プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

鈴木実

2024-04-16 08:05:27 | 日記
1952年
読売巨人軍では四日巨人軍事務所で鐘淵化学のエース鈴木実選手(22)と正式契約を完了した。鈴木投手は新潟市出身、五尺七寸、十八貫三百、右投右打、昭和廿二年新潟県立新潟中学校卒業後、ノンプロ新潟クラブに所属、廿五、六年と二度都市対抗に出場廿六年八月鐘淵化学高砂工場に入社、廿七年の都市対抗、産業対抗野球等に出場した。コントロールにやや難点があるが、重い剛球は将来を楽しませるものがある。


鈴木選手談 全然素人で自信などありませんが、これからが本当の野球生活だと思って頑張ります。投手は中学で十五歳の時からやり出しましたが、コーチしてくれたのは郷土の先輩石黒さん(早大OB)です。石黒さんは新潟クラブに入ってからずっとお世話になりましたが、新潟クラブは監督の阿部さんも全京城の投手で、よいコーチに恵まれたと思っています、投球フォームはどちらかといえばオーバースローです、プロ野球は前からよく見てきましたが投手として理想の人は藤本さんです、別所さんは体格もあり、力もある投手で到底及びもつかないという感じですが、藤本さんなら身体も同じぐらいだし、努力次第ではああなれるのではないかという希望がもてるんです。


1953年


アメリカの投手たちが、よく走るのには驚きました。別にこれといって手を取って教えられませんでした。が、アメリカで試合をするとき、サード・コーチャーにボールを見られたら、それこそどんなボールを投っても、がんがん打たれてしまいます。ボールをかくせということは、僕等の中学時代から教わってきたのですが、さほど必要を感じなかったせいか教えられたことも実行しなかった。僕はまだ日本のプロ野球で、投げたことがないのでどれだけ投げられるかわかりません。が、アメリカでは左打者が多いせいか、カーブよりシュートが有効のようでした。まだ投球術についても勉強することは沢山あります。まず手近なところでボールをかくすこととコントロールをつけ自分の思うところに投げれるようになりたいと思っています。

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岩村吉博

2024-04-16 07:54:10 | 日記
1953年
左腕岩村の沈むカーブに手を焼き初回無死満塁のチャンスを逃し五回走者を一、二塁に置いた別当の左翼大飛球も金田の美技に阻まれて得点できなかった。

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鈴木実

2024-04-16 07:49:37 | 日記
1953年
鈴木と三浦はともに度胸を買われてしばしば登板して頼もしがられている。それぞれクセのある球筋をもっているので、今年は相当働けそうだと水原監督はいっている。鈴木は「ブレーキのあるカーブとシュートをマスターしたい」といい「外人はちょっと荒れた時の方がいいくらいですね」となかなかの心臓。


慶大出身の山村、岩中、高橋、吉岡などのベテランを持つ全鐘紡の実力は天下周知のことでこの全鐘紡と鐘ヶ淵化学は毎年定期戦をやっている、昨廿七年度定期戦は六月廿二日に行われた、鐘化の鈴木投手は健投これつとめ平古場、栄屋とわたり合い、全鐘紡を五安打の散発に抑え、鐘化の勝因を作った、ここに鈴木投手の非凡の力が一層認められ出したのである。もっとも彼の球歴をさぐると相当長い投手生活を経ている。彼は新潟市出身、昭和廿二年新潟中学を卒えノンプロ新潟クラブに所属、廿五年と廿六年には連続信越代表として都市対抗本大会に出場している。すでに十五歳の中学時代から投手としての野球生活は始まり、先輩の石黒氏(元早大)の指導をうけ、続いて新潟クラブでは同チームの監督の阿部氏(元全京城の投手)の薫陶にあずかるなどコーチにはめぐまれて来たわけである。鐘ヶ淵化学に転じたのは廿六年九月で高砂工場に勤務、以来昨年末までの投手成績は廿五戦廿二勝三敗で、そのうち完投廿試合を数えるという立派な記録を残している、なお昨廿七年度同チームの試合成績は卅二戦廿八勝であるが、このうち鈴木は十五勝をあげている。昨夏の都市対抗大会には鐘化の主戦投手として近畿代表で出場したが、強豪九州の日鉄二瀬のために3-0で敗退、また秋の産業別大会には全日東紡を2-0でシャット・アウトしたが川崎いすゞに4-1で敗れ、東京におけ各種大会には持ち前の実力を発揮していない。彼の投手としての良さは低目をつく速球とカーブ、そして球の重さである。だが惜しいことにコントロールにやや難色を認める、従って彼には出来、不出来の差が激しいところがある、その原因の一つは腰の回転が悪くそのため腕の力のみに頼り過ぎていることのようである、しかも球の手から離れる時機が不一致で一瞬早かったり、おそかったりする、要するにこれは彼の投球フォームがまだ自分のものになっていない証拠である。球を離す時機というのは早いことよりも出来るだけおそく、いいかえればもうこれ以上球を持っていられないという時機に手離した方がより有効であるということを記憶していなければならない、彼は五尺七寸、十九貫、見るからに頑強であるが、投手としての体には今よりも若干柔軟性を持たせたいところがある、そしてもう一歩プレートの蹴りとそのダッシュを鋭くすることに一工夫してほしい。いまの彼の実力は鐘化の先輩投手山根(現毎日)と大体同程度ぐらいであるが、プロ入り後は何はともあれ摂生こそ大成の必須条件といわねばならない、彼も覚悟を新たにしていることと思うが、さらに彼の将来の大成を願ってあえて自重自愛を育むものである、幸い体力もあり現在の実力からすれば今後の精進によっては大いに期待できるものがあると思われる、だがあせってはいけない、あせれればあせるほどスケールを小さくしてしまうだろうから。


三回から藤本をリリーフした鈴木はプレート度胸もよくピンチにも動ぜず重い速球とカーブを投げてプロ入り初の一勝を記録した。


鈴木投手談「六回ごろまでは速球で勝負、後半はカーブで切りぬけた」

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