プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

丹野祐樹

2024-04-06 20:28:25 | 日記
1997年
仙台の丹野祐樹投手は唇をかみしめた。延長十一回の守備。1死一、二塁の2-2からの5球目の高めに入った直球を、仙台育英の大滝俊也一塁手に左前に流された。左翼手の悪送球を誘い、決勝点を奪われた。174球目だった。調子は悪くなかった。カーブも切れていた。直球も「最高140㌔を記録した」(鈴木直勝監督)4点を選手されたあとは九回まで4安打無失点に抑える好投だった。


1998年


東北打線を1点に抑えたのは自信になったが、「納得の投球ではなかった」最高速度140キロの直球とスライダーとフォークボール。プロも注目するその右腕。鈴木監督は「甲子園での仙台の活躍のカギを握る選手」と丹野投手を評する。

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ラミーレス

2024-04-06 17:40:21 | 日記
2002年
13日は巨人、この日は横浜と阪神の偵察隊が一軍の天福球場ではなく、2軍の東光寺球場に姿を現した。マテオ、バレラ、ラミーレスの3投手のうち、スコアラー間ではラミーレスの株がうなぎ昇り。ペースの上がらない1軍のスタニファー、ベルトランの両新外国人投手を他球団が見切る形で、「うわさ」の右腕に見入った。山本監督はブルペンの真後ろに陣取った。ラミーレスは伸びのある145キロ台の直球、キレのあるスライダーなど40球を投じた。1週間前に左足を痛めた影響を感じさせない好投。「監督の前で緊張した」と、思わぬ注文に驚いた様子だった。「球持ちがいいし、仕上がり具合に関係なく使えそう」と分析した。昨秋のキャンプに練習生として参加。春季キャンプに合わせて再来日し、他の二人と選手登録入りを争っている。山本監督は「登録枠は1つ余っているが、もう少し様子を見たい。まだ、だれにするかは言えん」と言葉は濁したものの、確かな感触に笑顔がこぼれていた。


ドミニカ共和国・カープアカデミーからのテスト生、ラミーレスが東京ガスとの練習試合に先発した。結果は3回を2安打、2失点だったが、4三振を奪うなど「大器」と評判の片りんを見せた。最速147㌔の直球と138㌔の高速スライダー。2安打はともに、打者有利のカウントからの速球を狙い打たれた一打で、ラミーレスも「内容は悪くなかった」と自らに及第点を出した。清川コーチは「力みすぎて、今日は球離れが早すぎた」と言いながらも、「あれだけのまっすぐが投げられるのは魅力。楽しみだ」と期待していた。

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丹波幹雄

2024-04-06 17:23:25 | 日記
1997年
1977年、ジャーナリストの軍司貞則氏ら在欧邦人がウィーンで結成したのがチーム名になった。80年に主要メンバーが帰国、鎌倉市に拠点を置いた。10代から50代までが現役で活躍。田所監督は「若人とオジさんたちの異業種野球戦闘団」と自称する。今年は五月の全日本クラブ野球選手権県予選で猛打で乱打戦を制し、波に乗る。投手陣は193センチの長身から角度のあるストレートにカーブ、スライダーを交える丹波。


1998年


193㌢、93㌔の恵まれた体に、最速138キロの速球を繰り出し、しり上がりに調子を上げた。


1999年


プロ1年目は「まず体力作り」と意識づけたが5月に二軍のマウンドに立つと、中継ぎで38試合に登板。新たにチェンジアップも覚えて1勝4敗2セーブ。防御率2.59の記録を残した。「ブランクがあった体力面のハンデや、心にスキが出来ると打たれる厳しさは痛感した。でも自信も少しつかめた」

コメント (2)
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矢野英司

2024-04-06 17:13:26 | 日記
1999年
「新人王は一勝に一度しかないチャンスなので、取りたいですね」生まれ育った横浜のチームを逆指名した即戦力右腕は、タイトル獲りに燃えている。150㌔を超えるストレートにスライダー、カーブ、フォークを使い、大学四年間242回2/3を投げて229三振を奪った。なかでも「自分の勝負球は真っすぐ。それを見てもらいたい、球の球威で勝負したいですね」とストレートには絶対の自信をもっている。高校時代は横浜高で三度も甲子園の土を踏んでいる。法大に進学後は通算22勝7敗、防御率1.56の成績に全日本のエースとして活躍と輝かしい実績の持ち主だ。


法大時代に151㌔をマークした右腕には、開幕ローテーションも視野に入れて早めの調整が進められる。2月13日にはフリー打撃で投げ、翌日には権藤監督自らに、チェンジアップの投げ方を指南された。18日には紅白戦に登板し、1回3者を9球で料理する上々デビュー。「フォームにクセがある」との指摘にも、「これから直せばいい」と本人は強気だ。


147㌔のストレートに古田のバットが空を切るとスタジアムがどよめいた。ドラフト二位のルーキー矢野が同点で進んだ延長十二回に登場。いきなり魅せた。1球目が147キロ。古田を直球でショートゴロに切ると緊張も緩んだ。ペタジーニにはこの日最速148㌔をマーク。自慢の高速スライダーも交えたものの、四球と安打でピンチを迎えてしまった。権藤監督から「力で勝負しろ、どんどん行け」とハッパをかけられたが、結果としてスミスに外角のスライダーをレフトに運ばれて、敗戦投手。矢野は「甘かった。バットに届く球だった。外国人には気をつけないと」とプロの洗礼を受けた。


矢野は「チームは連勝していて、ゲームを壊したくなかった。気持ちを入れ替えて」その後は立ち直り、変化球を交えて無難に。五回は松井を二ゴロ、高橋は136キロのフォークで三振に料理した。

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