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プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

森安敏明

2016-11-23 11:56:20 | 日記
1970年

バックの援護が2点しかなかったこともあって、最後までハラハラするピッチングだった。とくに一死一、二塁とされたどたん場の九回裏には、森安をはげまそうと東映ベンチは大さわぎ、松木監督を先頭に、田宮、土橋らコーチ陣が「がんばれ、がんばれ」とだみ声の大合唱。これに愛宕マネジャーまでが加わって、町内会の運動会のようなにぎやかさだった。それだけに森安が最後の打者阪本を打ちとると、首脳陣の方が「ああ疲れた」とがっくりしていた。三四回を除いては毎回走者をだした森安ももちろんクタクタ。「ここ一週間ほど休養の関係が短かったせいかとても疲れた。スピードもいつもほどなかった。阪急打線がうまくスライダーにひっかかってくれたのと、シュートが割合いコースにきまったので助かった」ほっとひと息という顔で森安はニガ笑いしていた。高橋君が右ヒジ痛で倒れたうえ十日ほど前には金田、高橋直が突然の右肩病からつづいて欠場した。そのため投手陣の負担が一度にこの森安にかかってきたが、この重労働に十分こたえてきた。この日もヨレヨレだったとはいえ今季二度目の完封勝ち。近鉄・鈴木と並ぶリーグ最高の4勝目をマークした。「投げることは大好き。かえって中三日きちんと休まされたりすると調子が狂う。勝てば疲れなどふっとんでしまうさ」ということはいつもきまっている。案外、気の小さい一面もあるが、鼻っぱしは相当強い。だからたまには失敗もある。一昨年の契約更改でも、こんなことがあった。球団側との話し合いの席上で「三年連続10勝したのにアップが少ない」と文句をつけたのだ。「尾崎が三年連続20勝してそんなことをいったことがあるが、三年連続10勝という記録をひっぱりだした選手はいまだかつていない」とつっぱねられたが、森安らしい勇み足のエピソードと評判になった。だが、最近はすっかり大人になったといわれている。今秋には郷里の岡山で待っているフィアンセ羽納幸子さん(24)と結婚式をあげる。なんとしてもがんばらなくてはならない年だ。東映のエースとよくいわれるが、過去四年間で一昨年の16勝(23敗)が最高の成績ではあまり威張れない。「ことしは意地でもやります。きょうだってウチがにが手な阪急に勝ったじゃありませんか」真剣な顔でいった。森安のこんな顔は以前なら実に珍しかったが、ことしはトレード・マークのふてくされ顔の方がめったに見られなくなった。そういえばことしの伊東キャンプも宿舎(伊東スタジアム)の従業員がこういってびっくりしていた。「森安さんが実にまじめで外出さえしないんですよ。どうしたことなんでしょう」

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