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プロ野球 OB投手資料ブログ

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1961年 南海 退団選手

2020-01-20 10:12:28 | 日記
1961年

二年めでプロを去るのが、投手の藤原(堺高)と、内野手の田中毅(宮崎日南高)の二人。藤原は厳密にいえば三年め、つまりテスト生として1年間は練習相手をつとめ、努力が認められて正式に南海のユニホームを着た選手である。右投げ投手だったが、傑出した力はなかった。田中もどこといって特徴のない人で、南海入りしてから、二塁のほかに、マスクをかぶってもみたが、これはあくまでも田中自身の成長のためではなく、他の有望新人のためのコンバートであった。今春はじめて南海のキャンプに参加した高校生は、十四人もいたが早くもこの中の三人が落ちている。栄光を夢見たあの日から、たった三百日あまりで結論を下された人たちである。その三人は投手の青木(宮崎商)一塁手の橋詰(豊国商)外野手の松尾(大分臼杵商)である。シーズンはじめには数多いプロ野球選手が誕生し、メンバー表にもこの三人とも名前は出ていたが、写真は掲載されていない。それもそのはず、青木と松尾の二人は、ともに宮崎で行われた新人テストに合格した練習要員。橋詰も人材豊富な一塁手の卵とあっては、しかたのないことだった。青木投手は宮崎地方では知られた投手だったらしいが、結局プロの器ではなかった。また橋詰一塁手は、他の球団からも誘いの水をかけられた素質のある選手だが、年々大型化して行くプロ野球界にあって、左ききの利点はあっても170㌢足らずの身長ではついていけなかった。松尾にも同じことがいえるようだ。

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