシュート、フォークボールがある。
改築後二年あまりの松山市営球場。地方には珍しい三万人収容の大球場だ。「改築後こんなにはいったのは、はじめて」(球場関係者)という二万人の観衆を背に、川藤がゆうゆうと投げる。試合前のベンチで「ロッテにいたとき阪急戦に少し登板したことがあるんです。そのとき打たれた記憶が残っています。阪急はうまい打者が多いですからね」と緊張していたのがウソのようだ。キャンプ中に改造した大きなフォームでストレート、シュート、スライダーを投げわけ、四回まで二安打無失点。阪急打者も早いカウントで打って出、三回までにストライクをみのがしたが、トップ打者の山口の二個だけ。川藤の四回までの投球数が42。少しも球威の落ちないみごとなピッチングで予定を終了した。
千田とのトレードで巨人から指名されたとき「夢かと思った」そうだ。「ようやくプロになれたぼくが、こうして長島さんや王さんと同じユニホームを着られるなんて、思いもしなかった。感激でした」八日の対西鉄戦で勝利投手になったときは、うれし涙さえ浮かべていた。プロずれしたり、ユニホームになれっこになったりするものが多い中で、プロ五年生のこの感受性は貴重かもしれない。北陸の農家の長男。女きょうだいが多いため、男らしく強くなれと、龍之輔という勇ましい名前をもらったが、おとなしくすなおな性格。リリーフ、ワン・ポイント、先発とテストされ、七イニング三分の二を無失点の成績。中尾コーチは「先発でもいける」と合格点を出した。小坂の前途に赤信号がつき、左投手不足という事態が予想されただけに、川藤の好投は首脳陣を喜ばせた。「堀内、高橋一、渡辺、松原についで、あと二人の安定した投手がほしい。倉田、山内、川藤、菅原の中から出てくれたらね。左投手というだけじゃなく、先発要員といしても川藤に注目している」といっていた試合前の中尾コーチ。好投に大きくうなずいていた。腕の振りが横から上になったことと、コントロールがよくなったことが「巨人の川藤」になってからの変化だ。この日もカウントを追い込んで、得意の落ちるシュートで阪急打線をかわした。「コントロールがついたのは体重がへって動きやすくなったためだと思う」ロッテ時代はいつも85㌔近い体重で腹を突き出して投げていたが、いまは76㌔を越えない。「はじめて先発させてもらったが、どこまで投げられるかと夢中で投げた。自分じゃいいピッチングができたと思う」と言葉もはずんだ。よく打たれ、通用しなかった阪急をおさえ、グンと自信もついたようだ。「どんな場面にも出られるような投手になりたい。ぼくのように打たせてとるタイプには巨人の堅い守りはほんとうにありがたい。巨人にいれてもらってよかった」ふだんはあまりしゃべらない口がよく動いた。「若い人はゲームでの好投、好打がすぐ自信に結びついて、もてる力を発揮するようになる」という川上監督。川藤の好投に高橋一とならぶ左腕と期待もふくらんでいるだろう。だがまだ注文もある。スタミナをあげるのは中尾コーチ。「四回から目に見えてスピードが落ちたので交代させた。チャンスをつかもうとはじめから全力で投げるのでバテるのはわかるが、一応実績を作ったのだから、こんどは余裕をもって投げてほしい」阪急の西本監督は「あのスピードでは公式戦ではムリだろう」という。そんな声に川藤は「ただ一生懸命投げるだけ。そうすればいい結果につながる」と笑う。まわりの不安や批評を笑って聞き流せるだけの自信をこの試合でつかんだようだ。
東京・川藤がプロ入り三年目で近鉄を2安打完封。プロ入り初勝利を飾った。「ブルペンでの力がゲームに出せるか不安でしたが、りきんで投げた球がボールになってくれたから、打たれませんでした。シュートがよく切れて…」と無口男を返上する話しぶり。「みんな、みたか。ワシは川藤がこれくらい投げれると思っておった」と感激した永田オーナーはロッカーにまで足を運んでナインへのハッパをかけるやら川藤をねぎらうやら大喜びだった。
1970年
川藤にはクセのあるシュート、フォークボールがある。
改築後二年あまりの松山市営球場。地方には珍しい三万人収容の大球場だ。「改築後こんなにはいったのは、はじめて」(球場関係者)という二万人の観衆を背に、川藤がゆうゆうと投げる。試合前のベンチで「ロッテにいたとき阪急戦に少し登板したことがあるんです。そのとき打たれた記憶が残っています。阪急はうまい打者が多いですからね」と緊張していたのがウソのようだ。キャンプ中に改造した大きなフォームでストレート、シュート、スライダーを投げわけ、四回まで二安打無失点。阪急打者も早いカウントで打って出、三回までにストライクをみのがしたが、トップ打者の山口の二個だけ。川藤の四回までの投球数が42。少しも球威の落ちないみごとなピッチングで予定を終了した。
千田とのトレードで巨人から指名されたとき「夢かと思った」そうだ。「ようやくプロになれたぼくが、こうして長島さんや王さんと同じユニホームを着られるなんて、思いもしなかった。感激でした」八日の対西鉄戦で勝利投手になったときは、うれし涙さえ浮かべていた。プロずれしたり、ユニホームになれっこになったりするものが多い中で、プロ五年生のこの感受性は貴重かもしれない。北陸の農家の長男。女きょうだいが多いため、男らしく強くなれと、龍之輔という勇ましい名前をもらったが、おとなしくすなおな性格。リリーフ、ワン・ポイント、先発とテストされ、七イニング三分の二を無失点の成績。中尾コーチは「先発でもいける」と合格点を出した。小坂の前途に赤信号がつき、左投手不足という事態が予想されただけに、川藤の好投は首脳陣を喜ばせた。「堀内、高橋一、渡辺、松原についで、あと二人の安定した投手がほしい。倉田、山内、川藤、菅原の中から出てくれたらね。左投手というだけじゃなく、先発要員といしても川藤に注目している」といっていた試合前の中尾コーチ。好投に大きくうなずいていた。腕の振りが横から上になったことと、コントロールがよくなったことが「巨人の川藤」になってからの変化だ。この日もカウントを追い込んで、得意の落ちるシュートで阪急打線をかわした。「コントロールがついたのは体重がへって動きやすくなったためだと思う」ロッテ時代はいつも85㌔近い体重で腹を突き出して投げていたが、いまは76㌔を越えない。「はじめて先発させてもらったが、どこまで投げられるかと夢中で投げた。自分じゃいいピッチングができたと思う」と言葉もはずんだ。よく打たれ、通用しなかった阪急をおさえ、グンと自信もついたようだ。「どんな場面にも出られるような投手になりたい。ぼくのように打たせてとるタイプには巨人の堅い守りはほんとうにありがたい。巨人にいれてもらってよかった」ふだんはあまりしゃべらない口がよく動いた。「若い人はゲームでの好投、好打がすぐ自信に結びついて、もてる力を発揮するようになる」という川上監督。川藤の好投に高橋一とならぶ左腕と期待もふくらんでいるだろう。だがまだ注文もある。スタミナをあげるのは中尾コーチ。「四回から目に見えてスピードが落ちたので交代させた。チャンスをつかもうとはじめから全力で投げるのでバテるのはわかるが、一応実績を作ったのだから、こんどは余裕をもって投げてほしい」阪急の西本監督は「あのスピードでは公式戦ではムリだろう」という。そんな声に川藤は「ただ一生懸命投げるだけ。そうすればいい結果につながる」と笑う。まわりの不安や批評を笑って聞き流せるだけの自信をこの試合でつかんだようだ。
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