1963年
中日では二十七日正午から名古屋市中区南外堀町のドラゴンズ事務所で河合楽器の一枝修平内野手(23)の入団発表を行った。同選手は三十四年大阪上宮高から明大に進学、一年の春にベンチに入った。二年の春には二塁で二番。打率も三割三分三厘をマーク(ベスト・テン三位)ベスト・ナインに選ばれた。さらに四年の春には優勝に貢献するとともに三割二分二厘(八位)で二度目のベスト・ナインに選ばれた。大学での通算打率は二割九分。身長1㍍70㍍、体重66㌔。小柄だが軽快なフィールディングに定評がある。そして三十八年四月河合楽器に入社、河合楽器での通算打率は三割一分九厘の好率をあげている。右投右打、背番号54。
一枝選手の話 野球をやるなら一度プロでやってみたいと思っていたやさき中日から話があったので喜んで承諾した。得意は二塁。まだやれると思ったからプロに入りました。しかし自分でやれる自信があっても、プロははじめてなのでみなに負けないようがん張る。
中日では二十七日正午から名古屋市中区南外堀町のドラゴンズ事務所で河合楽器の一枝修平内野手(23)の入団発表を行った。同選手は三十四年大阪上宮高から明大に進学、一年の春にベンチに入った。二年の春には二塁で二番。打率も三割三分三厘をマーク(ベスト・テン三位)ベスト・ナインに選ばれた。さらに四年の春には優勝に貢献するとともに三割二分二厘(八位)で二度目のベスト・ナインに選ばれた。大学での通算打率は二割九分。身長1㍍70㍍、体重66㌔。小柄だが軽快なフィールディングに定評がある。そして三十八年四月河合楽器に入社、河合楽器での通算打率は三割一分九厘の好率をあげている。右投右打、背番号54。
一枝選手の話 野球をやるなら一度プロでやってみたいと思っていたやさき中日から話があったので喜んで承諾した。得意は二塁。まだやれると思ったからプロに入りました。しかし自分でやれる自信があっても、プロははじめてなのでみなに負けないようがん張る。
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