1961年
田中の四兄弟といえば野球界ではあまりにも有名である。長兄の武智文雄は近鉄のA級十年選手、次兄田中幹雄投手は東洋レーヨン、三兄田中照雄投手も、元近鉄で活躍した現在常磐炭鉱、末弟が今度東映入りした和男一塁手である。四人のうちでも和男一塁手が素質は一番だといわれるから有望だ。田中は岐阜商で投手兼一塁手として働き、村瀬(早大)清沢(慶大)たちとともに甲子園で準優勝、法大でもレギュラーの三番打者として打ちまくった。長兄の武智投手は、「もっとも素質がありながら、もっとも気をもませるヤツ」と批評する。田中は末っ子にありがちな無欲なところがマイナスとなっているからだ。投手として法大に誘われそれを果たせず、打者に転向してまだ一流になれないのがそのためだ。だが、田中はプロ入りに踏み切るに当り、今までに無い強い態度を見せ、長兄の薦める松下電器を断り、プロでやりたいと譲らなかったそうだ。ようやく欲が出てきたようである。水原監督を迎えて東映も気分一新の年で、田中にとっては絶好のチャンスとなろう。
田中の四兄弟といえば野球界ではあまりにも有名である。長兄の武智文雄は近鉄のA級十年選手、次兄田中幹雄投手は東洋レーヨン、三兄田中照雄投手も、元近鉄で活躍した現在常磐炭鉱、末弟が今度東映入りした和男一塁手である。四人のうちでも和男一塁手が素質は一番だといわれるから有望だ。田中は岐阜商で投手兼一塁手として働き、村瀬(早大)清沢(慶大)たちとともに甲子園で準優勝、法大でもレギュラーの三番打者として打ちまくった。長兄の武智投手は、「もっとも素質がありながら、もっとも気をもませるヤツ」と批評する。田中は末っ子にありがちな無欲なところがマイナスとなっているからだ。投手として法大に誘われそれを果たせず、打者に転向してまだ一流になれないのがそのためだ。だが、田中はプロ入りに踏み切るに当り、今までに無い強い態度を見せ、長兄の薦める松下電器を断り、プロでやりたいと譲らなかったそうだ。ようやく欲が出てきたようである。水原監督を迎えて東映も気分一新の年で、田中にとっては絶好のチャンスとなろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます