1977年
弾丸投手で話題を集めたブレット(本名・ロバート・アレン・レイノルズ)投手(30)が6月7日で退団した。ゲームでは自慢の弾丸を見ることはできなかったが、契約して44日目の退団とあって、逃げ足の方は見事なブレット(弾丸)ぶりだった。「オレの速球はあのハンク・アーロンでさえ流し打ちしかできなかったんだ」と豪語していたブレット。別当監督も「タマの速い投手らしい。これで巨人をギューッといわせてやるぜ」と期待していた。ところが、5月11日の巨人戦で来日初先発したが、ご自慢?のブレットは見られず、スライダーとチェンジアップを多投する技巧派に変身?「あれじゃ、音は大きくても、タマの飛ばない明治の大砲」なんて悪評されたものだ。その後、なかなか出番が回ってこず、ブレットはいらいらしていた。というのは、フィアンセのスー・ホールストロームさんがホームシックにかかったからだ。「そうなのヨ。早くいいピッチングをして、喜ばせてやらないと‥。逃げられるかも知れない」というわけだ。そして、5月26日の対阪神戦で待ちに待ったチャンスが到来。「今度こそ!」と意気込んだものの、1回1/3で2点を失い連続KO。さらに5月28日の広島戦(広島球場)で間柴をリリーフして2イニングで3点を失い、さすがの強気男も、これで自信ソウ失。「もうダメだよ。フィアンセもアメリカに帰ろうというし、オレも早く帰りたいんだ。そうしないとフィアンセに逃げられちゃうもん」と、退団をほのめかせていた。自信をなくしたのはブレットだけではない。首脳陣も今のままでは登板させる自信がないというわけで、その後、投げ込みを指示した。スピードがないのは練習不足によるもの。これでスピードアップを図ろうというのが首脳陣の狙いだったわけだ。懸命に投げ込みをやったブレットだが、6月1日、右ヒジを痛めて「これ以上、大洋にいても何の働きもできない。申し訳ないけど、契約を解消して欲しい」と正式に球団に申し入れた。もっともこのヒジ痛、フィアンセの「日本でダメなら早くアメリカに帰ろうよ」という言葉と、「オレは肥るタイプだから、3日に1度は登板したい」といっていたが、思うように登板できなかったことが原因にも思える。「ヒジが完治すれば十分戦力になる。ファームで調整しろ」という首脳陣の声にも、元大リーガーのプライドが許すわけではない。球団も6月5日、「退団OK」を本人に通告。翌日、横田球団社長が、確認のため、麻布のブレットのマンションを訪れた時には、すでに引き払っており、もぬけのカラ。あまりのブレット投球ならぬブレット脱走ぶりに、横田社長も感心することしきりだったとか。
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